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文披31題:Day6  呼吸

 いち、に、さん。
 掛け声と同時、とぷん、と水面に小さな水柱がいくつか立って、しばらくすると水柱の立った場所からぷくぷくと泡が浮いてきた。さらにもうしばらく経つと、同じ場所から影がいくつも飛び出てきた。
 盛大な勢いでいくつも飛び出た影はこどもたちのもの。暑い夏の午後に涼を得ようとお風呂で水浴びをしていると、
「私、水の中ですーっごく長く息を止めていられるのよ」
 とひとりの少女のが自慢し始めた。そんなの僕もできるよ、と反応した年若の少年に対し、我も我もと対抗するこどもたちが誰もひきもきらず一番も決まらないため、それなら息止め大会をしようと思いついて潜ることにしたのだ。
 浴槽の縁ではお風呂はともかく泳いだりすることが苦手な少女が判定役を買って出て、合図とともに鼻をつまんで水に潜って数秒。多くのこどもたちが水面に顔を出して脱落していた。
 脱落したこどもたちは負けたことよりも結局誰が一番なんだろうということにさっさと興味を移し、水面に顔を出していないこどもが誰かを見定める。
 まだ、水面に顔を出していないこどもは三人、と判明したところで一人が飛び出してきた。大きな水しぶきをあげてばたつくものだから、きゃあきゃあこどもたちが騒ぎ立てる。
「俺、一番!?」
「ざぁんねん! まだあとふたりいるよー!」
 言われた少年は、えぇぇ……と浴槽の縁にうなだれた。よほどショックだったようだ。
 そんな少年を放置して、ほかのこどもたちはいよいよ決勝戦となった息止め大会の結末に目が離せない。
「まだ出てこないねぇ」
 あのことあのこ、と小さくぷくぷくと泡の浮いてきている場所を確認する。片方は、あまり泡が出ていないようだ。
 いつの間にかこどもたちはしんと静まり返り、勝負の行方を見守っている。ふと、不安げにこどもたちの一人がつぶやいた。
「ね、ねぇ……死んでない?」
「変なこと言わないでよ!」
「ボク、死んだら浮いてくるって聞いたことある!」
「やめてよ怖いよ!」
 不穏な会話をしながらこどもたちが騒いでいると、あ、と誰かが潜っている片方のこどもを指さした。
「ぷはぁっ!」
「「「あ!」」」
「私いちばん!? ねぇ、私いちばんでしょ?」
 ぜぇはぁと大きく息をつきながら得意げに声を上げたのは、一番最初に「息止めが得意」と豪語した少女だった。水に濡れた蒼い髪を背中に流しながら、誇らしげに笑って勝負の行方を見守っていたこどもたちを見渡す。
 一番近くにいたこどもの元まで近づき、どうなの?と尋ねるが、尋ねられたこどもはふるふると首を振った。
「え……?」
 そんなまさか、とありありと表情に浮かべて少女は青ざめた。負けたことも悔しいが、自分以上に息を止めているとなると、もしかしたら、と思ってしまったのだ。
 慌てて最後に残ったこどもに近づくと、肩を掴んで引き上げる。少しの抵抗を感じたが、かまうことなく引っ張り上げた。
「なっにすんのよ!」
 引き上げられたのは、くるくるとあちこちに跳ねた短い茶色の髪をした少女だった。蒼い髪の少女に肩を掴まれて引き上げられたのが気に入らなかったようで、少女をにらみつけている。
 不思議なことに少しも息を切らしていなかった。蒼い髪の少女をにらみつける瞳は、深緑色で、怒りに燃えてきらめいている。
 少女たちはしばらくにらみ合っていた。息止め勝負の勝者が決まったと宣言するにはどうにも不穏すぎる空気で、審判役の少女がおろおろと二人とまわりのこどもたちとに視線をさまよわせている。
 蒼い髪の少女は、茶色の髪の少女を同じくにらんでいたが、こちらは怒りではなく、何かを確かめるような、探るような視線だ。じぃっと観察するように眺め続け、不意に髪より青みの深い目をはっと見開いた。
「ずるだわ! ずるしたわね!」
 確信と、断罪のこもった声だった。肩を掴んでいた片手がびしりと茶色の髪の少女につきつけられる。
 茶色の髪の少女はしまった、と顔をしかめて逃げようとしたが、蒼い髪の少女のもう片方の手がそれを許さなかった。
「あなた、風を使って息してたわね! ずるい!」
「水の中ならばれないと思って……」
 茶色の髪の少女は小細工がばれたと諦め、がくがくと揺さぶられるままになっている。
 どうやったの、と別のこどもに聞かれて茶色の髪の少女は得意げに胸を張り、両手を水の中に沈めた。
「こうやって、空気の膜を作って、鼻と口の近くにおいておけば、呼吸ができるでしょ?」
「すごぉい!」
「すごくないー!」
 風の魔法を操る茶色の髪の少女は、小さいこどもたちが目を輝かせて称賛してくれるのに照れ臭そうに鼻をかいていたが、蒼い髪の少女はそれどころではない。
「そんなのずるじゃない! 息止めてないじゃない!」
 大きな声で指摘されて、まわりがはっとする。そういえば、最初の目的は「誰が一番長く息を止めていられるか」だったではないか。
 水の中に一番長くいたのは茶色の髪の少女だったが、実際に息を止めて水の中にいたのは蒼い髪の少女だ。
「じゃ、じゃあ、一番長く息を止めていられた優勝者決定ってことで」
 審判役の少女が気を取り直して蒼い髪の少女の勝利宣言を行うと、まわりのこどもたちはぱちぱちと蒼い髪の少女に向かって拍手した。
 嬉しそうに、そして自分の言葉が真実であると証明できた蒼い髪の少女は誇らしげに胸を張ってありがとう、と微笑む。
「みなさん、とっても楽しそうでなによりですね」
 盛り上がったこどもたちの息止め大会の熱気が収まりかけた頃、静かに、けれどけして無視できない調子で優しい声がかかった。
 ひ、と茶色の髪の少女が小さく声をあげる。つられたように数人のこどもたちも小さく声をあげた。
「あなたたち、休憩の時間はとっくに過ぎていますよ?」
 教会のお勤めの最中に、思い切り休憩を延長したこどもたちは、にこにこ笑顔のシスターに絞られた。
 とは言っても、暑い夏のほんの少し羽目を外したことに対する注意だったが。
 こどもたちにとっては、楽しくも恐ろしい夏のヒトコマとなったことには違いないし、息止め大会はその後行われなかったという。

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