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竹田青嗣『21世紀を読み解く 竹田教授の哲学講義21講』(2011)みやび出版②「中庸 アリストテレス」

哲学史をざっくりと見通したい。
私の今の立ち位置に,ぴったりの書籍でした。

哲学は,先人の流れや時代背景に則してその思いを汲み取ることで,
より本質にたどり着けるということがよくわかる良書です。

本書は,学生と竹田教授の対話形式で進んでいくため,
初学者にとっても読みやすく感じます。
(哲学的内容は一度読んだだけでは?の語句も多々ありますが…)
もう少し入門書を読み漁ってから原典にあたりたいと思います。

印象的なフレーズを抜粋します。

まず「中庸」から始めると、これは主として『ニコマコス倫理学』に出てくる。人間の「徳」[アレテー](=卓越性)の本質は、「中庸」[メソテース]にあり、という説だね。p27

「徳」の本質が真ん中とは何ぞや。私からすれば少し不思議な表現から始まるこの章。そういえば,以前尊敬する先輩も中庸を推しておられたな…

世界は「いかに存在しているか」を考えるとき、近代以降の人間は、必ずまず事物の「単位」という概念から考えはじめ、次に単位どうしの「つながり」(関係)、因果関係、形式、構造、力、法則という概念でそれを展開してゆく。これは近代科学の基礎的方法です。
タレスが、「水」という万物の「原理」から考えたように、これが自然哲学の始発点であり、じっさいこの哲学の考えが、現在の科学の認識方法の根本の基礎になっている。タレス以後のギリシャ哲学者たちは、みなこの線で「原理」(単位・起源)を展開する方法をとった。ところが、ソクラテス・プラトンは、はじめて、もう一つの「世界の考え方」を哲学の世界にもちこんだんだ。
この視線の変更は大胆なものだった。はじめに事物が存在するのではない。つまり事物の「おおもと」(原理)として基本単位があるのではなく、「世界」はまず価値の網の目であって、「価値」のほうがあらゆる事物の存在を規定している、という考えなんだ。pp32-33

事物を単位という概念で考える。もしくは捉える。というのは現代人は確かにやりがちであるように思います。教師とはどのような存在か。授業とは何か。そもそも教育とは。…あれ,なんだか採用試験…

世界にはまず事物があり、自然があり、そしてその中で人間がそれに価値をあ立てて生きている、というのではない。人間が「世界とは何か」と問うとき、じつはそこにすでに生にとっての「よしあし」「善悪」の問いが入っている。世界の秩序がどうなっているのか、という問いには、われわれがそれを自覚していなくても、何が「善い」のかという問いを起点にして置かれている。pp33-34

教師とは,の続きにくる言葉は確かに理想の教師像に向けた言葉が並ぶ気がします。そして,その言葉に含みこまれる思いや経験こそが教師を教師たらしめるので,やっぱり採用試験の時に聞くことではない気もしますが,その理想像があってこその教師の行く道でもあるので,と逡巡させられる考え方です。

およそ人間生活にはさまざまな「目的」が現れ出る。人間として生きる限り、さまざまな目的が日々織り出される。そしてそのかぎりで、この多様な目的に応じて多様な「善」(=善い)が現れる。
「善のイデア」とは、プラトンの意をくんでいうと、さまざまな目的(根拠)」の中で人間の究極の目的(根拠)となるもののことだ。だから「太陽の比喩」といった分かりにくい比喩など使わずに、第一に、およそ人間が生活の中でもつさまざまな「目的」の総称的概念、第二に、人間の生にとってもっとも重要かつ終局的な「目的」と捉えなおせば誰にも理解できるものになる、と。p36

私はなぜ教師を続けているのだろう。その目的とは。そしてその目的に応じて現れる「善」とは。これは探究のしがいがある問いだと直感します。いつかまた。じっくり考えてみよう。

カントの「最高善」はひとことでいうと、世界全体が最高に「道徳化」された状態という「理想理念」。人間の生の目的、あるいは存在の目的それ自体が「道徳」である、という考えだね。
これに対して、アリストテレスのは、人間生活の最高に「善き」状態が、「最高善」。だから「道徳」ではなく、むしろ「幸福」や「生の充実」に力点があり、ずっと現実的です。アリストテレスはそういう極端な考えに決して走らないバランス感覚がある。その意味でもまさしく「中庸」の思想家なんだ。p37

幸福や生の充実があれば最高善。そこに,他者性はどこまで含み込まれるのか。

人間の魂は、つねにさまざまな情念、つまり「快」と「不快」の状態のうちにある。人間の魂の徳[アレテー](=善さ)とは、何か究極目的や理想状態に自分を近づけるという具合に考える必要はないので、むしろつねにわき上がってくるさまざまな情念を、抑圧するでもなくまたまったく放置するのでもなく、自分にとってもっとも適切な状態に保つように配慮することであると。p39

「情念を自分にとってもっとも適切な状態に保つ」とは。「配慮する」とは。前半にかなり納得してきただけに,後半にゆくにつれて,その具体がイメージできなくなってきた分,アリストテレスとの距離も空いてしまいました。もう少し他書から引っ張らねば。

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