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『愛と幻想のファシズム』 を読んで

人に勧めてもらった本を読んで、即興の感想文を書いています。


 私はむかし、広告のディレクターと呼ばれる仕事をしていたんですけど。ディレクターって、何をする人なのかイマイチ定義がバラバラなんですよ。

 所属していた会社は基本的に「何でもやる人」みたいな感じだった。お客さん先にも行くし、企画・戦略考えるし。予算やスケジュールの管理して、外部ブレーンさんのやりとりもして、人によっては自分でコピー書いたりデザインしたり写真も撮っちゃったりする。うん。してた。

 で、この会社を辞めて他の会社のディレクターを見てから気づいたことなんだけど、会社によってディレクターの仕事は全然違う。そもそもお客さん先に行かない人も結構いるし、WEB系だと進行管理するだけでもディレクターって呼んでたりする。お客さんからの修正依頼をペロッと転送してきて、「マジかよ」と思わせてくれちゃうディレクターもいたりするんですな。大丈夫か貴様???

 でね、考えたんだわ。ディレクターって何する人なんだろうと。

 たぶん、ディレクターの仕事というのは、「決める」「判断する」ことなんじゃないかと我思うんですね。もう他には何ができなくてもいい。判断基準もって、「こっちに進むぞ〜〜〜!」って言うのが仕事なのよ。これは、我々広告制作だとディレクターだけど、リーダーとかトップと呼ばれる人の仕事は、まあ大体そうなんじゃないかな〜という気もしてる。

 たかだか判断する程度のことが、何故わざわざ仕事になるかといえば、人間は判断する、決断するのが、めちゃくちゃ苦手だからじゃないですか。決定を下すのって疲れるし、正解かどうか不安だし、間違ってたら怒られるかもしれないし、そもそも判断するまで考えるのめんどくさいし。誰かに決めてもらいたい、言い切ってもらいたいんですよ。だから経営者は毎日同じ服を着てるし、誰にも相談できない女子は占いに行くんじゃないですか。

ここでやっと本の話をするんですが。『愛と幻想のファシズム』の主人公鈴原冬二がなんでこんなに何万人と抱えるファシスト政党を率いて、日本を熱狂させ、政治を操り、革命を起こす人間になれたかって、決められる人だったからじゃないかな〜と思うんですよね。読んだらわかるが、本人はとくに何か特別な技術を持っているわけでも専門分野があるわけでもない。強いて言えばめっちゃ口が上手いくらい。


 では何故ここまでのカリスマなのかと言うと、「決める」までがめちゃ早い。すぐ殺す。いま壊す。即消し去る。

 一方で、周囲の党幹部であるめちゃクソ優秀なはずのテクノクラート集団は決められない。「トウジ、お前が決めてくれ」って、すぐ言う。めちゃ迷う。どれだけ技術があって優秀でも、決めるってことができないとずっと使われる側なんだよな〜って。わかりみ。決められるって才能なのよね。逆に言えば、判断するチカラの一点突破で革命起こして日本を牛耳れるって話だったりもするのかもしれんしな。

 まあいまの日本のトップは1年以上経っても何も決断することなく雰囲気で緊急事態宣言を延長しましたけどね。反例だね〜ゆるふわステイホームだぜ。

 そういえば革命革命言ったけど、ここで出てくる政治結社、かなりオウム真理教に近いなと思いました。トップはよくわからないが幹部が優秀で政治を乗っ取ろうとしていてメディア露出が上手。化学兵器つくるところとか専属の楽団持とうとするところも同じじゃん。あとすぐポアする。

 地下鉄サリン事件が95年で、この本が出たのが90年であることを考えるとかなり先取りしてるよね。それとも世の中が不安定だとこういう団体が生まれるのって常なんですかね? じゃあいまもそろそろ出てきたりするんかな。国会に和牛でも放つか?????

 ところで最近よく仕事をしている比較的仲のいいディレクターはよく「ディレクターの仕事はすべての責任をとること」と言っていて頼もしいと思うんだけど、最近は「世界から貧困がなくならないのはオレのせい」とまでいい出したので、正直いっそ不安です。


※もし本をオススメしてくださる方がいたら、即興で感想文を書きます。

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