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サラエボは通行止め、ムーティ氏との特別な夜だから

おはようございます🌞dobro jutro! ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(BiH)の首都サラエボ市からお届けしています。

夏が終わりミリャツカ川の清掃
生け垣の苔は毎年この時期
行われています
白くキレイになってます
川の匂いも減ります
私も歯のクリーニングへ行かないと

昨夜のガラコンサートの興奮冷めやらぬまま、noteを書き始めます。


イタリアンマエストロ、来たる

サラエボフィルハーモニー管弦楽団、誕生100周年の御祝いガラコンサートで、イタリアンマエストロ、リッカルド・ムーティ氏が指揮をしました。

「サラエボには一昨日、ニューヨークから来た」

二つの交響曲を振り終えた後に、
陽気に話し出したリッカルド・ムーティ氏
客席から見てると、若々しくて70歳くらいにしか見えません。
もう82歳になるのですね!驚愕しました。

「昔は髪が真っ黒で・・・いろいろ使われてる写真は真っ黒でしょ?もう、これよ!」

と豊かな白髪を「サラサラ」っとラックスの宣伝のように見せびらかし?観客を笑いでも沸かせていました。

巨匠なのにこの明るく温厚な人柄。
指揮からもムーティ氏の慈愛が伝わってきて、私は終始、感動で胸がじんわりしていました。


レッドカーペットを歩いて国立劇場へ

運よくチケットを1枚買わせて頂き、当日は夜8時から開演(開場はいつもながら時間指定はありません)に合わせて家を出たところ、交通規制が始まっていました。

国立劇場前の道
救急車、消防車も待機
さすが
マエストロ降臨

ヨーロッパが「グッド👍」と思う時はこれです。
クラシック音楽もパブリックビューイングするところです!
サッカーも、ロックも映画も好きだけど、勿論クラシック音楽だって!というこの市民の感覚が好きです。

パブリックビューイング
国立劇場の前で行われ
椅子が100席ほど並べられていました

サラエボ国立劇場は、ボスニア紛争下の電気がない期間にも、蝋燭🕯️の灯りを利用しながら演劇活動を続け、今尚市民の憩いの場であり続けています。
日本からは2005年に照明機材を購入するために必要な資金、2013年にはサラエボ交響楽団に対し文化無償協力で供与しています。

幽玄にライトアップされた国立劇場
今日のような日に相応しい
ヨーロッパ的陰翳礼賛
🕯
レッドカーペット
スターでも偉い人でもないのに
申し訳ないのですが
私も入場しましょう

「この劇場が好きだ」と、ムーティ氏

ホワイエに設置された
自分 w/ Muti コーナー
私も撮ってあげたり
撮って貰ったり
大人気の写真コーナー

サラエボ国立劇場は約400人程度の収容人数で小さなホールです。
スカラ座は3600人、楽友協会のブラームスホールでも600人のキャパがあるので比較すると小さいですね。けど、こちらはプライベート感があり、更に響きがまろやかで良いのです。

演奏終了後、朗らかに語り出したムーティ氏は、「ミラノ、ニューヨーク、パリ・・・とこでも演奏してきたけど、僕はこの劇場、お客さんとの距離感、そしてこのサラエボフィルはお気に入りだ」と言って下さり、客席は割れんばかりの拍手とホイッスル。

430人位の収容人数しかない
とても小さな劇場です
ムーティ氏の指揮で聴けるのは
贅沢です!

ガラコンサートの曲をご紹介します

前半:L. van ベートーベン 交響曲第7番 イ長調op92
後半:F. シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944 

皆さん大好きな曲です。ベートーベンを敬愛したシューベルト。2曲の文字をプログラムで見ただけで、嬉しすぎました。

「政治家はベートーベンが好きだ」と、ムーティ氏

英語で場内アナウンスがあり驚きました
けどパンフレットはやっぱり
ボスニア語のみ

何度もサラエボフィルを聴いています。
メンバーの顔も特徴も知っているし(女性メンバーが多く、弦楽器90%は女性)聴き過ぎてのっぺりした印象しか持っていないのですが、
失礼ながら指揮者が違うとグンと違う。
ムーティ氏の細かい注文を「完璧に受けて立とう」という演奏家のヤル気。大変コミュニケーションが良くて、完全に指揮者とオケが対話をしています。素晴らしかったです。
ベートーベンの7番はテンポが少し遅めでそれが大変力強く、コントラストがはっきりして聴きごたえが当然ありました。シューベルトはまさにVelika!ザ・グレート。

全ての曲を振り終えた後、ムーティ氏は自由に話し出しました。
「政治家はベートーベン好きだよね、あ、ここに政治家さん達がいたらごめんなさい」とジョークを言い、会場の皆さんはあちらこちら指さして大笑いしていました。

会場はB&W
フォーマルです
私もベートーベンは好きです
どうしたことか特に最近ハマってます

そして、今の戦争状態にある国々を憂いて「僕は芸術で友情を伝えることができるし、皆さんもでしょう、サラエボの皆さんはいかに有効かを知っていますよね」と話をされました。

内戦直後、ボロボロの街で指揮

ムーティ氏は今回で3度目の来BiHです。
1995年にボスニア紛争の一応の終結となるデイトン合意から2年後、1997年(スカラ座時代)に初めての演奏会を行いました。「当時一緒に演奏したアーティストと、今夜、約10名と一緒に演奏することができたんだ!」と仰いました。そしてムーティ氏は2014年に“The Roads of Friendship”という演奏会をサラエボで開きました。

上の写真はサラエボ包囲
現在は下の写真
建物や町は整然として
平和です

今回、ムーティ氏は「BiHは私の友人だ」と言い、ガラコンサートの指揮台に立つことにを快諾されたと報道されています。
これだけ聞くと、BiHは常に芸術に理解を持ちロビイングやサポートを熱心にしていると感じますが、文化施設は常に困窮状態で十分な予算資金がありません。
サラエボフィルハーモニー管弦楽団は国の重要な文化機関の1つであり、私は少しでも応援したい気持ちからコンサートには足繫く通いました。

今回、ムーティ氏をお招きできたことは、サラエボフィル100周年記念だけでなく、BiHにとっても特別な贈り物だと感動しました。

スタンディングオベーション
約2時間のコンサートが終了
とても悲しかったです
こんな感動は滅多に
味わうことが少ない毎日です
音楽ってなんて素晴らしいのでしょう!
皆さん、ありがとうございました

今の住まいを選んだわけ


席を立ち、劇場を出て、自宅の玄関に戻るまでたった5分です。
そうなのです「国立劇場の前に住んで音楽会にいつも行こう」と思って、今の住まいにしました。

「窓がメチャクチャ汚れているな」
と嘆いている猫さん
(ごめんなさい窓掃除します)
国立劇場が見えます

アパートメントのエントランスに着くと、上の階に住むおじいさんと、偶然出会いました。
「コンサート行ってたんですか?」と尋ねたら、
「そう!あなたも?すごかったね~」と談笑し、
「おやすみなさい、laku noc」と言って別れました。
おじいさんはいつも通りブルゾンの普段着でした。私は少しだけオシャレしていきましたが、今回の演奏会に現れたEU諸国の大使はホワイトタイ、市民の皆さんもドレスアップでいらしている方も多くいて、私のサラエボ生活で最も格が高い演奏会だったことは間違いなしです。


さて、ランチにします。

クスクスのサラダと
野菜のバン

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