エッセイ|第33話 華麗なるヴィクトリアンの日々
家人の仕事に同伴して、ニューヨーク州アップステート(北部地域)の町を訪ねた時、不思議な体験をした。気のせいだと言ってしまえばそれまでのこと。でも私は……。
その通りには、ぱっと見素敵な家々が並んでいた。そう、かつては素敵だっただろう家々だ。ピンクやミントグリーン、スカイブルーの可愛らしい壁色にデコラティブな窓や屋根。ざっと100年は前のもの。ヴィクトリアン様式。しかしもう、住む人もなくて久しいのか、歪みや退色の著しいものが多い。元が良いだけに、その劣化ぶりはなんとも心ざわつかせるものがある。
心ざわつくとは……はっきり言おう。怖い。フォルム的には、車を止めて撮影しようかと思うほどに洒落た家々なのに、通り過ぎたらもう振り向きたくないような気配が漂っている。
アメリカでは、パラノーマルを扱うテレビ番組は人気だ。この手の廃屋はまさにの設定。私の感想もそんな先入観によるものが大きいかもしれない。けれど、実際に近くで見るとそれだけではないことがわかる。その存在感が言わんとすることは……思わず乾いた笑いが漏れる。
とその時、玄関前デッキに座ってこちらを見る二人の女性。「うそ、住んでいる人がいるの?」と驚いて振り返れば、そこには人影どころか椅子さえもない。バックミラーの中、家はどんどん小さくなっていった。
数時間後、街中の本屋の歴史案内コーナーで立ち尽くす私。既視感のある写真が並んでいた。家の前でくつろぐ人々。活気ある当時の様子。それはさっき、通りすがりの私が見たもの……。
思えば彼女たちは、なんとも時代錯誤な服装だった。ご丁寧に帽子まで被っていたような気がする。二人して、黒いレースの何かが印象的だったのだ。
それは、どこかで見た記憶のカケラだったかもしれない。イメージが重って勝手に脳が作り出したいたずら。けれど、もしかしたら……。
私はコーナーに積まれていた小さな本を買った。町の名がタイトルの、20世紀初頭のアメリカ建築についての本だ。華麗なるヴィクトリアンも多い。白黒写真をパラパラとめくれば、いつしかそれは鮮やかに色づいて…。
彼女たちはあの家で、今日も仲良く通りを眺めているのだろうか。