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頭の中の皮肉屋さん/書くことは難しい②
9月になり、やっと秋めいた天気になったと思いきや、また猛暑日に逆戻りです。つくばは今日35℃ありました。暑い。
今日は珍しく、書く前にタイトルを決めました。「頭の中の皮肉屋さん」って、コナンの映画タイトル「瞳の中の暗殺者」っぽいなと、勝手に気に入っています。
コナンの映画だと「迷宮の十字路」が好きです。メインテーマのイントロがサックスでかっこいいんです。たぶんアルトサックスでしょうか。難しい。あと倉木麻衣さんの「Time after time~花舞う街で~」が子供心にいいなあと思っていました。
以前の日記で、書くことは難しいですね、と書きました。物語性と文章の話をした日記ですね。
今回は、書くことは難しい、ということについて、少し違った話を書こうと思います。
今回の文章は、半分は自分のために書いています。どうして自分は文章を書くことに苦手意識があるのか。考えてみます。
文章を書くとは、何をしているか
わたしたちは、文章を書くとき、何をしているんでしょう。
書く、とありますが、この「書く」を下記のような過程に大別してみます。
⑴ 書く内容を考える
⑵ ドラフトをつくる
⑶ 読み返す
⑷ 修正する
この⑴から⑷を繰り返して、文章の完成だと思っています。
私が苦手なのは、この中の⑴です。圧倒的に、書く内容を考えることが苦手です。
では、書く内容を考えるのが苦手、とは一体どういうことでしょうか。考えることの何が苦手なのか。
書く内容を考えること
私たちは、どんなときに書く内容を思いつくでしょうか。
そもそも考えるとは何か‥という問いは、射程が広いのでここでは一旦脇に置きます。いつか考えてみたいですが、一旦保留です。
私の場合は、座って手を動かしているときや、散歩をしているときに、書きたいことを思いつきます。最近ショックを受けたことや、あるいは感動したことについて、今まで読んだ本の内容や、誰かが話していたこととつながらないか、接続できないか、説明できないか‥‥とぼんやりする時間に、思いつきます。
いわゆる発想法やアイデア出しの方を示した本はたくさんありますね。例えばKJ法が有名な「発想法」「続・発想法」(著 川喜田 二郎)であったり、最近で言えば「問題解決大全」、「アイデア大全」(ともに著 読書猿)あたりでしょうか。キリがないくらい、考えるための方法はあります。
問題はこの後です。書く内容を決めたあと。ここで、頭の中の皮肉屋さんが登場します。
書くこととアイロニー
書きたいことを考えた後、例えば書きたいことを雑多にメモしたとして、そこで自分の考えたことを改めて批判的に見直すとき、かなり神経質になってしまいます。どうしても気になる部分が出てきて、それを看過できず、あるいは肯定できず、それ以降書き進めることをやめてしまいます。あるいは書いたとしても、恥をかきたくない、失望されたくないという思いから、誰にも見せられないことがしょっちゅうでした。
気になるポイントは無数に出てきます。無限のアイロニーに足を絡めとられて動けなくなってしまう感覚です。自分の考えを見直す、あるいは簡単に文章にまとめた時、どんなところが気になるのか。以下に例をあげてみます。
多義語の誤謬、確証バイアス、現状維持バイアス、ネガティブバイアス、サンプリングバイアス、生存者バイアス、親近感バイアス、外集団同質性バイアス、サンクコストバイアス、二分法の誤謬、本来性の誤謬、前件否定・後件肯定の誤謬、処理流暢性の誤謬、権威主義の誤謬、極端な一般化、公正世界誤謬、相関と因果の混同(擬似相関)、坂道論法、藁人形論法、アジテーション、観察者効果、エコーチェンバー、悪魔の証明、救済者コンプレックス
接続詞の使い方、係り受け、てにをは、段落分け、全体の構成、網羅性と重複、引用の正確さ、事実と推測の区別、語尾の口調、エレガント・ヴァリエーション、用語の用法、読み手の想定、話の抽象度
自分の書いた文章は、歪んでいるんじゃないか。本当にこの文章でいいのか。何か致命的な欠落があるんじゃないか。と考え始めてしまって、どうしても自分から隘路に踏み込んでしまいます。
そして、ここらへんのことが気になるとき、やっぱり辛いのです。そのまま考え続けることが苦しい。自分の考えに、つねに留保がつく。何を考えても、自分で否定してしまう。自分の書いていることに自信がなくなる。それがずっと続く。という感じです。
否定を乗り越えること
ここが、わたしが1番考えたいことです。いくつか本を読みながら、ずっと、このことばかり考えています。どうしたら、自分を否定することなく書けるのか。あるいは、動的平衡状態でもよいので、否定と肯定が混在するくらいの状態で、書くことができるのか。
どう考えれば良いのか、まだ分からずにいます。もう少し学んでみます。いつかこのことについて、noteに書けるようになりたいと思っています。「書くことと肯定することについて」。
おわりに
書くことが難しい理由について、1つの説明を書きました。今回は「アイロニーの行き過ぎ」が書けない原因ではないのー、という話でしたが、間違いなく、他にも理由はあると思っています。書けないことについて整理していくための足場の1つして、今回の話を書きました。
これからも、自分を捉えているこの書きづらさについて、考えていくつもりです。
そろそろ寝ようと思います。またあした。
(ねこやなぎ)
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