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エッセイ|第38話 Annie's Garden 早春の約束3(最終回)

きっと部屋を訪れた誰かに促されて渋々貼ったのだろう。それだけ言うと、もう興味もないとばかりに首を振った。

それから、嬉々として旦那さんの話が再開される。もちろん、そんな彼の写真は綺麗な額の中だ。それも若くて凛々しい姿。私は、アニーばあちゃんご自慢の恋バナしか知らない。そこに輝いている旦那さんしか。二人のそれからの方が圧倒的に長いのは言うまでもない。だけどそれでいいと思った。

幸せそうに笑うばあちゃんはとても可愛らしい。自分にとって大切なものをどこまでも素直に愛する人。その様子に、価値あるものという言葉を思い浮かべずにはいられなかった。当てはめる意味が難しい言葉だと思う。けれどいつか、私もそう呼べるものを見つけてみたいものだと、そうも思った。

アニーばあちゃん。もう、彼女に会えないことはわかっている。それだけの時間が流れた。ずいぶん不義理をしてしまった。ランチの借りは返せず終いだ。菜園はどうしただろう。人気の街。不況の中でもシティの家賃は上がる一方だ。ビル一つ建てられる場所が、今も残されているかどうかは怪しい。

けれど、私は奇跡に遭遇した。熱帯低気圧の影響で強い雨降る日曜日。所用でブルックリンを移動中だった私は、ふと思ってあの通りを目指した。わき道にそれるほどでもない。ちょっと見るだけだ。ちょっと。そして……ずっと見たかったものを見た。

窓ガラスに叩きつける雨滴の向こうに、記憶よりも鬱蒼とした空間があった。ビルは建っておらず、あの日のままだ。言葉がなかった。向かいのばあちゃんが住んでいたビルを見ることは叶わなかったけれど、街並みは変わっていなかったから、きっとそれもそのままだろう。あの菜園が、”Garden of Union” という名で、今も大切に保存されていると知ったのは帰宅後だ。

「また来るよ。約束する」

私は心の中でアニーばあちゃんに言った。あの部屋に招かれる日はもうやってこない。けれど、あの庭に足を運ぶことならできるのだ。

季節は廻る、時は流れる、けれど想いはそのままに。春はまた、クロッカスを連れてくるだろう。素敵な生き方を見せてくれた人。ビルの谷間の楽園には、今日も優しい笑顔が残されたままに違いない。



→ Annie's Garden 早春の約束1
https://note.com/ccielblue18/n/nbde0792e2b5b
→ Annie's Garden 早春の約束2
https://note.com/ccielblue18/n/n8dc6349c15eb




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