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自分と向き合った休職期間

2021年3月12日。
自分にとって、節目である30歳の誕生日に受け取ったものは『うつ病』の診断書と1ヶ月の休職診断。

衝撃が走った。ただ、体調がおかしいことは分かっていた。
寝てもずっと頭の中で「タスク」が呼応するのだ。
〈寝たら、疲れが取れる〉
なんて嘘。毎日をこなすのに必死で、日曜日の夜がこんなにも怖いものなのかと、震えたったほどだ。

ダイエットもしていたが、明らかに年明けから一気に体重減少が進み気付けば1年間で-20㌔。
過食嘔吐も繰り返していた。
自分で感情のコントロールも、徐々に効かなくなっていった。
限界だったのだろう・・・、誕生日🎁を祝ってくれていた彼に「病院に行こう」と告げられ、人生で初めてメンタルクリニックを訪れた。
先生に一言「辛かったでしょう」と言われて、子どもの様に泣いた。
恥ずかしいなんて、関係なく嗚咽をあげてワンワン泣いた。

そこからは世界が止まったようだった。
今まで、履歴書に一切の空白も空けずスケジュール帳に「丸一日予定がない」という人生を送ってきたことが無かった私。
3月は薬💊を服用し、本業も副業も全てSTOPし、自室に閉じこもった。
雨戸も開けず、親が用意してくれていたご飯にも禄に口をつけられずAmazonPrimeをただひたすら流し続ける日々。
みんなが期末に向かって走っている中、PJが佳境のなか、全てを放り投げたのだ。人として、最低だと自分のことを追い詰めた。

でもその時、たった一人の私の親友がずっと病院にも付き添ってくれた。
彼も出来うる時間を全て割いてくれて、ひたすら抱きしめてくれて安堵感をくれていた。「鬱になったのは、お前のせいじゃないんだ」と。
取り残された世界のなかで、家族と彼とその親友。そしていの一番に電話をくれて「俺は絶対に最後まで、私の味方だから」と電話をくれた法人の相方。学生時代に一生懸命の恋愛をして、今では恋愛関係は解消してしまったが最高のパートナーであることには変わりない元彼。コロナウイルス感染症に十分配慮したうえで、ご飯に連れ出してくれた先輩。CCDMを無償で手伝ってくれている後輩や、大学院の同期。
ふと、見回すと周りには私に手を差し伸べてくれる沢山の人がいました。
一方、人間性も垣間見えたりして我が儘だし申し訳無いけど自分自身が心が離れた人もいた。

4月になって、少しずつ外には出られるようになってきた。
だけど一方で当たり前に出来たことが出来なくなっていたりもしていた。
1つは「人を待つこと」が出来なくなった。待ち合わせ時間を過ぎると、「来ないのではないか」という猛烈な恐怖感を拭えなく、居てもたってもいられなくなるのだ。そしてもう一つが、人混みだ。
満員電車は息苦しくなって、動悸も酷くなるし普通の街中でも人が多い場所は当然NGだ。
「あー、今までの自分じゃ無くなったんだな」
と、この頃には最早自分自身に対して、諦めの境地に入っていた。

同時に、体調も良くなってきていたので以前に交流があった人や縁があった人と対話する機会も自分の中で持ち始めるようになった。
ビジネスコンテストで優勝したチームの子たちも、4/1に起業していたのでシェアオフィスにも何をするでもなく、通うようになった。
そして沢山の本と芸術に触れた。
本は、ビジネス本だけではなく小説を。そして、文化・芸術はサントリーホールや神奈川県民ホールへご招待いただき、出向いて上質な生の芸術に触れた。

誰かと外に出かけた時も、自分にとって『上質なモノ』に着目して沢山食べ物にも触れた。
「あ、美味しいな」「あ、美しいな」

気付けば、自分に感情がちょっとだけ戻ってきていた。
オーケストラの生音を聞いた時の、熱が籠もった演奏に涙が出た時に自分の中で、何かの答えが出た気がした。
そして同時に「自分がやりたいこと」「自分らしく居られること」を第一優先順位にしないと、死んでいると同じだということを。

そして、昨日。出会ったこの曲。
がむしゃらに生きてきた20代が間違いではなかったと、私にとってもう一度自信をくれた。(内容は失恋の曲だけど)

自分には成し遂げたい夢が「これだ!」というものはまだ明確ではないけれど。
それでも、私が生きてきた意味が何か見いだせるように。
素敵な仲間と、沢山の小さな幸せを積み重ねていけるように。

休職期間に入る時は絶望していたけれど、自分のなかで毎日の忙しい日々の中で忘れ去ってしまった大事なモノに再び出会えた。
きっと人生に寄り道って必要なんだろうな・・・。

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