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【アルギュストスの青い翅】第6話 青き毒の部屋

 内から取り込んでも外から与えられても、どちらも毒には変わりない。だけど毎日うんざりするほどの量の薬を飲むのは決して楽なことではない。
 アルギュストスの美しさもあって、ヴィーはディカポーネの提案を受け入れた。薬を服用しつつ、少しずつ環境を作っていく。こうして、ヴィーの部屋でアルギュストスを増やす計画は始まった。

 まずは湿原地帯の再現だ。アルギュストスにとってロトは必要不可欠。それも湖に育つ特有の、どこよりも輝くロトを育てなければいけない。そのためには特別な水が必要になる。そう、湖の水だ。常に循環する運河の水を引き入れているヴィーのプールは、これ以上ない条件を兼ね備えていた。
 やがて、運び込まれたロトは湖と同じように成長し、アルギュストスもそこに驚くべき速度で順応した。ヴィーは予想よりもずっと早く、大量の飲み薬から開放されることとなったのだ。

 けれど一方でそれは、ヴィーと家族の関係を変えることになる。部屋に飛び交うアルギュストス、毒に満ちた場所に入れる常人などいるわけがないからだ。扉一枚を隔て、家族は引き離された。愛ゆえの行為だと理解していても、なかなかに辛いものがある。

「でも、それもディカポーネが助けてくれたよ」

 毎日やってきて記録を取る誰かが、一時間はヴィーと話ができる。この世界の中で、アルギュストスの毒に対抗できるのは、共に歩んできたディカポーネだけだ。時間は限られているけれど、おしゃべり上手で異国のことをたくさん知っていて、すごく勉強になるんだとヴィーは嬉しそうに教えてくれた。
 
 薬学研究のために大陸側に出たメンバーはみな、知識も豊富だし社交性もある。でもヴィーと楽しく話せるとなると……俺と年の近い従兄たち辺りだろうか。それが誰だか聞いてもよかったけれど、親父が秘密にしていることを聞くのはなんだか気がとがめたし、ヴィーの口から特定の名前がでないところを見ると、きっと何かあるのだろう。それには触れないべきだろうと思った。

「痛みは押さえられてるし、アルギュストスが舞う様子はたまらなく美しい。だからみんなに来てほしいんだけど……それは、叶わぬ夢だよね……」

 そう呟くヴィーはとても寂しそうだった。アルギュストスの毒は特別だ。なによりも美しくてなによりも残酷。俺はそれに翻弄されている自分自身を振り返る。俺たちはともにそれに癒され、そして苦しめられているのだと思うと、なんとも不思議な気分だった。
 
 俺はヴィーの横顔を見つめた。顎のあたりで綺麗に切り揃えられた髪。さらさらと揺れる白金が月光に映えていっそう輝いている。細い骨格も相まって、ヴィーはとっても中性的に見えた。その姿は、夢中になって読んだ物語の中の麗人のようで、ついつい見惚れてしまったけれど、同時に今すぐにも月光に溶けてしまいそうな気がして胸が騒ぎ、俺は慌てて言葉を探す。

「俺が……俺が行ってやるよ。すっげんだろうな。楽しみだ。毒? 大丈夫、なんの問題もない。だって俺はJだよ。俺が、アルギュストス、なんだから」

 そんなこと、自分から言ったことはなかった。自分を苦しめるだけの言葉。だけどヴィーにはきっと何よりのはずだ。
 果たしてヴィーは目を輝かせ「本当に?」と声をあげた。しかしすぐに意気消沈する。

「でも……やっぱり、すぐに帰らないとダメだよね……。一時間が限」

 俺はヴィーの弱々しい言葉を首を大きく振って遮った。下手な演技をどこまでも続けるつもりだ。自分は毒の蝶だと大声で宣言したあとは、声を潜めてひそひそと内緒話。

「一時間? なにそれ。みんなには秘密なんだけどさ、俺にはアルギュストスの毒は効かないから。何時間だって一緒にいて平気なんだよ」

 そう囁けば、ヴィーは大きく目を見開いた。それからくしゃっと顔を歪めて笑った。喜びが痛いほど伝わってくる。
 俺はそんなヴィーを見ながら確信していた。俺の言葉は半分本当で半分嘘だ。だけどきっとそれは真実になる。俺はヴィーの部屋でヴィーと同じくらい快適に過ごせるだろう。

 そしてふと気がついた。それはなんとも表現しがたい違和感だった。ヴィー……その服……。繊細なレースがついた丸衿の長袖シャツ、きっちりとしめた襟元には青いリボンが結ばれている。夏の深夜なのに、だ。なんと言うか実に改まっている。そして、それは何かを思い起こさせる。

(……そうだ、あれだ! あれに似てるんだ)

 俺の脳裏に浮かび上がったものは美術館に飾られている古い時代の肖像画だった。簡単に言えば古風なというやつだろうか。とにかくそれは俺の周りでは一切見ないような服装だったのだ。
 けれどヴィーの家は運河を利用したすごい部屋を作れるくらいのお金持ちで、言ってしまえばヴィーは飛び抜けて良家の子女というわけだ。こんな風にかしこまった格好をしていてもおかしくはない。それに、それはヴィーによく似合っている。何の問題もないだろう。そう思って、それ以上深く考えるのはやめた。
 
 しかし、美しい人というのはなにを着ても美しいだろうが、ヴィーの場合、壮絶な毎日がよりいっそう彼を美しく見せているのかもしれない。などと考えていたら、ヴィーが俺の左手首に触れた。予期せぬ痛みに震える。

「ごめん、痛かった? それ、怪我? 」
「ああ……ちょっとな。だけどお笑いだよ。こんなときに必要なアルギュストスの毒が俺には効かない。どんな強い薬も俺の痛みをどっかにやったりできないんだ」

 ヴィーが綺麗な眉をぎゅうと寄せた。それこそ、痛みを堪えるように。

「毒が毒じゃない……。そうだよね、Jなんだもんね。でもそれなら……。ねえ、J。僕を信じていて」

 そう言うとヴィーは再び俺の左手首に手を伸ばした。ぎゅうと、さっきよりも強い力を感じ、俺は襲ってくるだろう痛みを思って密かに身構えた。しかし何も起こらない。いや、そうじゃない。熱を持っていたそこが嘘のように凪いで、柔らかく温かいものに包まれたような気がしたのだ。

「な、んだ……?」

 したり顔のヴィーに促されて包帯を解けば、そこには、血の滲む傷口ではなく、鱗みたいなかさぶたに覆われた手首があった。

「これっ! ……治ってる?」

 もちろん痛みだってない。何がどうなっているのか理解が追いつかず、俺はまじまじと自分の手首を見つめるしかなかった。


第7話に続く https://note.com/ccielblue18/n/n5d2a69ae0564
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