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メンタルヘルスと私

※長文注意

 はじめてうつ状態になったのは小学6年生のことだった。ともだち関係に悩み暗闇へ落ちた。

 中学校へあがるとますます悩みたびたびうつ状態になり学校を休むことも多かった。幼い頃からお世話になっている、かかりつけの内科医から精神科のクリニックを紹介された。

 初めての精神科受診だ。
 診察室での会話は外から聞こえないようになっており、かえって不気味に感じた。医師の靴下が変なのも気になった。
 ひと通り話を聞いた医師は「薬はいる?」と聞いた。
「もうすぐテストがあるのでいりません」とこたえたように思う。

 医師は通院の必要はないと診断した。

 それからも気分の変調で勉強できないときもあったが、親や先生達の支えと、何より本人の努力でなんとか第一志望の高校に合格できた。

 高校のクラスメイトは中学校とは違い性格の良い子ばかり、なのにとけ込むことができなかった。だからといってハブられたりもせず楽しい学校生活だった。
 しかしメンタルの不調が酷くなっていく。

 本格的な精神科への通院が始まった。
 総合病院の精神科に母が連れて行ってくれた。

 初診の診察室で黙り込む私の横で母は泣いていた。
 母のことは今後別のnoteに記すつもりだが、子を思う反面やや毒のある人だった。

 うつは気分障害で日常生活に支障が出る。普通にできていたことができなくなる。好きな趣味も楽しめなくなる。何をするにも考えこみ行動が遅くなる。勉強もできなくなる。

 高校3年まではなんとか進級できたが、その3年の夏の終わりに事件はおきた。

 薬の服用方法に問題があったためか、せん妄状態で街をうろつき住民の通報で警察に補導され精神科病院へ入院した。

 ここからは親から後で聞いた話。

 警察で口を割らなかった私は精神科病院送りになった。
 医師を前にして私はやっと自分の名前や住所や電話番号を話したらしい。なにしろまったく記憶がない。

 たどりついたのは閉鎖病棟。

 気が付くと格子のある檻のような個室にいた。

 やがて状態が落ち着くと4人部屋へ移った。

 高校卒業のため早く退院となるが、すぐに再入院し高校留年が決まった。
 1996年の年末に退院し、自宅療養になった。

 ちなみに高校は一度クラス替えがあったが、3年間同じ担任の先生だった。心配な生徒は残せる仕組みなのだ。
 留年して4年生になり担任が変わった。所属していた書道部の顧問だった。

 同級生がいなくなった学校はまったく違って見えた。

 1学年下の後輩たちとの学校生活が始まった。

 やはり体調の波があり1学期は休みがちだった。6時間目だけ行った日もある。担任は「よく来たな。これで出席日数になるぞ」といつも優しかった。

 学園祭ではほとんど手伝ってないのにクラスメイトが私の衣装を用意してくれた。3年生の時は見学だったパレードにも参加できた。涙出るほどうれしかった。たぶん顔に出てなかったと思うけど…。なんて優しいクラスメイト達だったのだろう。ともだちにはなれなかったけれど良い思い出だ。
 同じクラスの女子は高看へ進学した人が多かった。
 今きっと彼女たちは看護師として勤務している、このコロナ禍で。

 2学期から体調管理をがんばって登校した。

 短大進学を目標に勉強を始めた。
 両親は自宅から通える短大を望んだが、図書館司書の資格を取りたかった私は遠方の学校を希望した。

 一人で体験入学へ行ったり、親が学校見学へ連れて行ってくれた。

余談
 学校を探して前方不注意で父が追突事故をおこした。被害者と向かった交番は後にひとり暮らしをするアパートの近くだった。

 三校受験して合格し、どの短大へ行こうか熟考し田舎町にある男女共学の短期大学を選んだ。父が事故った町だ。

 縁は不思議だ。

 卒業式で校歌を歌いうるうるしたが泣くことはなかった。母は泣いていた。
 卒業式終わりに一人の保護者と目が合った。入院していた病棟の看護師さんだった。息子さんが同じ高校だったのだ。少し話した。制服を着ていないと一瞬わからないものだ。

 ちなみに精神科の医療関係者は基本的に外では患者に声を掛けないルールがある。

 病気は寛解と診断され進学と同時に薬の服薬も終了となった。

 親元から離れたひとり暮らしは本当に順調でメンタルも安定して、学校で気の合う友だちがたくさんできた。

 私は推薦ではなく一般入試だった。学校ごとに集まる受験生がまったく違った。進学先の受験生がオタクっぽくて仲よくなれそうだと思った(笑)。

 高校までの知人友人との付き合いはなくなったが、短大での友人とは今も親交がある。学校選びは重要だ。

 楽しかった短大生活が終わり、社会人へ。
 その話は別のnoteに記しているので、興味のある方は読んでいただきたい。

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