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映画「屍人荘の殺人」で浜辺美波が役者としてやっぱり優秀だと感じた件

映画これだけは伝えたい。浜辺美波は役者として優秀だと。

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かわいくて細くて守りたくなる容姿はもとより原作モノの特徴あるキャラクターを難なく演じる役者魂を持ち合わせており、そこらへんの若い女優とは一線画している、と思っていたが、屍人荘の殺人を観てその印象は確信に変わった。

・そもそも若さや美貌だけをウリにする女優が多すぎる

そもそも若さや顔等、美貌をメインで売りにしている女優に物申したいのは、それらは経年で劣化するということだ。

なので当たり前だが、演技力やそれに準ずる何某かの特徴を経年で身につけないと、世の中に対して女優がアピールできる個性・武器がなくなってしまうのだ。

個人的に、誰とは言わないがいい歳をしてまだ美貌だけを売りにし演技力が伴わない女優が多すぎやしないかと思い、憂いている。
日本のマスメディアにおける芸能は今後それで大丈夫なのかしら?

(もちろん美貌を一生武器にするんです、という人もいれば、そこまで女優業にモチベーション沸かせてないんです、という人もいるはずで。かつ売り手側もマスでウケるために演技はともかく若い人気のある子起用すればいいばいいのだ、とか、彼女たちは代替可能だから一過性で良い、とか色々な話があるので、これは、あくまで私のお節介だが。)

・浜辺美波は若さも美貌もあるのに、それ以外で戦おうとしている

と、いう中で、
この年で美貌以外のところで戦おうとする浜辺美波、逸材である。

逸材ポイント1:感情を解放した演技を普通にしている。

そもそも日本人は恥じらいが強い人種なので、感情を解放することが苦手だ。(なのでそもそも演技と日本人は親和性が本質的に高くないと思っている)
また、多感な10代なら尚更だ。
さらに感情を解放するにあたって、作品や自分を客観視する力がかなり必要になるのではないかと考えるが、この力を10代で身につけるのは相当難しいように思う。
厨二病、という言葉があるように、自分の価値基準のみの中で物事を捉えてしまうことが多いはずである。

なのに、なのに、
賭ケグルイしかりセンセイ君主しかり、屍人荘の殺人しかり、自己と役を切り離しメタ的に捉えた上で、感情を解放した演技ーそれは「気持ち悪さ」や「過剰さ」だったり「ありえなさ」だったりするのだがーを徹底的に遂行できている。あっぱれである。
10代の主役張っている女優たちを頭に思い浮かべてみても、これができてると思うのは浜辺美波と広瀬すずくらいじゃなかろうか。
本当に浜辺美波、強い。

逸材ポイント2:(多分)監督から指示されたこと、120%の力でやりきっている。

ここが屍人荘の殺人を見て浜辺美波の秀才さを確信した点だが、多分、監督の指示、全部守っている。しかも120%の力を出し切って演じている。
なぜそう感じたかというと、今回浜辺美波演じる「剣崎比留子」がまた相当に変わった役なのだが、その変人ぶりを表す身振り手振り行動すべての振る舞いが常軌を逸するぐらい過度なため、それを100%でやろうとすると、いくらファンタジーものであるとしても、違和感が残るのである。
(剣崎の振る舞いが異常に過度なのはそもそも原作がそうなのか、エンタメ要素を加えるための演出なのかは不明である。)
しかしながら、その違和感すらもろともせず彼女はやりきっていたのだ。
おそらく、作品のキャラクターにおいては、完全に没個性を徹することができるのだろう。「浜辺美波色、出すぞ」という色目が全くない。
そこに、女優としての高いプロ意識を感じた。

浜辺美波の演技を見れば見るほど、彼女のことが好きになっていく。
これからも浜辺美波の力量に注目していきたい。

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