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サーモンランのリアリティ

 このエッセイは「ボラバイト」の体験に基づくものです。

 今年の5月は鹿児島で過ごした。長島町は鹿児島県北西部の小さな島の町である。対岸の天草諸島とともに波の穏やかな内海を作っており、養殖が盛んなことで知られている。そこから南へ車で3時間ほど下ると、薩摩半島の南西端に南さつま市というところがある。こちらも海と砂浜のきれいな良い町である。私はこの2つの町で、ひと月の間、ブリ養殖のお仕事をお手伝いをすることになった。

 これまでの人生をほとんど都会で過ごした私は、もともと薄ぼんやりと第一次産業に興味がありはしたのだが、その想いがいよいよ加熱して、大学の卒業間近に留年を決め、1年のアディショナルタイムを獲得した。

 最初なんだから簡単な農作業から始めたらいいのに、と今になって思うのだが、その時は成り行きで漁業をやることになった。鹿児島の求人がそこしかなかった。とある事情で鹿児島に行くということは決めていたのだ。


 着いて初めての仕事は長島町での出荷だった。早朝の暗いうちから船に乗ると、程なくして湾に浮かぶ巨大な生け簀に着いた。鉄製の四角い骨組みにフロートをつけて浮かべたもので、内側に腰の高さほどの手すりがある以外に掴まるところはなかった。外側は海に開かれている。内海とはいえ、多少の波が生け簀を絶え間なく揺らすのが感じられた。海は黒々として底が知れない。落ちたら一巻の終わりだ。

 生け簀を覗いてもブリの姿はない。普段はブリが不自由なく泳ぎ回れるように、網に余裕を持たせてあるのだ。船の灯りを警戒してか、今は底の方を泳いでいるのだろう。これから人力で網を引き、ブリを海面まで追い込んでいかなければならない。

 リアル・ソーラン節である。私は転校の都合でソーラン節をやらないまま大人になってしまったのだが、あの腰を低く落として網を引く特徴的な振り付けは知っていた。実際には、生け簀の上には足を広げて踏ん張るスペースがないので、もう少し不恰好な(そして力学の上でも不経済な)姿勢で網を引くことになるのだが、それを差し引いても網が信じられないくらい重い。屈強な海の男たちが10人、15人と力を合わせて引いていても、網の余白が小さくなるにつれて、その重さはどんどん増していった。

 指が痛むのを堪えて網を引き続けているうちに、いよいよ網の中が狭くなってくると、ようやくブリの姿を目にすることができた。丸々と太った立派なブリである。重さはおよそ6〜10kg、ここまで育つのに3年かかると言う。


 船長が船のクレーンを操って、巨大なタモ網を水面に刺した。
 いよいよ「収穫」である。

 甲板には生け簀から掬い上げたブリを降ろすための作業台がある。
 一方の端には、雨樋のような、緩やかな傾斜がついた通路がついていて、ブリがちょうど一匹通る幅になっている。入り口には巨大な裁断機のようなものが構えていて、そこを通るブリに容赦なくトドメを刺す。少しでも鮮度を保つため、頭のあたりに切り込みを入れて血を抜くのだ。血抜きを済ませたブリは、そのまま樋を通って、よく冷えた船底の水槽へ流れていくようになっている。この作業台は、恐ろしいほど冷徹に、効率よく、システマティックにブリを始末する、彼らの断頭台なのである。

 船員はそのよくできたシステムの各部に配置される。ブリがきちんと一匹ずつ樋を通っていくように入り口を仕切る門番の係や、裁断機を下ろす係、樋を通るブリの数を漏れなく勘定する係。

 私が任されたのは、作業台に乗せられたブリを一匹ずつ、お腹を下にして頭が通路の入り口を向くように向きを揃えて門番係の人に流す係だった。

 このように書くと大した仕事ではないようだが、温室育ちの養殖ブリといえども、生きるか死ぬかの瀬戸際で行儀よく作業台に乗せられているほど、生き物であることを捨ててはいない。必死に(文字通り必死なのだが)体をしならせて、抵抗の意思を示してくる。その力強さは相当なもので、一つの巨大な生命力のかたまりを相手にしている感じがした。溢れんばかりのエネルギーがその身いっぱいに詰まっているものと思われた。

 暴れるブリを押さえつけて、回したり返したりして向きを揃えるのは骨が折れた。油断して鋭い背びれや胸びれが手に刺さるたびに、自分がまさに命のやり取りの現場にいるのだということを痛感する。そのままだと全く手に負えないので、目を覆って隠すようにすると落ち着いてくれるのだと、隣の漁師さんが教えてくれた。

 船長が一度に20〜30匹のブリを作業台にぶちまけると、激しい波となってブリが押し寄せてくる。それを上体で堰き止め、出来るだけ一匹ずつ、向きを揃えながら隣の人に流していく。その向こうから、ダァン、ダァンと命を奪う音が聞こえてくるのを、はじめのうちは気が滅入る思いで聞いていたが、すぐにそんな余裕はなくなった。台の上のブリが全て捌ける頃には、間髪入れずに次のブリがやってくるのだ。いちいち胸を痛めている場合ではない。とにかく無心で目の前の作業をこなさなければならなかった。

 何度も何度も同じ作業をひたすら繰り返した。気力も体力もとっくに消耗しきって、まだ終わらないのか、いつになったら終わるんだ、早く終わってくれと、恨むように念じ、ヤケクソになりながら惰性で体を動かし続けた。


 つらい作業から逃げるように、私は頭の中で自分の作業をとあるゲームに重ねていた。それが「サーモンラン」だ。

 「スプラトゥーン」という任天堂のアクションゲームがあって、サーモンランはその第2作から追加されたミニゲームである。プレイヤーは仲間と協力しながら、海から次々と迫ってくるシャケと呼ばれる鮭風の敵モンスターを倒し、制限時間内にイクラを集めなければならない。

 サーモンランでは、第1波、第2波、第3波と畳み掛けてくるシャケの大群をスピーディーに倒していかなくては、みるみるうちにステージをシャケが埋め尽くし、プレイヤーは身動きが取れなくなってやられてしまう。大量のシャケがじわじわと侵攻してくる緊張感と、それをギリギリで対処していく爽快感との絶妙なバランスが醍醐味のゲームではなかったかと思う。

 体力・気力の消耗が激しい現実の漁業でサーモンランのような心地よい爽快感を感じるのは無理があったが、相手が波のように繰り返し迫ってくる点と、その対処が遅いとどんどん自分の首が締まっていく点で、ブリの水揚げ作業はサーモンランとよく似ていた。もしかしたら、開発スタッフの中にサケ漁で私と同じような体験をした人がいるのかもしれない。


 実際には1時間半ほどだろうが、私にとっては気の遠くなるような時間が経って、気が付くと終わりの合図が出ていた。一つの生け簀から一匹残らずブリを捕り終えたのだ。正確な数は覚えていないが、少なくとも数百匹のブリを水揚げしたのは間違いない。

 いつの間にか空には太陽が出ていて、暗いうちには分からなかった湾の様子がよく見えた。自分たちのいる生け簀と同じ生け簀があたりに何十と浮かんでいて、なんだか眩暈がするのだった。

 港に帰ると、全員で漁港にある漁協の食堂に向かった。新鮮な海の幸が手頃な値段で食べれるので、この手の食堂には観光客としても足を運ぶことがあるのだが、まさか漁港関係者として訪れることになるとは思わなかった。時刻は7時、待ちに待った朝ごはんである。

 自分たちで捕ったブリを捌いてもらった。いつになく真剣な気持ちで「いただきます」と言葉にして口に入れると、ブリの逞しい生命力の、その最後の一絞りが口の中いっぱいに広がるような、力強い弾力が感じられた。

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