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【日本美術】源氏物語図断簡

宗達とその工房は源氏物語の各場面をまとめた屏風を制作しています。1つは源氏物語54帖の各場面を六曲一双に描いた屏風で、それらが分断され各図は団家本の呼称が付されます。もう1つは八曲一隻の屏風で桐壺から松風の場面を描くもので分断された各図には藤井家本あるいは本願寺旧蔵という呼称が付されます。

源氏物語図屏風(右隻・団家本)
宗達ー物語の風景 源氏・伊勢・西行ーより転載
源氏物語図屏風(左隻・団家本)宗達ー物語の風景 源氏・伊勢・西行ーより転載
源氏物語図屏風(藤井家本)宗達ー物語の風景 源氏・伊勢・西行ーより転載

団家本のひとつの付属品に田中親美の聞き書きを記した用紙がありました。それによると断簡とした理由は団琢磨が屏風として所蔵していた時に、同好の士たちと分かち合うべきと考えたと記されていました。田中親美もその志を良しとして分断に同意したといいます。団琢磨が戦前に分断したときにはすべてを分けず、親しい間柄であった益田孝や仰木魯堂、牧田環らとわけたらしく、戦後に団琢磨の長男団伊能が残っていたものを手放したようです。そのほかの団家本のひとつの箱書きには田中親美によって分けられたという記述もありました。確かな記録はありませんが付属品や箱書きから田中親美が団家本の分断に関与していた可能性は高いでしょう。

団家本の屏風は軒や簀子が右上から左下、あるいは左上から右下へ繋がるように画面が構成されています。

藤井家本には屏風の左下に印章があったことが画像からわかります。通常屏風に捺される印章は右隻なら右下、左隻であれば左下に捺されることが多いです。であればこの藤井家本では源氏物語のはじめである桐壺から描いているのに左下に印章が捺されていた理由は何故なのか?理由を想像すると二つ思い浮かびます。そもそも一隻として制作されたか、源氏物語とは異なる画題の屏風が右隻としてあったのか。どちらかは全くわかりませんが、印章付近の様子を画像で見ると物語の図を描けそうな広さに土坡(どは)が描かれているだけなので一隻として作られた可能性を捨てきれません。

出光美術館には団家本と藤井家本の「葵図」が所蔵されています。場面はどちらも若紫を碁盤に立たせ源氏が髪削ぎをする場面です。「葵」を描く際には車争いの場面が選ばれる場合もあります。団家本と藤井家本のどちらかは車争いの図にすることもできたかもしれません。「真木柱」でも北の方が髭黒大将に香炉の灰を浴びせる場面ではなく、娘の真木柱が歌を記した紙を柱に隠す場面が選ばれています。『源氏物語』を研究していた貴族が宗達とその工房による源氏物語図屏風にどれくらい関与していたかは判然としませんが、団家本、藤井家本を制作するにあたって恨みを描くような場面選択はされなかったようです。