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惜別野球人【内海哲也、福留孝介篇】

 平成野球を支えた選手が今季は大量にユニフォームを脱ぐこととなりそうだ。それぞれ巨人のエース、中日、阪神の中核として活躍した内海哲也と福留孝介はもう引退を決めているので、今回はこの2人の思い出を書いていくこととした。

「西武の内海」を見ることが出来た喜び

 個人的に、中日ファンでありながら僕は内海のファンだった。平成27年頃に肩を故障してから、引退まで1度も2桁勝利がなかったがそれでも本格派から軟投派へとシフトチェンジし、先発ローテーションをベテランとして支えていた姿には男として惚れたことを覚えている。

 内海の入団経緯は紆余曲折がある。オリックスに指名されながらも、祖父が巨人の選手だったことから巨人からの誘いを心待ちにし社会人野球へと進んだ。意中の球団のエースとなった内海だったが、平成30年のオフに炭谷銀次郎の人的補償として西武への移籍が決まったのだ。当然、内海本人には誘いを断って引退するという選択肢があっただろうが、文句のひとつも言わずに西武へと移籍し、移籍先で若手選手にこれまで培ってきたノウハウを惜しげも無く投入したのだ。やはり、巨人軍のエースという大役を数年間も全うする選手の器は大きいのだなと感じた。引退後、指導者としてオレンジ色のユニフォームに袖を通すことを期待している。

阪神で生き返った福留

 僕が野球を見始めた頃は、もう既に福留は阪神にいたのでMLBよりも以前の姿は知らないが、それでも不惑で阪神の中核を務めていた姿は印象に残るものがあった。

 中日移籍後は頼れるベテランとして好機の切り札として活躍したが、親子程の年の差がある伊藤康祐と鵜飼航丞と共に「こうすけトリオ」を組んでいたものの若手の出場機会を奪っているような起用法が続きあまり福留に思い入れのない僕としては複雑なものがあった。立浪和義監督と同じPL学園の出身ということで、引退後は打撃あるいは外野守備のコーチになると予想する。

最後に

 各球団、70人の枠があるNPBでは、楽しみな新顔と同じ数だけ去る選手がいるのだ。「散ればこそ、いとど桜はめでたけれ、憂き世に何か、久しかるべき」とはよく言ったもので、永遠に活躍が見られないからこそ現役選手の活躍を楽しみにし、そしてリスペクトすることこそ我々野球ファンの真理だろう。

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