コラム・エッセイ

底辺

世の中の底辺ってどこなんでしょうか。 私の友人は生活保護を受け、現在毎日ゲームをしてスーパーの半額弁当を食べて生活しています。 地物との先輩は実家でずっと生活をしていてバイトで生きています。 そのバイトで稼いだお金で女の子と遊ぶ生活をしており、彼は地元以外の外の世界に踏み出せないし知ろうともしません。 私は有名企業に頑張って入社し、そこで日付が変わるまで働き、帰ってきてからコンビニ弁当を食べ、休みの日はひたすら寝るだけの生活をしています。 生活保護を受けているのに一生

繰り返された凶行

世界は本当に混沌に向かっている つまり 秩序が保てない状態になってきているということだ 昨日 一昨日 深センにおいて日本人学校に通うお母さんと一緒に帰っていた10歳の子供が44歳の中国人に襲われ 刺されて今日死亡した そのことに対して 中国政府は言葉だけで遺憾の意を表している そうだ どうせ何もしない 次も同じことが起きる 中国政府は自分たちの無能を日本のせい 反日 政策をやりすぎてもはや コントロールができていない 中国の動画では 日本人を殺せば 我々

例えば月明りでも。

闇の中に見える光は、ほのかなものでも周りを見渡せるだけの光になる。 生きていられるなら、誰かのためでもいいと思う。 みんな人生は、自分が主人公。 だから、自分の人生を輝かせるために積極的に生きていかなければならないとよく啓発本に書いてある。 大変、雑にまとめてしまって申し訳ないが。 私の意訳なので大目に見てほしい。 このところ、私の身には思いがけない出来事が立て続けに起きて 自分の心が置いてきぼりを食らっている感覚を持ったし、この先が見通せず、辛く寂しいと感じている。

死にたい中学生

死刑宣告を待つ罪人は、逃げる事に必死だった。 事件が起きたのは中学1年生の時のバレンタインデー。 学校へのお菓子の持ち込みは禁止されていたのにも関わらず、私は土曜日の部活でみんなにチョコチップスコーンを配っていた。 後日これがきっかけで自殺未遂をし、病院に搬送されるとも知らずに…… 私の所属するバドミントン部はまあまあ強く、私はその中でも大会に出させてもらえるくらいではあった。試合に勝てない生徒はラケットすら持たせてもらえず、体育館の端っこを走らされていた。顧

ありがとう!お気を付けて!

私が未来のためにできること。 大きくはないし、本当に小さなことだけど続けていることがある。 それは、店員さんや配達員さんに必ずありがとうを言うこと。 そして、お客さんや配達員さんには仕事中でもプライベートでも、お気をつけてと労わる声をかけること。 始めたきっかけは自分が窓口対応や接客の仕事を経験したことにある。 仕事となればしんどいときだって多い。疲れている日だって何度でもある。 そんなときに一声でもねぎらってくれたり、ありがとうを言ってもらえたらさっきまでの何倍もの力が湧

私の育った環境

4人チームの日常を書く前に、前提として、エガミンの古傷えぐり系記事を置いておく。ふわふわの日常と思って読もうとしてくれた人は、ここで止めた方がいいかと思います。なんか有名人ぽく書いてしまったけど(恥)、決して調子乗ってるわけではないです。人によっては、ちょっとしんどい中身かもです。 ※宗教のことが出てきますが「★★宗教」としています。特定の宗教を否定したり非難したいわけではなく、★★小学校に昔行ってたよみたいなレベルの話で、読んでもらえるとうれしいです。 過去トリップ“「★

私の仕事遍歴〜「お金をもらって社会勉強ですか」と言われた使えないバイト時代

すずこです 前回の記事ではなんとなくnoteを書く理由というか きっかけになっている機能不全家族、アダルトチルドレンからの脱却の経緯を さらっと書いてみました ここでもう一度一言で表すと、 死にたいと何度も思って誰にも本心を言えない人間だったけど一丁前に幸せだなと感じている私から今つらくて仕方ないと思っている人にそれを乗り越えた人ここにいるよー!大丈夫だよー!って知らせたい そして、私でよければ一緒に乗り越えます! と宣言すべく記事にしています 救うなんてすごいことは

毒親の呪い

「ママね、まやちゃんがパパに似てるのが嫌なの」 当時、幼稚園児だった私(まや)に、母が呪いをかけました。 「嫌ねぇ、食べ方までパパに似てるのね」 「そういうパパに似た目つき、やめなさいよ」 人の記憶は、どこまでさかのぼれるのか。私はそのときの母の声音、毛虫でも見るような歪んだ顔、言われた言葉、全てを克明に覚えています。 そしてその後も母は、小学生、中学生の私に「自分の結婚は失敗だった」「人生、貧乏くじ引いちゃった」と毒を吐き続け、私が父に似ていることを責め続けました。

#22 末期癌の祖父への見舞い日記2

人に迷惑をかけて、好きに生きてきた人は死に際で苦しい思いをする。野蛮な見出しで申し訳ない。 無論、私の言葉ではない。 「今日はパパくる?」家には母と息子二人がいた。 母は仕事を終え帰宅し、早速晩御飯の準備に取り掛かる。 すると、次男が母に問いかける。 「今日はパパくる?」 母は思わず笑ってしまう。 そんなことより 「ここはパパの家やろ?くるんじゃなくて帰ってくるんよ?」 「え?でもたまにしか来んやん」 父はたまにしか帰ってこない。 最近、ビルを購入し女の子を住まわせ

癒えない傷

もう過去のはずなのに。 新しい場所で過ごしているのに。 たくさん溢れている中のひとつなのに。 通っていた高校の制服を着た学生を見ると、 動悸がする。 「この高校に絶対行くんだ」 そう決心した中学2年の春。 それからずっと机に齧り付き、たくさん勉強して挑んだ受験当日。 合格の文字を見た途端。張り詰めていた心の糸が一気に緩み、これからこの学校が私の母校になることの嬉しさから、自然と口角が上がった。 おばあちゃん譲りの頬骨も一緒に。 おろしたての独特な匂いに包まれたま