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Aldebaran・Daughter【4】そして、彼女は置き去りにされた

「お茶、淹れますね」

「有難う」

 部屋のドアが閉まり、ようやく一人になれた。
 オリキスは布を棒状に丸めて編んだ敷き物の上に座り、一文字も読み落としがないよう、解読を再開する。

 各国の内情。
 遺跡調査。
 風習。
 地形。
 解読がラクな文章はジャーナリストらしい記録と、明るい冒険家の平凡な日記。資料室に行けば手に入る、三流以下の情報だ。
 そう、表向きは。

(あなた方は騙せたつもりでも、僕はすんなり引く男ではありませんよ)

 解読に手間取る文章のほうは、著者の黒い興味が詰まった活動記録。
 親の素性について何も勘付いていないエリカが読んだら激しく戸惑い、恐らく眩暈を起こして倒れるだろう。
 オリキスは相手の裏の顔を知っている分、冷静に読み進めることができる。

(初めて見る植物を使った、劇薬の調合レシピ)

(巨大且つ、凶悪な魔物をラクに仕留めるために張る罠を、短時間で作る方法)

(血を使った追尾から逃れたいときの、痕跡の消し方)


「…………」


 知識を増やして損はしない。だが、欲しい言葉が落ちているのではないか期待させてくれる所まで辿り着けず、古語を混ぜて解読に時間をかけさせる著者の巧妙な計画に乗せられ、心のなかで軽く苛立つ。
 おまけに

【旨かった!ゲテモノ組み合わせレシピ!】

 本心から気に入って書き残したと思しき、不必要な経験談も混ぜている。挿し絵付きで。

「ふう……」








 本を一冊読み終えると、後方から二回ノックする音が聞こえ、振り返る。
 ドアが開き、エリカが顔をひょっこり出した。

「お疲れ様です。お茶の用意ができました」

「エリカ殿、書物を借りていいかい?」

「はい。その代わり、読み終わったら返却に来てくださいね」

「恩に着る」

 此処で寝泊まりすれば、一週間も経たないうちに、この部屋の全ての書物を読破することは可能だ。
 請わなかった理由は簡単。
 相手は婦女だ。同棲を願い出るのは難しい。彼女が許可しても、バルーガに猛反対されるだろう。

 懐に未読の書物を一冊入れてドアを開け、エリカの後ろを付いて歩く。
 白い土壁の台所へ入ると、香ばしいお菓子の匂いがした。

「呪いって、やっぱり怖いものですか?」

 オリキスは後ろへ引いてくれた木製の椅子へ座り、ほんのり渋い緑色のお茶が入っているカップの取っ手に指を絡めた。

「君は長い年月、両親に会っていない。不幸か?」

 質問を受けたエリカは、考えながら向かい側の席へ座る。

「寂しさは不幸に入りますか?」

「捉え方次第さ」

 エリカは「なぞなぞ?」と思った。
 正解か確信は持てないが、素直に答える。

「島のみんなに支えられて、私もみんなを支えて、今日もご飯が美味しいです。両親の不在が不幸とは言えません」

 オリキスはテーブルの中央に置いてある籠のなかの、丸で型抜きしたクッキーへ手を伸ばす。

「そのように、僕の言う呪いは人によって捉え方がまちまちでね。呪いを受けた大半の者はチカラを利用して、出世を果たした。反対に僕を囲う周りの者は、五月蠅い輩を寄せ付ける傍迷惑な怨念だと考えている。早く消えて欲しいよ」

 エリカは温かいクッキーをリスのようにぽりっとかじり、オリキスはカップの上で三等分に割ってから上品に食べる。

「……外の世界は窮屈ですね」

「上層と一部がね。世のなか、悪いことばかりではない。君も島を出たら分かる」

 二人は一枚を食べ終わるまで沈黙。エリカは指同士を擦り合わせ、カップのなかにカスを落とす。

「島を出る、ですか」

 エリカは元気なく、ぽつりと呟き、オリキスの顔を見る。

「昔、この島の周辺にある海域は穏やかで、水霊が現れず、平和でした。信じられますか?」

「信じる」

「有難うございます。…………子どもの頃、私は外の世界を知る両親の姿に憧れて、こっそり島を出ようとしたことがありました。バルーガともう一人の幼馴染み、ヒースも一緒に」

 "でも--"

「海中から現れた巨大な竜に行く手を阻まれちゃって、慌てて引き返しました」

 エリカは小さく笑い「口が開いた瞬間に、食べられると思ったんですよ」と振り返る。

「それが、私たちの言っていた事件です」

「……バルーガとヒースは、無事に外へ出れた。君は?なぜ、出ない?」

 オリキスの質問に、表情が強張る。
 今度は叶うか、わからない。
 また、同じことになる可能性がある。

「『時期が訪れるまで、お利口さんにしてなさい』。両親はそう言って私の頭を撫でながら、あやしました。あのとき約束したんです、待つって」

 カップに入ったお茶のなかに涙の粒が落ち、ぽちゃん、と小さな波を作る。

「時期っていつですか?行方を追いかけたいのに」

 不自由無く過ごせることを幸せだと信じ込み、ぽっかり空いた穴を笑顔の岩で塞いだ。
 奥にある空洞はそのまま。

 知りたいことが山ほどある。
 何処に居るの?
 顔が見たい。
 会いたい。

(……僕とバルーガで連れ出すのは、少々骨が折れそうだ)



 --コツ、コツ



 硬質な何かが硝子を突っ付く音に二人は反応し、横を向いて窓を見る。ヌシ様と呼ばれていた水鳥だ。
 エリカは左手で涙を拭うと立ち上がり、移動して左右に窓を開ける。
 ヌシはエリカの肩へ飛び移り、足の爪を引っかけて留まると、甘えるように顔へと擦り寄り「泣かないで」と慰めた。

「ふふっ、擽ったい」

 エリカの顔に笑みが戻る。
 すると、ヌシは翼を広げて羽ばたき、テーブルの上に飛んで行ってオリキスの顔を見上げ、観察を始めた。
 注視する相手を変えただけで、敵意はない。

(呪いが臭うのか?)

 視線で語りかけたが、反応はない。

「……」

「……」

 近距離で見つめてわかる、人間の闇を塗り潰したかのように黒いヌシの瞳。気味が悪い。弟が此処にいたら「去れ!」と言って怒るだろう。

 エリカはオリキスの横に来て、籠のなかの余っているクッキーを一枚、ヌシに差し出す。視線はオリキスから外れた。

「お食べ」

 ヌシは嘴の先端で咥え、開放してある窓から外へ飛び去る。
 オリキスは床を見下ろした。
 あれだけ翼を動かしたのだ、床に羽根を落としているはず。だが、……落ちていない。
 魔物か、水鳥の使者か。
 シュノーブで聞いた話が真実である可能性を指し示す、ヌシの不可解な行動。

「あの子、私が作る木の実入りのクッキーが大好物で、嗅ぎつけるの毎回早いんです」

「客が来るたびに、あれはガンを飛ばすのかい?」

 客人を怒らせたと思ったエリカはあたふたし、胸の前で両手を左右に振り、否定する。

「いいえ、しません。不愉快にさせちゃいましたか?ごめんなさいっ。自信はありませんけど、強請る相手を見間違えるほどお腹を空かせていたのかも!」

 強請る?
 あの様子が?

(鈍感な娘だ)

 気楽に捉えてよいならそうしたいと、オリキスは思った。

「にしても、バルーンってば遅いですねっ。お客様を待たせるなんて」

 久々の故郷だ、おおかた家族か地元の顔馴染みに捕まっているのだろう。
 迎えに現れる時刻が遅くなるなら部屋に篭もり、解読の続きをするのも有りだ。

(一つ、気になることがある)

「エリカ殿。これからアーディン殿に会えるかい?」

 彼女の親代わりをしていて、古語を混ぜた書物が並ぶ部屋に入ったことがある人物。

「はい!今日は事務局にいます。ご案内しますね」

 外出の準備に入ろうとするエリカへ、オリキスは口で「待ちたまえ」と制止を呼びかける。

「急がないよ。お茶をいただいてからにする。好意を無下にしたくないのでね」

 カップに口を付けるオリキスの親切心に、エリカは喜んだ。

「有難うございます」

(続く)

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