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なぜ日本の学校は障害児を分けるのか

今年2022年9月、国連が日本政府へ障害児の分離教育を中止するよう要請した、というニュースを友人が教えてくれた。それに対し日本の文科相は、現行の特殊教育をやめるつもりはないと答えていた。この意識の隔たりは何なのだろう。

1965年生まれの私は、障害児は特殊学級か養護学校(当時の名称)へ行くのが当たり前の中で育った。そのことに疑問を持たなかったのは、自分たちが受けている授業が、障害を持つ子が学ぶには難しいから仕方がないことだと思っていたのだが、そもそもそのことが間違っているのに気づかないまま進学し、社会人になった。

栄養士として私は、養護学校の寄宿寮に住み込みで就職をした。3年間、障害を持つ子どもたちと生活を共にし、私は保育や教育の勉強をしてこなかったけれど、子どもにとってはそんなことは関係なく慕ってくれて、私も成長する姿に家族のような愛着も感じていたが、閉じられた寮の中で健常者の社会との溝を感じずにはいられなかった。
仕事を辞めて結婚をし、自分の子に障害があるとわかった時、私は障害者の側になったのだという思いがあった。

大阪の豊中市に住んでいたため、保育所から小・中学校と地域の学校で健常児と共に過ごしたことは、長男のあきひろにとって本当に良かったと思う。だが一方で、行政や学校へ要求をしたり、他の保護者に気をつかったりすることにかなりのエネルギーを使い、高等部から支援学校に入った時はホッとした気持ちが大きかった。

このまま障害に理解のある人たちの中だけで生きていけばいいのではないか、という思いも当時はあった。けれども、あきひろのことを理解してもらおうと、これまでの経過を綴り、障害児教育の歴史を調べたことで、そんな私の意識は変わっていった。ひと言で言うと、障害者を分けることそのものが大きな間違いで、そのことが私たちみんなの生きづらさに繋がっているという確信を持つようになった。

障害児を分けている学校で、差別はいけないと教えて説得力があるだろうか。障害のある子にもない子にも、障害を理由に分けることは仕方がないと教えているようなものではないだろうか。いろいろな人がいる社会から切り離した特別支援学校でしか教えられないこととは何だろうか。そこで教わったことは、果たして社会で活かせるのだろうか。

発達や能力を基準として、その子の全てを評価してしまうような今の学校は、障害児だけでなく健常児に対しても不平等だと思う。人は皆が同じ目標に向かって発達するのではない。障害児の発達を支援するということは、その子が自らの力を発揮するのを手助けすることであり、健常児に近づけることではない。

私は、ひとりでに喋り出さないあきひろに、言葉はこんな風に使うんだよと教えてきた。私はきっかけを作っただけで、今あきひろが使っている言葉は、日々生活する中で自ら獲得していったものだ。物の名前を私に訊ねたり、絵本の言葉を生活の場面で使ってみたりしながら、今も言葉の世界を広げている。

あきひろは私が書くものが気になるらしく、この原稿をのぞいて読もうとしている。私は、あきひろに見せても恥ずかしくない文章を書けただろうか。

参考図書
「みんな一緒に学校へ行くんやー「普通」学級で学ぶ「障害」児教育の実践」大阪・15教職員組合連絡会編 現代書館
「現代教育と発達幻想」山下栄一編 明石書店



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