父に「うまくいく人の法則」を聞いてみた
父に呼び出されたので、平日の午前中に仕事をひと段落させて長男(6)の手をひき、渋谷行きの電車に乗りました。つい先日のことです。
私の父は70歳。従業員50人規模の会社を経営し、一代で今日まで潰さずにやってきました。所々頭のネジが外れていますが、いつも子どもや孫や妻(母)の顔を見ては「可愛い〜幸せ〜」と言っているし、毎日楽しそうで友人も沢山いて、そんな父を尊敬しています。
呼ばれた理由はただの書類手続きなのですが、彼は孫たちに会いたかったのでしょう。「今日は仕事休んじゃった。孫たちの顔をみて、ちょっと遊んでから帰りたい」とのことで、その日は一緒に過ごすことにしました。
せっかくの機会。父にこんなことを聞いてみました。
うまくいく人の法則……たとえば「リンゴを手放したら重力で落ちる」みたいに、楽しく生きるための法則はあるのだろうか。
人間は自然界で生きている以上、自然法則に逆らうことはできません。ならば法則を知り、法則に沿って動いた方が色々ラクなのでは???今回はそんな不純な動機で質問をしてみました。
ちなみに私が知っている法則は「食べないとお腹が空く」とか「寝ないと眠い」とか「無理は良くない」とか、その程度です。
今回隣にいた父はそこそこの資産と良好な人間関係を築き上げていて、もし人生のガチャがあるとしたらSSRを引いているように見えました。そんな父なら「人生の攻略法」を何かしら知っていそうです。
父は少し考えて言いました。
敬天愛人。「天を敬い、人を愛すること」という意味であるこの言葉は、かつて西郷隆盛が座右の銘として掲げた言葉で、稲盛和夫氏も京セラの社是に設定しています。
うーん、でも敬天愛人と言われても、わかるような分からないような……。天って何を指しているの?あと人を愛せと言われても、人をちゃんと愛せているかなんて、自信がないのだけど。愛すって何?そもそも愛することって、幸せな人生とどう繋がっているのだろうか。
父は「だよね、自信無いよね」と言って話を続けました。
「父、突然けいおん!のEDみたいなこと言うじゃん……」と思いましたが、言っていることは分かります。つまり、自己肯定感が低い人は誰かを愛したくても、その愛が間違った形で出力されてしまいがち。例えばDVの加害者は往々にして自信がなく、愛があってもDVという形で出力されます。本人は真剣に愛しているつもりでも、実際はうまく愛せていないのです。
人により程度の差はあれど、個人的に納得のいく法則でした。なら、どうしたら自分を愛せるのか。
いきなり神とかいう言葉が出てびっくりされるかもしれないので補足すると、彼はクリスチャンなので平気で「神」とか言いますが、宗教における神の解釈にはいろいろあります。彼にとっての神は自然界やエネルギーそのもののことであり、決してヒゲを生やしたおじさんのことではありません。
よく数学者が「自然界は美しい」と言いますが、自然法則はフィボナッチ数列や相対性理論のように数字で表すことができて矛盾がありません。もし数式に矛盾が産まれたら、間違っているのは自然ではなくて計算の方……。自然界はこんなに綺麗に収まるのだから、人間には認知出来ない、法則を決めた何かしらの存在があるはずだ……この存在を父は便宜上「神」と呼んでいるようです。
なので神は祈ったらそのまま願いを叶えてくれるような、都合の良い存在ではありません。(※思想は色々なので全てのクリスチャンがこう考えているわけじゃないです)
「自分に価値がない」という考えは、自然に逆らっている
父が言うには、神(というと途端に胡散臭いので、以下自然)に逆らうと何かと良くないらしいです。
例えば「自分には価値がない」もしくは「自分は○○だから価値がある」のような考え方は、自然に逆らっている考え方だと言えます。
ひと言でまとめると「自然を受け入れようね」ということなのかもしれません。相手が自分でも他人でも、何かの存在を否定している人生は楽しくないのかもしれない。
この辺には、私にも思うところがあります。というのも人間、見たくない現実ってあるじゃないですか。
たとえばクレジットカードの明細とか、明らかに太った時の体重計の針とか。人と喧嘩すれば「私は一切悪くない」と思いたいし、上手くいかない理由は全部境遇や環境のせいにしたい。
ですが、現実を否定するってことは、自然法則を否定しているっていうことなんですよね。食べれば太るという自然法則を受け入れなさいよ!って話で(ちくちく言葉)。
日頃から「こんなはずじゃない」とか「気のせいだ」とかいって目をそらし続けると、そりゃ問題が膨らみやすいよな……と思うのです。そして、直視したくない原因は「自己否定感が強いから」でもあります。
自分の価値を受け入れられないから、起こってしまった事態を受け入れられない。心の片隅では理想と現実のギャップ、そして自分の弱さに気付いているけれど、自分の価値を“存在”ではなく“強さ”に置いている以上は、弱さを受け入れられません。弱さを受け入れてしまったら、自分の価値がなくなってしまうからです。
自然は完璧。自然を受け入れることで自分も人も愛すことができる
父の主張はつまり、自然は完璧だから自然に産み出されたあなたも完璧であることを受け入れろということでした。
そうすれば、自然と人を愛せるようになります。人を自分のことのように考えることができるので、尊重できるようになる。それが「敬天愛人」であると。
どんなに地位を築いても、どんなにお金があっても、誰かから賞賛されたとしても……自分の存在を愛せず、人を愛せない人生は少し、虚しいかもしれない。
本質を見誤ってはならないと思ったので、ここにメモを記します。
蛇足
ここからは蛇足ですが、父いわく「敬天愛人」を貫くと想い(願い?)が叶いやすくなるそうです。とはいえ「金持ちになるぜHAHAHA」とか「意中の人を落としてやる!」とか「世界は我のものだ!!」みたいなことは大して叶わない。その発想こそが「敬天愛人」から外れているから……だそうな。
……中学生のとき「ワールドイズマイン」を歌って注意された時のことを思い出しました。ワールドイズマインに罪は無いが、真摯に生きたいものです。
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