無責任でも母になる

この度妊娠しました。現在18週目で、9月に母になります。

妊娠がわかってから、実は何個かの文章を書いたのだけれど、次の日には「自分が書いたはずのことに共感できない」なんていう奇怪な脳みそに悩まされてしまって、公開に至りませんでした。

でもたぶんきっと、妊娠とか出産って私の人生においてかなり重要な出来事で、いつか思い出したいと思ったときに思い出せないのはすごく悲しいと思うから、なんとかいまの気持ちを書き残しておきたい。

何を書くかはあんまり決めていないので、支離滅裂かもしれないけれど、未来の自分と子どものために書きたいと思います。

諦めたんじゃなかったの?

前回書いたnoteをもし見ていたとしたら、「え、結局妊娠したの?」と思っているかもしれないですね。そう、去年の6月には「もう子ども作るの諦めます」って書いていたんです。その当時の私は本気でそう思っていて、いま読み返しても「わかるよ」と言ってやりたくなります。

子どもを産む・育てることを諦めようと思ったのは、夫の協力が得られないと思ったからでした。私は保育士をしていたのだけれど、いろんなことがあってカラダを壊して退職してしまって、それからかなり経った今もあらゆることに自信がない状態です。

子どもとかかわり、大切な命を預かるお仕事をしていたからこそ、たくさんの人が経験して、継続している「子育て」というコトを簡単なものとは思えません。それは仕事をしていたときも、今もそう。

マタニティブルー、産後鬱、産後クライシスとか、虐待とか、ネグレクトとか子育てに関するいろいろな問題がなくならないのは、子育てがマジで難しくて、つらくて、人の協力なしではなし得なくて、それでもその行為が美徳であって正義であって、なおかつ当たり前だといわれるからだと思います。

知らない人の子どもを30人近く預かっていても、一人ひとりのことが心配だし元気でいてほしいと本気で思っていました。「保育士は自分が子ども産んでからじゃないと」なんていう保護者の方もいると聞くけど、そう思っちゃうのもわかる。だって預かって世話をしている保育士の身体は健康で、おなかを痛めたわけでも股が裂けたわけでもないから。

平日と土曜日の昼間だけ世話する仕事だから、夜泣きの大変さも知らない。8時間寝て向き合う子どもと、夜中に何度も起きてから向き合う子どもとでは、きっと顔つきも違って見えるのでしょう。

話が逸れたので、私の話に戻ります。カラダを壊して仕事はおろか外出が難しくなってから、引っ越したり違う仕事に就いたりして、かなり時間をかけて体調を取り戻したのですが、子どもに対する罪悪感はこびりついているままでした。急に辞めて(離れて)申し訳なかったという気持ちは、時間が経つと「こんなに無責任な人に子育てなんてできないのでは」という疑問に変わりました。

妊娠した今でも、「二人で暮らしているだけなのに、ご飯も作らないで外食に頼るなんて」「満足に掃除もできないなんて」「自分だけの趣味にこんなにお金を使うなんて」と自分を責めてしまうことがあります。

だって子どもは生まれてしまったら一生その人の子どもだから。縁を切るとか逃げる方法はあるけど、それが自分で判断できるのは大人になってから。私が「もう疲れちゃったからやーめた」といっても、子どもは存在し続けるし、私が親である事実は変わらない。習い事や仕事みたいに辞めることはできない。こんな無責任なやつにそんな大きなこと、怖すぎる。

夫はしきりに子どもが欲しいことを話しました。私もカラダを壊すまではそれを当たり前に思っていたので、欲しいね~と考えなしに答えました。でもこんな無責任には、夫の協力がなければ絶対に子育てなんかできない。

お互いフルタイムで働いていたときにも家事は私がすべてやっていました。仕事を辞めたあとももちろんそうで、体調のために休みが取りやすい仕事に就いたあともそれは変わりませんでした。

感謝は伝えてくれるし、「○○やって」と頼めばやってくれる。でもちゃんとはできないし、すぐにはやらない。1つ教えると1つ抜け落ちる。

夫は「子どもができたらたくさんやるよ」と言っていたけれど、どうも信じられませんでした。そんなことで人って変われないし、産んだ後の冷え切った脳でトイレ掃除のやり方とか、洗剤の場所とか、教えなくちゃいけないのかと思うと…。

この話を何度も何度もして、何度も泣かされて、泣かれて、仕事のせいにされて、直すといわれて、信じて、裏切られて、話し合って、…繰り返すうちに本当にもうだめかもしれないと思って、前回の記事を書きました。

そのあとはもう努力をやめて、伝えることも期待することもしませんでした。「もう私がやればいいや」「子どものことを考えなければ、夫を支えるのが私の務めだし」と思って。

そうしたら、期待されなくなった夫が自分から行動するようになりました。面と向かって話をしなければ通じないと思ってぶつかっていたのだけれど、夫はそれに「私の慈悲」のようなものを感じていたようです。「言ってもらえるうちが花」と、昔の人はよく言ったもので、夫は「あんなに言われていたのに何も言われなくなってやばい」とようやく感じたらしい。

「家事=妻の仕事」という考えを捨ててくれたことが何よりもうれしい。完璧にこなせる家事はまだ少ないけれど、「生まれるまでが研修期間だよ、私がやってること全部できるようになってほしい」と話すとやる気を見せていました。「俺はやってるつもりだけどできてないと感じさせてごめん」「やりたいけど仕事が忙しくてごめん」と謝っていた彼はもういないみたいです。

妊娠がわかった日

妊娠がわかったのは1月の末。生理が遅れるのはいつものことで、あまり気に留めていなかったのですが、生理前のいつもの諸症状に加えて吐き気があったため検査薬を購入。濃く縦線が出たので一人で震えました。

いまの夫とならきっと子育てをがんばれる。子どもが大好きな夫のことを父親にしたい。そんなことを考えてすぐの出来事だったので、実際自分の中で母になる覚悟ができていたかといえばできていなかった。

検査をする前は、正直もしできていたらどうしようと不安でいっぱいになっていました。自分で決意して始めたくせに、いっちょ前に怖かったのです。

それでも、陽性反応を目にしたとたん、心はうれしい気持ちでいっぱいいっぱい。心臓がバクバク言っていて、検査薬を置いた洗面台とソファを行ったり来たりして過ごしました。

夫に話したらどんなに喜ぶだろう!と思って、仕事から帰ってきた夫に嬉々として検査薬を見せたら、「これなに?妊娠?したの?」という疑問と「おめでとう」というお祝いをいただきました。

拍子抜けしたのと、それでもうれしかったのと、やっぱり私みたいなものが母になるなんて無理なんじゃないかっていう不安で、気が付いたら夫にしがみついて泣いていました。夫は「えぇなんで泣いちゃうの?おめでとうだよ」と慌てていました。私はこんな穏やかでぶれない夫が好きなんです。

安定期までのあれこれ

去年引っ越したばかりで婦人科にもお世話になっていなかったので、産院は近くて口コミのよさそうなところを選びました。バスと徒歩で30分くらいの距離にあって、余計なことを全然話さない淡々とした先生。助産師さんや看護師さんはかなり距離近く親切にお話ししてくれるので、ここまで病院に対する不安や不満を持ったことはないです。かなり恵まれていると思います。

恵まれているといえば、つわりがかなり軽かったです。吐き気や嗚咽があったのは最初の1週間程度でした。その後も頭痛や気持ち悪さに悩まされる日もあったけれど、メントール系のガムを噛みながら、仕事も家事もそれまで通りこなすことができました。生理痛もPMSも重たい人なので覚悟してたけれど、運よく逃れることができたようです。

つらい人の話をよく聞いていたので、夫にも周りにも「私はほとんどなかったけどつらいひとはかなりつらいから」「しかも言いづらいからほんとにしんどいと思う」と言って回っています。私への対応をほかの人には実践しないでほしい…。

あと症状といえばかなり眠るようになりました。ここ1年ほど満足に眠れない日々を過ごしていたので、本当に楽になりました。寝すぎてしまって悲しくなることもあるけれど、眠れないでカーテンが明るくなるのを待っていた日よりずっとずっとマシ。

生理痛とPMSと排卵時の不安定と不眠症で体調のいい日がなかったから、妊娠してからのほうが前向きで人間らしい生活をしていると思う。暗い部屋に見慣れた目でぼーっとしながら、「あぁ死にたいな」と思うことがなくなった。ある意味で子に助けられている、生かされていると感じます。

子どもは親を選んで生まれてくるなんて話をよく聞きます。私には親を選んで生まれた覚えがないので真偽はわからないけれど、本当だとしたらうれしいし、疑問も感じる。「もっと裕福で美男美女のところに行きなよ…」「もっと優しいママたくさんいると思うよ」と思うけど、本当にいなくなってしまったら困る。選んでくれたのなら、どうもありがとう。

安定期に入るまでは、毎度の健診の日が怖かった。夫には毎回「もし赤ちゃんいなくなってたら、動かなくなってたら、ごめんね」と言ってから家を出ました。本当に怖かった。12週に入るまで、怖くて週数を数えるアプリを入れられなかったし、流産の体験ブログを読んでは泣いていました。命は尊くて、あまりにも儚すぎる。

不安とは裏腹に子はドンドン大きくなって、最初は3ミリしかなかった体は何十倍にも成長しています。途中のエコー写真がどうみてもサツマイモだったから、子のことは「おいも」と呼んでいます。生まれた子がサツマイモ好きだったら、「生まれる前の名前はおいもだったんだよ!」と話してあげよう。

確かにおなかで生きている

安定期を過ぎてしばらくすると、胎動がわかるようになりました。同じ週数の人のツイッターを勝手に見て、「胎動がわかりました!」というつぶやきを読み、私はない…と落ち込んでいたのですが…。ある日夫と布団でゴロゴロしながら「胎動なんてわかんないよ~~」と嘆いたとたん、おなかのもにょつき(造語)を感じて、二人でおなかに手を当てて初の胎動を分かち合うことに成功しました。

わかんないって嘆いている母を見かねて、わざと大げさに動いてくれたんだろうか。おなかにいるときから気の遣えるいい子です。でもあんまり人の機嫌うかがって過ごしていると疲れるよ。わがままでもいいよ。

初胎動から毎日胎動を感じられるようになって、仕事中でも歩いていてもわかるようになってきた。ポコポコされるたびに「あぁ生きている」と思って感動してしまう。

先日夫の家族にも妊娠を報告して、お祝いの言葉をいただきました。とても喜んでもらっているみたいでうれしい反面、もしものことがあったらどんなに悲しむだろうと思うと不安でいっぱいです。

でもそのたびに子はおなかでポコポコ動き、「生きているよ」と教えてくれる。夫は「俺はおいもとかわらのことを信じてるから大丈夫だよ」と言ったあと、「あ、でもプレッシャーに感じないでね、そういうんじゃないからね」と言ってくれる。

人は支えあって生きている。この意味がようやく、身に染みてわかってきた気がするのです。

途中で投げ出したことも苦手なことも多い私だけれど、夫や子どもの支えがあれば母になれるかもしれない。でも、私の理想のお母さんや、夫の理想のお母さん、子どもの理想のお母さんにはなれないと思う。世間から褒められるような親になれる気もまったくしない。

夫が私や子どもを無条件に信じてくれているように、私も二人のことを信じたいし、つぶれないように支えたい。子育てって当たり前のように「やってください」と言われるけれど、難しいし、答えがないし、成果も出にくい。それでも私は、夫との子どもを育ててみたいし、つらいの横にあるうれしいとか楽しいとかを大切にしてみたいと思います。

どうか無事に生まれてきてね。こんな為体な母だけど、あなたがしあわせに過ごせることを祈っているよ。

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