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【短編小説】クアラルンプールからの手紙。

こちらの小説は東南アジアを巡る旅をお題に、アセアンそよかぜさんからいただいた
「マニラからの手紙」「クアラルンプールからの手紙」をもとに書いた、コラボ小説となります。
引用の手紙部分をアセアンそよかぜさんが用意してくださり、私がストーリーをつけたものです。


鹿屋君、お元気ですか? 私は今フィリピンのマニラにいます。大学を出て国内の企業に就職はしたけど、私には合わなかったみたい。

だから1年前に思い切って退職して、フィリピンでの英会話留学にセブ島に行くといった時、あなたの驚いた顔は今でも忘れません。でも無事に半年間の留学が終わったと同時に、マニラのコールセンターの就職が決まったのはラッキーだったね。この写真はマニラに向かう飛行機の上から撮影したもの。マニラは治安が悪いと聞いたけど私がいるマカティというエリアは大丈夫みたい。それ以上に私はこの国に合うのかしら、毎日が楽しいわ。3か月前もボホール島で楽しんだし。

鹿屋君も、もし日本が嫌になったらフィリピンおいでよ。では。

「気軽に言ってくれるよな。」
そう呟いて、僕は溜め息をこぼす。玄関前の柱に寄りかかったまま、ポケットから取り出したタバコに火をつけて煙を吐く。ライターとパッケージをパーカーのポケットに突っ込むと、ダイレクトメールの束に重ねたまま郵便受けから取り出したばかりのエアメールにもう一度視線を落とした。半分にシール式の写真が貼られたポストカードの、狭い余白いっぱいに几帳面に並べられた先輩の字を眺めながら、最後に会ったカフェでの姿を思い出す。
几帳面で、それでいて自由奔放で掴みどころの無い人だった。

先輩が、あの誰もが知る一流企業に就職して、それから2年も経っていなかった。
昼時のカフェに現れた先輩はやつれたスーツ姿で、席につくなり「今ね、ジヒョウを出してきたの。私、フィリピンに行くわ。」そう言ってジャケットを脱いだ。
「…ジヒョウ?」
僕は多分、間抜けな顔をしていたと思う。先輩の言葉をオウムのように繰り返して、それから、それが“辞表”であるということに気付いた。
僕の言葉を無視して、「もう、こんなもの二度と着ない」と宣言した先輩に、開いた口が塞がらなかった。だって、先輩が死に物狂いで就活をしていたことも、やっとの事で内定を手にしたことも、僕は知っていたし。

あの日から、もう一年も経つのかと、まだ一年しか経っていないのかと、同じくらいの大きさで思って、灰皿にしている植木鉢の砂でタバコを揉み消す。この鉢には、何も植っていない。ただ、燃え殻の混じる砂が入っているだけだ。
僕は、先輩みたいに就活に必死になることも、いまの母と二人の生活をあっさりと捨てることも出来ずに、やりたいことも見つけられぬまま何となく大学院に進んで、なんとなく生きている。
そう言えば、フィリピンではタバコは御法度だと聞いたことがある。
日本で治安の悪い街といえば、タバコの吸殻が落ちているイメージだが、マニラの街には何が落ちているのだろうか…?
フィリピンと言われても、スペインの植民地時代に建てられた有名な教会や、暖かく陽気なリゾートの光景しか思い浮かばず、僕は困惑する。
先輩のくたびれたスーツのジャケットを思い出して、随分と遠くまで行ったんだな……と、玄関の扉に手を掛けて、手元のポストカードを眺める。
僕は、ふと、その葉書に重なるダイレクトメールの束に、もう一通、エアメールが混ざっていることに気付いた。日本の封筒よりも若干ザラついた紙質の封筒。
上に重なる葉書と封筒をずらして、宛名よりも先に、差し出し人を確認した。

Kuala Lumpur City Centre……

「クアラ……?」

よく見ればその文字は先輩のものでなく、宛名を確認すると Yoshiko Shikaya と記載されている。
なんだ。
一瞬、そう思って、僕は何を期待していたのだろうと、自分で首を傾げた。
ちょっと、考えすぎだ。そう思って、手紙の束を手に玄関を上がる。
引っ掛けていたサンダルを並べて脱いでリビングへと向かうと、まだ寝間着姿の母が牛乳を沸かしているところだった。
「言ってくれればやるのに。」
「あんたも飲む?」
「飲む。」
即答して、自分のマグカップを棚からとって、母のカップの横に並べる。
ダイニングテーブルに手紙の束を投げるように置くと、母は顔を顰めた。
「もうちょっと丁寧に扱いなさいよ。」
そう言って母は手探りで僕のカップを確認する。既にカップの底には、大量のインスタントコーヒーが入っていて、母はそこに暖かい牛乳を注いだ。
母は、自分のカップにこれまた大量の煉乳を追加で落として、ぐるぐるとかき混ぜる。
「何か、面白いもの、来てた?」
「これといってなかったな。先輩から、ハガキがきてたよ。」
母の言う面白いものとは、投げ込まれたDMやチラシのことだ。僕たちは時々、宅配ピザのメニューや、マンションや建売住宅の広告を眺めて、二人で面白がる。
「先輩って…」
「ほら、サークルのさ、フィリピン行くって仕事辞めた。」
「あー。あの子。…彼女、結婚でもするの?」
「え?いや、違うけど。なんか、フィリピンおいでよってさ。」
「へぇ、フィリピン。」
「あ、あと、母さんに手紙がきてるよ。」
言われて母は、不思議そうな目をしてこちらに顔を向ける。少しずれた視線。
僕は手を出した母の指先に封筒を乗せて、彼女が封筒に触れるのを眺めた。
母は視力が悪い。だけど、家の中で生活するのに困ることはない。全く見えないわけではないし、代わりにとても記憶力がよかった。仕事も、障害者雇用を上手く利用し、電話対応や通訳として社会生活を送っている。
旅行の好きな母にこの手紙を見せたら、彼女は行きたいと言い出すだろうな、そう思って、僕は少し笑った。
「何?」
僕の薄笑いを察知して、母はまた顔をあげる。
「いや、その手紙。どこからだと思う?」
僕の問いに母はもう一度封筒を触って、それからその封筒の匂いを嗅いだ。
目を閉じて、それからゆっくりと口元が笑う。
「クアラルンプール。」
「正解!」
すげえや、そう呟いた僕に、母はその手紙を差し出す。
「昨日ね、電話があったの。うっかりして手紙で送っちゃった!って。いつも私が‘普通’に振る舞うから、いつもうっかりしちゃう、って。」
母は嬉しそうに種明かしをしてみせる。
手紙を受け取って、封を開けると、柔らかなムスクのような香りが微かに広がる。
異国の紙に染み付いた、香と太陽の匂い。
同封された写真には、空へと伸びる巨大なビルが写っていた。

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僕はゆっくりと、その手紙を読み上げる。

よっちゃん! 3か月前に急にクアラルンプールへの転勤が決まった時は目が真っ暗になったけど、ようやくこちらの生活も落ち着きました。ここも東京と同じような大都会で、違うのはずっと夏が続いているみたい。だけど、ビルの中は涼しいからあまり気にならなくなったわ。それより今の私のオフィス、この有名なツインビルの中にあるから毎日見ています。さすがに見飽きちゃったかな。

「写真が入ってる。メカニカルなオクラみたいなビルがふたつ、空に向かって伸びてる。」
「機械みたいなオクラ?」
「銀色で角の多い円柱で、先が細くなってる……」
「……ああ。ツインビルね、世界で2番目に高いのよ。」
「そうなんだ。空は少し雲が多い。」
「うん。続けて。」

そうそう、この町はいろんな料理があって、中国料理やインド料理の本格的なものが食べられるの。日本で毎週のようによっちゃんといろんな店に食べ歩きしていたのが懐かしいわ。ねえ、もしよっちゃん有給取れたら一度遊びにおいでよ。私がおすすめのお店紹介するからね。でわ。

僕は、のびのびと大きめな丸い文字の並ぶ便箋をたたむと、母の手を引いてそれに握らせる。
次の言葉はきっと、簡単に想像がつく。

「ね、次のお休みは、マレーシアにいかない?」
「言うと思った。簡単に言うなよ。そんな、ちょっと隣の町にみたいに。」
「じゃあ、一人で行こうかな?」
「やめてくれよ。」
僕は笑いながら、せっかくなら、東南アジアを旅するのもいいなと思う。
フィリピンにも行って、セブとボホールに寄ろう。もちろん、マニラにも。
母の友人と共に、マレーシアを観光するのもいい。クアラルンプールには少し長めに滞在して、気心の知れた友人と食べ歩きをするのもいいだろう。
きっと、母は全身で、その旅行を楽しむに違いない。
常夏みたいな街の空気も、塩を含んだ海の匂いも、様々な果物の味わいも。
「せっかくなら、ゆっくり休みを取って、色々まわろうぜ。母さんもその方がいいだろ?僕、フィリピン行きたいし。」
「あんた、ほんと先輩好きよねー。」
「そういうこと、気軽に言ってくれるなよな。」
母は笑いながら、受け取った手紙を丁寧に畳んで封筒に戻すと、それを大切なものをしまう引き出しに入れた。
立ち上がり、カップを流しに片付けながら、嬉しそうに僕に言った。

「クアラルンプールからの手紙で、私の人生は変りました。」
「母さん、それ、言いたいだけじゃん。」


アセアンそよかぜさんありがとうございました。

また、青い傘メンバーの秋さんが「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・カンボジア」というタイトルで連作小説を寄稿していらっしゃいます。こちらも合わせてどうぞ。


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