見出し画像

第3章【7】オーケストラの授業その2


前期のオーケストラの授業では、ベートーベンの交響曲第5番『運命』の第1楽章のみと、スッペの『軽騎兵』、弦楽だけのモーツアルトのディベルティメントK.137、シベリウスの『フィンランディア』だった。

早速はじまってからというもの、音程が定まらない私は、よく先生に怒られた。ヴィオラの先生に『どんなつもりでそんな音だしてるんだ!!』と怒られたことも、、、

 本当にどうにかしなくては、と練習するのだが、自分では、今日は大丈夫だ、と思ってのぞんでも、ダメな繰り返しだった。

もう背中に十字架を背負っているような気分だった。音程の問題は、ずっと私につきまとった。自分ひとりならいいが、オケで合奏となると、たちまちハーモニーを壊し、致命的であった、、、、


あと、授業では、私は、たぶん、はじめからあまり弦楽器コースの何人かの先生にはよく思われていなかったようで、オケの授業中、先生がDolceの意味は、などと質問して、私が答えても、なぜか無視されたりした。

まあ、こんなこともあるさ、と少なからず落ち込むけれど、気にしないようにしていた。社会人生活も長く、仕事をしていれば、どんな人もいて、自分のことを良く思う人ばかりと仕事を一緒にするわけでもなく、誤解されることも多く、いやな思いをするのは、給料の一部ではあるのだ。

その点、音大に来て、いろいろあったけれど、18歳の若い時のようには落ち込まないのは年の功だわっ、と思っていた。

弦だけの分奏で、みんなで一緒に弾く時はいいのだけど、『はい、チェロパートだけ弾いて』などと言われると、たちまち恐怖であった。

音程が悪いのが出ないように、細心の注意を払って、小さい音で弾いたりした。

チェロパートではEくんがトップを弾いていたのだけれど、ある時、『チェロパートの音をまとめるのが難しいんです、、、』と先生に漏らしていて、ヴィオラの先生が、『何言っているんだ、プロオケに行ったら、3人どころじゃなくて、何人ものチェロパートをまとめるんだぞ。うしろの変な音は、お前(Eくんのこと)がでかい音を出してかき消せ。』と言った。

『うしろの変な音』は、すなわち私が出しているのだが、E くんにこんな大変な思いをさせているのが申し訳なく、同時に自分が情けなくてしかたがなかった。

みんなに迷惑をかけているのが申し訳ないのだけれど、でもオケをやめるわけにいかない。毎日、練習は必死だった。

チェロパートのもうひとり、Hちゃんは、沖縄出身で、とてもかわいらしく、おっとりとしていて、私の面倒をよくみてくれた。トップのEくんも、あまり私と話をしなかったけど、いつも迷惑をかけている私にいやな顔をすることもなく、1年間つきあってくれた。

もしかしたら、Eくんにしたら、いやでしょうがなかったけれど、私があまりにもおめでたくて、それに気がつかなかったのかもしれない。

またあとで書くが、私は、コンマスのヴァイオリンのOくんにひどく嫌われていて、挨拶をしても、かーなーり、イヤそうな顔をされるので、挨拶をするのも申し訳なくなり、途中から会ってもこちらから挨拶をしなくなった、、、という悲しい思い出もあるのだった。下手な私が悪いのだけれど。

低弦パート、すなわち、チェロとコントラバスは、一緒に弾くことが多く、メンバーのAちゃん(女の子)と、Sくんは、とても気さくで、話しやすく、助かった。

オケの授業には、チェロのA先生が来て指導をしてくださったのだが、ずっと私の隣で弾いてくださったり、弾き方を指導してもらい、先生のいないアフリカ奥地でいた時のことを思うと、夢のようだった。

オケの授業では、年の功で極度には落ち込まない、とはいえ、少なからず、心がズタズタになることが多かった。そんな時、チェロの個人レッスンで、私の師事教官のK先生にいろいろと愚痴をもらすことが多くなっていたのだが、長年、プロオケでトップだった先生からすると、私がそんなことを言っても『ガッハッハッ、いいな、勉強になっているな。』とおっしゃるだけで、まともに取り合ってくれなかった。

オーケストラの授業については、おいおい、書いていきます。

次回は、1年生の火曜の授業です!


御礼⭐︎写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました。



チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!