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#9 本当の自分でいれたんだ。彼女と居るときだけは。|マッチングアプリ放浪記

遥との会話は静かで、それでいてとても奇妙だった。僕は気がつけば素の自分で彼女と話していて、自然とありのままの「山田詠世」として、接することができていた。

普段女の子と話す時は、いつも自分を偽っていた。余裕な姿を演出してみたり、ちょっと遊び人っぽく振る舞ってみたり、人によって自分を変えていた。

けれど、彼女といる時だけは、なぜかありのままの自分でいれるような気がした。これが感情が「好き」に当てはまるのかは分からない。僕は困惑していたんだ。



「ねえ、詠世くんの好きな音楽は何なの?」

「うーん、分からないな」と僕は言った。いつも通り、はじめは自分の本音を見せないように振る舞った。

「分からないはダメだよ。ほら、プレイリストを見せて」そう言って彼女は半ば強引に僕にApple Musicを開かさせた。

やれやれ、といったテンションで僕はスマホを取り出す。彼女は屈託のない笑顔を浮かべていた。なんだか、ちょっとくらい、本当のことを言ってみようかな、という気になった。

「えーとね、俺が好きなのは、Dos Monosっていうユニットなんだけど、知ってるかな? オルタナティブ的なラップなんだけど、知らないよね」

「うん、全然知らない。でも今度聞いてみるね。おすすめの曲は?」

「おお、ありがとう。じゃあ、Dos Monosの自己紹介的な歌があるから、『In 20XX』っていう曲を聞いてみて。きっと気に入らないと思うよ笑」

「聞いてみる。私、意外とオルタナティブな雰囲気は好きだよ」

こんな風に自分が本当に好きなものを話すのは初めてだった。それをちゃんと受け入れてくれるのは嬉しかった。嬉しかった。



「私ね、もっと詠世くんの好きなものを知りたいよ。だって、詠世くん、さっきから私の話を聞いてばかりで喋らなすぎだよ。もっと語って!」

「そんなことを言われたのは初めてだよ笑」

「じゃあ、詠世くんの好きな事は何?」

「えーとね、本当は俺、読書が好きなんだ」

「へー、どんなの読むの?」

「えーとね、村上春樹とかが最近は好きかな。『風の歌を聴け』とか『1973年のピンボール』が村上春樹っぽくて好きなんだ。でも、エンタメ性が強いかと言われればそんなことはなくて、自分で面白さを探していく感じなんだけど、それが純文学のいいところかなって思ってる。村上春樹の本はいくつか読んだんだけど、結構読みやすいんだ。文体が平易な感じ。なんだけど物語の構造は難解で、面白さを見い出すのに時間がかかる。まあ、構造の面白さに気づかなくても、なんか読んでるだけでいい気分になれるのも村上作品のいいところだと思う」


・・・・・・あ、俺、喋りすぎた。


遥は終始ニヤニヤして僕を見ていた。

「うぇ〜い、語れるじゃ〜ん。途中言ってることよく分からなかったけど、とりあえず村上春樹が好きなことはよく伝わった! 他には?」

「他? いや、もう俺が話すターンは終了です笑」

僕は内心すごく驚いていた。自分が自分の話を、しかも本当に好きな話をしていたことに。話を聞いてもらうのは楽しかったけど、今までとは違う感じだったからなんだか怖くなって話すのをやめた。


「え〜、もっと語ってほしかった笑」


こんなに自分の話を聞いてもらうのは嬉しいことだった。もっと遥と話したくなった。

そうこうしていると、2時間が経ち、僕らは会計を済ませた。「今日は俺が誘ったから俺が出すよ」というと、「奢られるのは嫌いです」と言って、強引に彼女はお金を払った。しかも、お釣りを全部僕のポケットの中に押し込んで、「あげる」と彼女は言った。やれやれ。困ったやつだ。



それから僕らはまた汚くて狭いエレベータに乗って、雑居ビルを出た。

普段ならここでホテルを打診する。しかし、今日はどうだ。彼女は。彼女だけは、安易にホテルに誘っていいものなのか。そんな気がしていた。


しかしだ。


マッチングアプリを始めた本来の目的を忘れてはならないと思ってしまった。僕は遊び人を志して、アプリを始めたんだ。愚かな決断かもしれない。だが僕は通常通り、彼女をホテルに誘うことにした。ラポールの形成は十分ではなかったが、まだ遅くないはずだ。

遊び人としての謎の意地が半分、性欲が半分で、僕は決心した。

「彼女のことが好きかもしれない」という気持ちをかなぐり捨てて、遊び人に徹底することにしたんだ。


そして彼女の手を握り、彼女の顔を見た。彼女は驚いた顔をしていたが、そのあとすぐにいつもの笑顔になった。僕は安堵した。


しかし、その笑顔が彼女の本当の笑顔ではなかったことを、僕は後に知ることになる。

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