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巣立っていく日のテーブルへ向けて

俺たちの子供時代のホリデーって、これが最後なんだよなあ。

長男17歳、高校4年目最終学年。すでに大学申し込みの第1回目がスタートして、あれこれ結果も舞い込み始めたこの時期。進学する子、就職する子、道はいろいろだけど、休み時間に顔を合わせた友人たちは、そんなことを話し合ったらしい。地元公立学区内、長い子たちは幼稚園からの付き合い。

授業後のスポーツや音楽やその他あれこれ、アフタースクールバスがない時間の足はもっぱら親。さらには週末の練習や学校外でのトーナメントやコンペティションも。そんなわけでなんやかんや言っても親との密着度はかなり高い。もちろん送迎だけではなくてその後応援にも回るわけだから、必然的に仲良し親子が多くなる。アメリカ郊外の高校生たちの典型的なスタイルだ。

そんな彼らがそんな話をしていたなんて。なんだかジーンとなった。進学にしろ就職にしろ、家から通う子だって多いと思う(ここは大きな州立大学のある町だから)。それでも彼らは彼らなりに巣立っていくことを感じてるんだなあ。彼らなりのけじめっていうか。それはふと漏らした、なんとなく思った言葉だったかもしれないけれど、でもちゃんと、時間の経過を感じてるんだって思った。

来年以降だって感謝祭は続く、クリスマスも続く。遠くへ行ったってよっぽどの事情がない限りはみんなそんな休暇には帰ってくる。そして家族で同じように食卓を囲む。大学生ともなれば休みは高校生以上に長いだろう。それでも彼らの子供時代は終わるんだ。

やるなあって思った。そういうのいいなあって。そして、私たち親も頑張らなくてはと思わされた。案外、依存しているのは親の方かもしれない。面倒臭いなあ、大変だなあなんて口では言いながら、どの親も子供の活躍に目を輝かせているんだから。親が大変だと思うようなスケジュールをこなしてる当事者たちは立派だと、ちゃんとみんな分かってあげているのだと思う。

"I'm proud of you" は本当によく聞かれる言葉だ。あなたは私の誇りよ、私の自慢よ。親がそれを言い切り、子供がそれを受け入れる。なんだかこっぱずかしいような気もするが、これはもうここでは大前提のようなところがある。

ロングアイランダーは子供に甘いと言われるしそれは一理あるけれど、それでも褒めて育てられた子供たちはおおらかで自信に満ちていて人にも寛大になるような気がする。確かに一歩間違えれば尊大で、そのくせ脆くて弱いお山の大将になってしまうかもしれないし、実際小さい頃にはそんな子も少なくない。けれど、それもまた年齢が進んでいくとともに変わっていくように思う。

なかなか大変な課外活動での友人たちとの切磋琢磨が彼らを少しずつ大人にしていく。そのためにも課外活動への参加はとても意義あるものなのだと感じる。準備に送迎に大変でも十分お釣りがくるのだとここ数年で実感した。親が教えてあげることができないものが、同じ歳の仲間たちとの中にたくさんある。だから、親がしてあげられることは、そんな環境を与えてあげることだと私は思っている。

子供時代最後のホリデー。高校最後の年の感謝祭にクリスマス。私も彼らの思い出に残るようなテーブルを演出しようって思った。心を込めて、家族で囲む楽しさをいつまでも思い出してくれるような、そんな時間を。

なんて考えていたのになんだかんだ時間がなくなって、結局またいつものようにバタバタしてしまったけれど、とりあえず感謝祭は無事に終了。そして休暇は終わり、週明けからまた、冬季コンサートにフェンシングの対抗試合、VEXコンペにサイエンスオリンピアの準備、と例年の忙しさがスタート。

どうにか撮った感謝祭の写真のチェックも終わっていないけれど、今週末は同じ学校区のもう一つの高校で行われるフェンシングのトライミート(3校での対抗試合)。私も朝から応援に行く予定なので、投稿記事を書けるかどうか怪しい、、、でも感謝祭の記録はできるだけ近いうちにアップしたいところ。週折り返し、もうひと頑張り。

サポートありがとうございます。重病に苦しむ子供たちの英国の慈善団体Roald Dahl’s Marvellous Children’s Charityに売り上げが寄付されるバラ、ロアルド・ダールを買わせていただきたいと思います。