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一生かけて癒やしていくくらいの気持ちで/親との関係性、心のパイプの詰まり

カンペキな親なんてどこにもいないと言いながら、自分は自分の親に私なりのカンペキを求めているという矛盾。もう昔のことで、とっくに忘れている、許しているつもりでいて、やはりどこかでわだかまっている自分の心。うまくいっているときは元々持っている力の賜物であると思っているのに、うまくいかなくなったときだけどこかで親のせいにしている都合のよさ。そういうものを、いい加減手放したい。

自分の親によって傷つけられたことがない人など、きっとこの世のなかにはいない。自覚的であれ、無自覚的であれ。

仕事や、お金や、育児や、夫婦や、その他の人間関係など、あらゆることにおいて詰まりがあるとき、その根本原因は、みずからの親子関係にあると思っている。

わたしは自分の母との間にわりと深めのトラウマがあり、それを辿ればそれは、その母との夫婦関係において責任のある父に対するトラウマでもあると思っている。

わたしは基本的に人と関わることが好きで、その気になればどんな人とでも話せると思っている。けれど不思議なことに、自分の母とだけはどんなに努めてもまともに目を合わせることもできないし、彼女を目の前にするととたんに声のトーンが5段くらい低くなり、ものすごくぶっきらぼうな話し方になってしまう。

基本的に聞かれたこと以外には答えないし、母に対して自分の内心を明かすことは決してない。遠方に住んでいる母に自分から用もなく連絡をすることはまずないし、あちらからときどき連絡が来ても「うん」とか「はいはい」と返すだけで精一杯で、たとえ日常のことであってもこちらからなにか突っ込んで質問することはほぼない。

彼女なりにコミュニケーションを取ろうと思っているのか、会うとときどき軽いかんじでポンとわたしの身体に触れようとするのだけれど、それさえもイヤであからさまに避けてしまうし、座っていてフイに膝が触れたりするだけでも寒気がしてしまう。

…と、ここまででじゅうぶん母との関係性は伝わると思うので、これ以上は掘り下げないけれど(笑)。

その気になればどんな人とでも渡り合えるし、心を通わせられる自分でいたいと思っている。けれどその一方で、外から見れば親しみやすそうでいて、どこか固い壁があって近寄りがたい空気を感じさせてしまっているのであろうことをいつも自分で感じている。その根っこはやはり、母との関係性にその元があるのだろう。

けして不幸自慢がしたいわけではなく、どんな人でも親との関係性に歪みがない人などきっといなくて、強弱はあれど誰だってきっとどこかで心のパイプの詰まりがあるものなのだと思う。

言うなればそれは、カンペキな親、カンペキな人などこにもいないということであり、同じように私自身もすでにこれまでに自分の子どもを傷つけてしまっているということでもある。それはきっと、どんなに避けようと思っていても、人それぞれの感受性が違うかぎり避けては通れないことなのだろう。

物事がうまくいかないときに、ついその対象に敵意の目を向けてしまいがちだけど、その根っこは自分のなかにある。そう思うときに、どうしたって鬼のような形相の母の顔が思い浮かんでしまうのだけど。

「人は変えられないけれど、自分は変えられる」という一般的によくいう言葉はあまりにも短絡的であり、暴力的でさえあると思っている。自分てそんなに簡単に変えられるの?それができないから悩むんじゃないの?そもそも自分を変える必要が本当にあるの??と。

そんなときに、たまたま夫が図書館で借りてきた本が目に入った。



生まれた家族がよかっただの悪かっただの、
いったい何を言っているのか。



そう。そうなんだよね。
生まれた家族がよかっただの悪かっただの、いつまでも親のせいにするのは、もうやめたい。
その問題は、自分が作り出しているだけなのだから。

「変える」のではなく、「癒やす」ことができたらいいんだろうな。それも、一生をかけて。

今すぐなんとかできることではなくて、でも諦めるのではなくて。

親を変えようとするのでもなく、自分が変わろうとするのでもなく。


吐いて吐いて吐いて吐き続けたときに、ある日突然ささった棘が抜ける…
お釈迦様はそう言っています。


これもたまたま目に入って読んでみた、呼吸の本に書いてあったこと。



吐いて、吐いて、吐き続けること。
その過程のなかで、心のなかの固いものが次第に溶けていくのかもしれない。

いつかわが子が大きくなったときに、「あのときにお母さんに言われたアレが嫌だった。あのときは傷ついた。」と言われたら(いや絶対いつかそういう日が来ると思うけど)、そのときには、ちっぽけな自尊心を守って「いやあれはアナタのためだったのよ」とか「あんなにあれもしてあげたしこれもしてあげたのに、そんなこと言うなんて…」、なんてことは絶対に言わずに、「そうか。そうだったんだね。傷つけてしまってごめんね。そのときあなたはどういう気持ちだったの?」と聞ける自分でありたい、とだけは思っておこう。










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