Aldebaran・Daughter【7】古き地に残るその痕は
その日は世話になるお礼に、旅の話とシュノーブの話をしてバルーガ家の歓談に付き合い、夜は道中の疲れを癒やすために早く休んだ。
*
瞼を開くと、薄暗い天井がボヤけ気味に映る。
朝が近い。
正確な報せ。
オリキスの体内時計は、場所を変えても狂わない。
右手の人差し指の側面で目を拭い、見えやすくしてから体を動かし、床の上に立つ。
バルーガは大きな口を開け、ベッドから落ちそうな寝相で熟睡している。暫く、目を覚まさないだろう。
オリキスは頭もとに置いてあった眼鏡をかけ、昨晩ポールに吊り下げた服の内ポケットに手を突っ込み、エリカの家で借りた書物を手に、音を立てぬようベランダに行く。
外は日の出時刻。
ロッキングチェアに深く腰かけて膝の上で書物を開くと、黒いインクで文字が書かれているページに、オレンジ色の文字がキラキラと浮かび上がる。
オリキスは空を見た。
(朝陽で仕掛けが作動したのか)
著者《ワイバーン》の用意周到さに、笑いを零しそうになった。
逸る気持ちを抑えながら、浮かんだ文字の訳に入る。
言語は妖精語。
一般人が教養で習うことは、まずない。
加えて、妖精語には種族ごとに微妙な違いがあり、悪戯っ子な気質から、二重に別の仕掛けを施す魔法が多い。
目の前に並んでる文字は、……
オリキスが右手の親指と人差し指をマッチのようにシュッと擦り合わせて小さな火を出すと、オレンジ色の文字は火を纏った妖精に変身した。
「やぁやぁ、鍵を見つけたのか。
あー、おめでとう、おめでとうー」
言葉とは裏腹に祝福する気は皆無な、どうでも良さげな態度。寝起きの妖精は背伸びをして「ふああぁぁあ~~」と、大きな欠伸をした。
オリキスは質問する。
「君は何を守っているんだ?」
「えええっ、読まずに召喚したの?お兄さん、馬鹿でしょ?」
妖精はぷんぷん怒ったが、
「直に話を聞いたほうが、手っ取り早いと思ってね」
オリキスの自信に満ちた薄い笑みに只者ではない雰囲気を察知した妖精は、むむむ、と表情を歪めて両腕を組む。
「嫌だなぁ~、手間暇省く奴に教えるの」
「急げるなら急ぎたいんだ」
「へんっ、短気な奴。耳の奥かっぽじって、よぉく聞けよ!」
偉そうに顔を指差されたオリキスは、黙って頷く。
「……」
「……」
「……」
「……教える気がないのか?」
妖精は後ろを振り返り、地上を見たあと、オリキスのほうへ向き直る。
「無粋な輩がいる。機を見て、再びあんたの前に現れてやるよ」
「!!」
欲されている情報を与える気が失せた妖精は一瞬で一つの光の粒に変身し、弾けて消えた。
オリキスは立ち上がって、ベランダの手すりへ駆け寄る。下を見たが、緑色の葉っぱを被った木々が生えているだけで、誰もいない。
オリキスは後ろを気にしながら手すりに背を向け、書物のほかのページを捲ってみる。反応はない。
(好機だったのに、邪魔されたか)
書物を閉じて部屋に戻る。
ドスン!!
バルーガはとうとうベッドから落ちて床に顔面をぶつけ、痛みで目を覚まし、体をごろんと仰向けに返す。
「いってててて……」
オリキスは横に立って見下ろした。
「おはよう」
「ぁぁ……ッ、……はよーさん……」
表情を見た限り、完全に眠気が飛んでいない。
バルーガは床に左手を着いて上半身を起こし、右手で頭をガシガシ掻く。
「あー、畜生……。実家は気が緩んじまう……」
「心が休まる場所は大切だ」
「あんたの故郷、シュノーブだったっけ。離れて寂しくないか?」
オリキスは住み慣れた土地を、一年間離れて暮らしたことがない。
近しい存在の目から遠退き、身分に縛られず動く。日々貴重な体験ばかり。
後にも先にも、得られる自由はいまが最初で最後。
願いを叶えるために行動しているのもあって、寂しさを感じる暇がない。
「微塵も」
「どうせ、帰国するもんな」
吐き捨てるように言ったバルーガは立ち上がり、上着を脱いでベッドにぽいっと投げる。
オリキスは自身が使っているベッドの横へ移動し、ズボンを脱いで下着一枚になるバルーガへ質問した。
「君は定年を迎える前に、帰郷するのかい?」
「親が元気なうちに帰りたいな。アンズ、三年後には島の外へ出たい言っててさ。あいつが出ちまったら、数年後には老後を世話する奴がいるじゃん」
「優秀だな」
「どうだか。地図の隅っこ同士、会いたくても会えない距離で暮らしてるバカ息子だぜ。親不孝だろ」
「ならば、滞在中に親孝行しておけばいい」
「へっ。言うねぇ」
優等生はそちらのほうだとバルーガは苦笑いを浮かべ、ポールにかかっている上下の服を取って着替えた。
二の腕から手まで露出した二分袖と、鍛錬で作り上げた筋肉質の脚が見える五分丈の半ズボン。
オリキスは薄手の長袖に着替える。ゆったりと余裕があり、丈は膝まで。八分丈の長ズボンも締め付けがない。
二人とも民族衣装。
島民らしい生活への第一歩だ。
「くくく。バーカーウェンの暑さを、とくと味わえ」
昨日のオリキスは涼しい顔で一日を過ごしていたが、今日は特殊効果を施していない服。バルーガはバテる姿を想像してニヤニヤする。
オリキスは襟の内側へ手を入れ、紐付きの、水色の丸い石を取り出して見せた。
「この耐火アクセサリーで、体感温度は風呂の適温にまで下がる」
「!?そんな大層な物を付けてたんなら、島へ向かうときに貸してくれたって良かったじゃねーか!性格悪いぞ!」
「緊急事態が来たら貸そう」
「不穏なこと言うなよ」
どれを取っても素直に捉えさせる雰囲気を持つオリキスに、バルーガは降参した。
(続く)
2020.05.18.公開
2022.02.27……『小説家になろう』版の文章に修正
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