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劣等感は自分が勝手に感じるもの

皆さんのなかには現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいるかもしれないのですが、ここで皆さんに分かってほしいのは劣等感は自分が勝手に感じているものであるということなのですね。

現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方のなかには自らが劣等感に苛まれている理由として「自分が劣った存在だから」というふうに考えられている方もいるかもしれないのですが、私が思うには実際にはそのようなケースは少なく、劣等感に苛まれてしまっているという方は能力や容姿、社会的地位などに問題があるというよりも『考え方』に問題があるのではないかと思うのです。

そして考え方に問題があるからこそ能力や容姿、社会的地位という意味では決して他者に劣っているわけではないものの、強い劣等感や自己嫌悪感に苛まれてしまうという方がいるのではないかと思うのですね。

今回の記事ではそんな「劣等感は自分の考え方によって生じているものである」という私なりの考え方について見ていきたいのですが、皆さんとしてはどう思われるでしょうか?

なかには私の意見に反対であり私の意見にまったく賛同できる気がしないという方もいるかもしれないのですが、それでもぜひこのまま読み進めてみてほしいのですね^^

劣等感は自分が勝手に感じているもの

友情8

皆さんのなかには現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方が一定数いるかもしれないのですが、そのような方たちに分かってほしいのは劣等感は自分が勝手に感じているものであるということなのですね。

現時点で「自分は価値のない人間なんだ」「自分は誰からも蔑まれる惨めな存在なんだ」などというふうに思ってしまっているという方もいるかもしれないのですが、それでも大抵の場合それは現実を正確に反映したものではなく自分が勝手にそう思ってしまっているだけなのではないかと思うのです。

私は人間の特定の能力や容姿、社会的地位や年収などをまとめて『人間としての機能』というふうに呼んでいるのですが、強い劣等感に苛まれてしまっているという方は自らのこの『人間としての機能』に自信を持つことができていないのではないかと思うのですね。

例えば「気が小さくビビりな俺は人間としての価値がない」「幼い頃から容姿が悪く男性からもまったくモテなかった私は人間としての価値がない」などというふうに『機能が劣っている自分=人間としての価値がない』というふうに考えてしまっているのではないかと思うのですが、それでも私が思うのはこのような考え方は単なる思い込みであるケースが非常に多いということなのです。

例えば男性のなかには「自分のような容姿の悪い人間は人間としての価値がないんだ。イケメンな人間だけが人間としての価値があり、俺のような容姿の悪い人間は人間としての価値がないんだ‥‥」などというふうに思われている方もいるかもしれないのですが、それでもこのような考え方は本人の思い込みであり、実際にはそのようなことはないと思うということなのですね。

実際に世の中には決して容姿が整っているとは言えなくとも自分に自信を持っている男性もたくさんいますし、逆に容姿が良くとも自分に自信を持つことができずに劣等感に苛まれてしまっているという方もいるということなのです。

まぁこの例はあまりにも極端かもしれないのですが、それでも現時点で強い劣等感や自己嫌悪感に苛まれしまっているという方は「自分は〇〇だから人間としての価値がない」「〇〇な自分は誰からも見下される存在なんだ」などというふうに考えられているのではないかと思うのですが、このような考え方は大抵の場合は自分が勝手にそう思っているだけであり、実際には何の因果関係もないところに自分が勝手に因果関係を作ってしまっているというケースが大半なのではないかと思うのですね。

例えば「社会的地位も低く年収が低い俺は人間としての価値がない」というふうに考えら強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいるかもしれないのですが、それでは実際に世の中の男性は誰もが社会的地位が低かったり年収が低かったりすると強い劣等感に苛まれしまっているのでしょうか?

当然ながらそのようなことはなく例え社会的地位や年収が低かろうとも自らに価値を感じており劣等感とは無縁な方もいるでしょうし、逆に社会的地位が高く年収が高くとも強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいるのではないかと思うのです。

皆さんのなかにも現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方がいるのではないかと思うのですが、そのような方は自らの考え方を今一度チェックしてみてほしいのですね。

現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は「自分は〇〇だから人間としての価値がない」というふうに特定の機能が原因で劣等感を感じてしまっているのではないかと思うのですが、それでは皆さんと同じような機能を持ち合わせているという方は誰もが強い劣等感に苛まれているのでしょうか?

例えば「容姿の悪い俺は人間としての価値がない」というふうに考えられているという方も皆さんのなかにはいるのではないかと思うのですが、それでは世の容姿の悪い男性は誰もが自らの容姿が原因で強い劣等感に苛まれてしまっているのでしょうか?

当然ながらそのようなことはなく例え顔立ちが整っていなかろうとも自らにしっかりと価値を感じており、劣等感とは無縁であるという方はたくさんいるのではないかと思うのです。

また逆にそれでは容姿の整っている男性、すなわちイケメンな男性は誰もが自らに価値を感じており劣等感とは無縁なのかというと、これもまた違い例え容姿が整っており女性からモテるような男性でも劣等感に苛まれてしまっているという方は一定数いるのではないかと思うのですね。

大事なのは現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は「自分は〇〇だから劣等感を感じてしまうんだ」というふうに考えてしまっているのではないかと思うのですが、大抵の場合はそれは『思い込み』であり、客観的な事実ではなく主観的な思い込みなのではないかということなのです。

実際に現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方も周囲を見渡せば自分と同じような機能を持っていながらも劣等感とは無縁であるという方もいれば、自分が羨ましいと思うような素晴らしい機能を持ち合わせているのに強い劣等感に苛まれてしまっているという方もいることが分かるでしょう。

大事なのは現時点での劣等感は自分の勝手な思い込みの部分が大きく、大抵の場合は客観的な事実ではないということなのですね^^

他者の気持ちを過剰に悪いほうへと想像していないか?

友情9

ここまで劣等感は客観的な事実ではなく主観的な思い込みである可能性が非常に高いということについて見ていったのですが、皆さんの多くもこれには納得してくれたのではないかと思うのですね。

例えば現時点で「自分のような容姿の悪い人間は人間としての価値がないんだ!」というふうに思われている方がいるのではないかと思うのですが、それでは世の中の容姿が悪い方は誰もがこのように考え誰もが劣等感を抱いているのでしょうか?

当然ながらそのようなことはなく例え容姿が悪かろうとも自らにしっかりと価値を感じており、劣等感とは無縁であるという方もたくさんいるのではないかと思うのです。

ここで皆さんに分かってほしいのは「自分は〇〇だから人間としての価値がない」「〇〇な自分は誰からも見下される存在なんだ」などというような考え方は思い込みである可能性が非常に高いということなのですね。

実際に現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は自分の周りを見渡してみれば自分と同じような機能を持っていながらも、劣等感とは無縁に生きていることができているという方がたくさんいることに気付くのではないかと思うのです。

それでは一体なぜこのように同じ機能を持っていながらも強い劣等感に苛まれてしまう方と劣等感とは無縁に生きることができる方がいるのかということなのですが、私が思うに両者の大きな違いの1つには『他者の気持ちの想像の仕方』があるのではないかと思うのです。

私が思うに特定の機能が原因で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は他者の気持ちを過剰に悪いほうへと想像してしまっており、世の中の人を自らにとっての『敵』として見なしているのではないかと思うのですね。

例えば先ほどから何度も繰り返し登場している、自らの容姿が原因で強い劣等感に苛まれてしまっているというタイプの方は「自分のような容姿の悪い人間は人間としての価値がない」というふうに考えてしまっているということでした。

そしてそのような経緯からこのようなタイプの方は自らに価値を感じることができず、また容姿が良いタイプの方について強い嫉妬心などを抱くことになるのではないかと思うのですが、このような考え方の背景には他者を自らにとっての『敵』として見なしているということの存在があるのではないかと思うのですね。

なぜならこのようなタイプの方は「自分のような容姿の悪い人間のことは誰もが見下してくるんだ!」「自分のような容姿の悪い人間は誰もがバカにしてくるんだ!」などというふうに他者を過剰に『自分のことを攻撃してくる存在』として見なしているからなのです。

実際に容姿が悪くとも自らに価値を感じることができており劣等感とは無縁であるという方は決してこのように容姿が悪いからと言って他者からバカにされたり見下されたりするなどというふうには考えないことだと思うのですが、その一方でこのように強い劣等感に苛まれてしまっているという方は他者に対する信頼感が一切なく「誰もが自分のことを攻撃してくるんだ!」「誰もが自分のことを蔑みバカにしてくるんだ!」などというふうに過剰に他者を敵として見なしてしまっているのですね。

その結果このようなタイプの方は容姿が悪いという機能が原因で強い劣等感に苛まれてしまうことになるのですが、ここで皆さんに分かってほしいのはこのようなタイプの方が容姿が原因で強い劣等感に苛まれる理由は容姿そのものにあるのではなく、考え方にあるということなのです。

そしてもっと言うとその原因は「他者を信頼することができていない」ということにあるのではないかと思うのですね。

何度も繰り返すようですがこのようなタイプの方は「自分のような容姿の悪い人間は誰からもバカにされるんだ!」というふうに考えてしまっているのですが、本当に世の中の方はそれほど他者を容姿で評価し、そして容姿の悪い方を見下したりバカにしたりするものなのでしょうか?

当然ながらそのようなことはなく、世の中には決して人を容姿で評価するような方ばかりではないのですね。

だからこそ例え容姿が悪くとも自らに価値を感じ劣等感とは無縁に生きることができている方もたくさんいるのではないかと思うのです。

大事なのはこのような劣等感が強いというタイプの方は他者の気持ちを過剰に悪いほうへと想像してしまっていることから、特定の機能が原因で「自分は誰からもバカにされるんだ!」「自分は誰からも見下されるんだ!」などというふうに考えてしまっているということなのですね。

これは以前他の記事でも書いたのですが我々人間は本当の意味で他者の気持ちが分かることはなく想像することしかできないからこそ、他者を敵として見なせばこの世界は敵ばかりの場所として見え、逆に他者を仲間として見なせばこの世界は仲間ばかりの場所として見えるということなのです。

私が思うに劣等感が強いというタイプの方は他者に対する信頼感がまったくなく「人間とは誰もが自分のことしか考えていないんだ!」「誰もが平気で人のことをバカにするものなんだ!」などというふうに考えてしまっているからこそ、他者の誰もが自分のことをバカにしてくるような恐ろしい存在として見え、その結果常に「バカにされないだろうか?」「見下されないだろうか?」などというふうにビクビク怯えることになってしまうのではないかと思うのですね。

そして当然ながらこのように他者が敵として見えており自分のことをバカにしてくる存在であるというふうに見なしていると、常に他者の目ばかりを気にした非常につまらない人生を歩むことになってしまうのではないかと思うのです。

そのような経緯から考えるに現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方にとって重要なのは『他者は敵である』という認識から『他者は自分の仲間である』という認識に改めることなのではないかと思うのですね。

そしてこのように認識を変えることができ「人間とはお互いに愛しあうものなんだ」「自分のことを愛してくれる人はたくさんいるんだ」などというふうに思えることができるようになれば、『人間としての機能』という意味では変わらなくとも自らに価値を感じ劣等感から解放されることができるようになるのではないかと思うのです^^

今回のまとめ

友情10

今回の記事では「劣等感は自分が勝手に感じているもの」というテーマについて見ていったのですが、私が主張したいことは自らの劣等感は大抵の場合が思い込みで作られているものであり、実際に世の中の人は自分のことをバカにしたり蔑んだりしてくるような酷い人たちばかりではないということなのですね。

現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は自らの特定の機能が原因で「自分は価値がない人間なんだ」「自分は誰からも蔑まれる惨めな存在なんだ」などというふうに思われているのではないかと思うのですが、私が思うにはこのような考え方は大抵の場合が自分の勝手な思い込みであり、実際に世の中の人はそこまで自分のことをバカにしてくるような人ばかりではないということなのです。

現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は「自分は運動音痴で足が遅いから」「自分は容姿が悪く異性からモテないから」「自分は頭が悪く人の話になかなかついていけないから」「自分は音痴だから」「自分は話が下手ですぐに場をしらけさせてしまうから」などということが原因で強い劣等感を感じてしまうことになるのではないかと思うのですが、それでも重要なのは大抵の場合このような考え方は自分の勝手な思い込みであり、世の中の人はそれほど自分のことを攻撃してくるような悪い人ばかりではないとういことなのですね。

そしてそのような経緯から私は現時点で強い劣等感に苛まれてしまっているという方は自らの『機能』よりも、考え方、もっと言うと『他者の気持ちの想像の仕方』に問題があるのではないかと考えているのです。

何度も繰り返すようですが我々人間は本当の意味で他者の気持ちが分かることは決してないことから、常に他者の気持ちを想像しながら生きているのですね。

例えば「こんなことをしたら嫌われるかもしれない」というふうにや、「こんなことをすればこの人から好かれるかもしれない」「こんなことをすれば彼は喜んでくれるかもしれない」などというふうに人から嫌われないため、好かれるため、喜ばせるためになど、様々な理由で我々人間は他者の気持ちを想像しながら生きることになっているのです。

そして我々人間はこのように誰もが他者の気持ちを想像しながら生きているのですが、問題は人によってはこの『想像』が過剰に悪いほうへと行ってしまうこともあるということなのですね。

例えば我々は「こんなことをしたら人から見下されるかもしれない」「こんなことをしたら人からバカにされ笑われるかもしれない」などというふうに他者の気持ちを想像することがあるのですが、これがあまりにも過剰になると何をしても人からバカにされるというふうに思ってしまい怯えてしまうことから、どんどん人生から自由が失われてしまうことになるのです。

例えば自らの容姿で過剰に悩んでいるという方は「自分のような容姿の悪い人間は誰からもバカにされるんだ」「自分のような容姿の悪い人間は誰からも見下され蔑まれる存在なんだ」などというふうに考えてしまっているのではないかと思うのですが、本当に世の中はこのような容姿の悪い人間をバカにするような酷い人たちばかりなのでしょうか?

当然ながらそのようなことはなく、世の中には決して『人間としての価値』を『容姿』によって定めはしない方たちもたくさんおり、むしろこのような方たちのほうが圧倒的多数なのではないかと思うのです。

大事なのは強い劣等感に苛まれてしまっているという方は他者に対する信頼感がないことから、このように他者の気持ちを過剰に悪いほう悪いほうへと想像してしまっているということなのですね。

そして他者の気持ちを過剰に悪いほうへと想像してしまっていることから「自分は誰からもバカにされるんだ」「自分は誰からも蔑まれるんだ」などというふうに感じてしまうことになるということなのです。

そのような経緯から考えるに劣等感から解放されるためには自らの『機能』をより良いものにしようとするのではなく、他者に対する信頼感を育み「自分を愛し大切にしてくれる人はたくさんいるんだ!」という認識を育むことが必要なのではないかと思うのです^^

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