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自分なりの「note」の楽しみ方は無限

先日書いた「note」の記事が意外と見られていてびっくり!

「note」って共有と言うより自己満足と自己完結。

やり始めた人もやっている人にコメントしても案外返っては来ない。

私は別にコメントを返して欲しいとも思いません。

だって既に記事を書いた人にとっては自己完結しているから。

投稿することで満足しているようですからそれも「note」の良いところ。

私は「note」の他にアメブロやSNSを投稿していました。

そういうアプリはやっぱりコメントしてもらったら返さないと相手が満足しない。

自営業もやっているので何かに対して「要求」は求められる。
今の時代は「お客様は神様」なんて言うのは古い。
既にそれは「差○」をお互いしているようなもの。

だから私のスタンスとすればお客様に「ゴマスリ」的な事はほぼしない。

「note」の世界でもそういう要求的な共有はされていない。

「興味」ある人が読んでいるって感じ。

だからもし始めたばかりの人は普通に書きたい事を書けば良いと個人的には思う。

日本の現代人はあまり「活字」は読まなくなってきている。

客商売やイベント出店しているから分かりますけど、基本ポップとか文字読みませんからね‪w。
読み書きもしない世代も多いですからね。
映像で理解している人が多いので文字の理解力は年々落ちてますからね。

説明しても「分からない」。
ポップに値段や説明を書いていても読まないし聞いてくる。
かと言って買う訳でもない。

客商売やっている人は私の言っている事が「(゚ー゚)(。_。)ウンウン」って分かってくれるかも‪w。

でも「文字」を描くということは人類の歴史としては「必要」な技術。

人間の進化は「文字」「言葉」にある。

猿だった?人類の祖先は「文字」や「言葉」によって変革をもたらし成長を遂げた。

もし「言葉」や「文字」がなければ知能がなく未だに「猿」だった可能性もある。

ただ、「言葉」も「文字」も弊害として「嘘」を産む。

人類の歴史はほぼ「嘘」だったりしますからね。
これは私が数十年間「アングラ」的な知識を調べた結果。

客観的に過去の歴史の「文字」や「言葉」を読んだ時…おかしいんです。
ここらへんの話はまた機会があれば記事に書きたいと思います。

「嘘ついたら針千本…」という言葉があるように昔は「嘘」は「死罪」。

だからこそ「note」の世界では偽りなく書きたい事を書いたら良いと私は思うのです。

私ももう既に3ヶ月。

マイペースに書きたいタイミングで書きたい事を描いている。

誰に見られる訳でもないけど私にとってはある意味「趣味」。

数年後にこれが自分にとって「財産」なればいいなと思う。

承認欲求だけでやっていたら直ぐに止めてしまうだろうから
まずは自分を満足するような事を書いてみたらと私個人は思います。

何事もやり続ける事が「自分を肯定」出来る。

それは私がこの10年で感じて学んだこと。

皆さんにとって自分を肯定する事が出来るのが「note」の可能性では無いかと思うのです。

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