球場観戦記@京セラドーム大阪
日帰りで大阪旅行をしたついでに、初めてナゴヤドーム以外の他球団フランチャイズ球場で中日戦を観戦した。大変結構なもので、良い思い出となったので今回は長々と観戦記、旅行記を書いていく。
やはり多くなった中日ファン
大阪へと向かう電車の中で、パラパラと中日のユニフォームや帽子を着用している方々が多く、さあ行くぞと言った感じであった。球場に入った時、「やっぱりな」と感じるほどに中日ファンが多く入っていた。
中日ファンの僕としては、これを「立浪効果」の一言で片付けてしまうわけにはいけない。中日ファンの多くが、今季より発売が開始された背番号60の岡林勇希のユニフォームや、背番号4の鵜飼航丞のユニフォームを着用したり、赤、白、青のトリコロール・カラーに新調されたリストバンドを着用したりと新規のファンと思われる方々が多く目立った。
少し驚いたのが、大阪弁を話す中日ファン(特に小学生くらいの子供)が多くいたことである。この試合で後ろの席にいた大阪弁を話す親子2人は、付き添いの父親は全く野球に興味がなさそうにしているのに、息子は「野球博士」と言った感じで微笑ましいものであった。中日という球団が全国区になるには、まずは阪神のお膝元である関西地区が大きなハードルとなるがそのハードルを超える日も近いのではないかと正直に思った。
拮抗した投手戦
今や球界の横綱となり、トレーニング方法や変化球などで様々なえ影響をNPB全体に広めている山本由伸とプロ初先発の鈴木博志が相対した為、観戦前からワンサイド・ゲームになってもおかしくないという見立てをしていたが鈴木博が踏ん張り中日が快勝した。
山本も、援護が乏しい中素晴らしい投球を見せていたが、元オリックス戦士である三ツ俣大樹に粘り負けをしてしまい無念の敗戦投手となったが、最終イニングの7回を終えマウンドを下りるとと同時に右翼、一塁側のオリックスファンから鈴なりの拍手が起こり、負けても客に「いいものを見た」と思わせる勇姿にエースを見た。昨年はシーズン、五輪、日本シリーズとフル回転した疲労もあるだろうがこの投手はこの疲労を乗り越えたら球史に残る投手となるだろう。
球界再編から20年が経とうとしている今、残るモヤモヤ
これは僕のような狂信的なファンしか違和感を覚えないことだろうが、オリックスの歴史展示コーナーにこのようなものがあった。
上の写真の通り、阪急ブレーブス、オリックス・ブルーウェーブ(以下BW)と近鉄バファローズのペナントやユニフォームが一緒になって展示されているのだ。セ・リーグで例えたら、10.8決戦の隣に平成19年のクライマックスシリーズでの中日下克上が展示されているようなものだ。当時のパ・リーグの経営状況がこの悲劇を産んだとはいえ、オリックスは是非阪急やBWの展示を阪急西宮球場の跡地である西宮ガーデンズや、BWの本拠地であったほっともっとフィールド神戸で展示して欲しいと切に願っている。
球界再編があったからこそ
悲しき球団再編問題があったからこそ、オリックスにはファンサービスという他球団にない強みがある。「1+1=0」と言われ、離れてしまったファンの足を呼び戻すための苦労がこれに繋がったと言えるだろう。
まず、球場演出が他球団よりも流行りに乗っているのだ。
上の写真のように、流行りの曲を使い、流行りのTiktokのような球場演出をしたり、ジャニーズのグッズにあってもおかしくないようなグッズを展開しているのだ。流行に敏感な若い女性をターゲットとした素晴らしい戦略である。ナゴヤドームのような、「野球を見せる」ことに徹するスタイルも素晴らしいが、大阪ドームのように遊び心を入れた演出もまた素晴らしい。
最後に
オマケとして、ここまで読んでいただきた皆さんにお土産代わりに旅行の写真をあげていく。
成人してから初の旅行。今後も時間とお金が許す限り、色々な場所を廻りたいと思った。
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