その10 追憶〜今伝えるなら〜
お葬式までの流れはあっという間で特に記憶もない。ただ、学校の先生、代表、タクシー会社の方々、親族と普段会わない人たちも会えた。しかし親戚は冷めてるというよりも無関心なのか父が焼かれてる間特に会話もせず歳の近い子に至っては黙々と勉強していた。それがなんだか当てつけのようにも感じて気分が悪かったのを覚えてる。こんな遠くまでこさせられて勉強の時間さえ奪ってくれるなと。
周りはずっと哀れんだ顔で声をかけては慰めの言葉をかけるが私はその時は悲しいとかそんな感情はまるでなかった。嫌いだったから。少し悲しく思ったのは父の母、いわゆる私からすれば祖母を見たときだ。少し痴呆症が出ていてだれのお葬式かもよくわかっていなければ久しくみる親戚にお経が唱えられている間明るく声をかけてしまうほどだ。緊張感のあるなかの不意な行動に姉と笑いを堪えていたのを今でも覚えてる。
母も離婚寸前でのこの事態に悲しみよりも怒りが強そうであった。それはそうだろう。自らの母親さえも置いて先にいくなんて私からしてもなんて親不孝なんだろうと。
頑張って父に同情しようとも思った。鬱だったから、頼る相手がいなかったから…でもその世界観を作ったのは結局は自分なのである。私は大人になった今でもそう感じる。
そして私は消えないトラウマを残すこととなった。ふと彼のことを思い出す時に、あの時気づいていればと後に思っては今でも自分を責めている。周りは悪くない、仕方なかったと諭してくれるが残された傷は深く刻まれている。
私は男性が苦手だ。女家庭で育ってきたし父との思い出もそこまでない。だから甘えることも苦手だし、どう接すればいいかさえわからない。でも…
ほんとは甘えたかったのかもしれない。
ほんとは大人になってお酒を飲みたかったのかもしれない。
ほんとは今の私を受け入れて見ていてほしかったのかもしれない。
今となっては叶わぬ願望ではあるが。
もし数十年たって大人になった私が父に伝えることがあるとすれば、どんな理由であれ無責任なあなたを全て許すことなんてないでしょう。でも産んでくれてありがとう。
いいことばかりじゃないけど生きてて楽しいよ。あなたのおかげで自死は選ばないとも決めた。どんなに辛くても。一人で生きる覚悟もある。結婚できなくても、恋人ができて上手くいかなくなっても。あなたが怠惰に生きた人生を私は楽しむ。だから心のなかで見ててね。人に迷惑をかける生き方しなければなにしてもいいって話してくれた母は器が大きいね。あなたの分まで育ててくれた母に感謝だよ。私は不器用だけど、それでも人生も、恋も楽しんで少しだけ頑張って生きてみるよ。性同一性で口唇口蓋裂で産まれたけど私を語るにはあなたの話も必要だから語りつづけていくよ。それくらいいいよね?たくさん泣いた。これからも泣くだろうけど。かっこ悪くても自分の人生生きたいから。話したいこと多いけどこれくらいにとどめておくね。
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