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偏見と思い込みの怖さ

先日とある店内に図書館で借りた本を忘れて帰ってしまった人を見掛けたので、私は咄嗟にその本を持って追い掛けた。

まずは駅前に走って…居ない。その本の図書館はバスで行く場所だったのでバス停も見に行った…居なかった。諦めて店に戻ろうと歩いていると、目の前から本を忘れた70代位のお婆さんの姿を発見して無事に渡す事ができた。その時に…

『ずっと私を探してくれていたの?本当にありがとう!私は貴女に感謝する、きっと良いご両親から愛されて育ったんでしょうね。

私は…愕然とした。正直、はぁ?と思った。

『いえ…、私はその…虐待されて育ったので、両親は関係ありません。』と言うと

『そんなはずは無い!絶対気付いてないだけで本当は愛されていたのよ!』

コレね…。自分の子供を愛さない親は居ない。とか、親は子供の事を一番に考えている筈だ。とかね、極め付けは命が危ない時には絶対親が代わりになりたいと思う筈だ。とか…愛されて普通に育った人が言う一般論なんだろうね。私からすると理想のおとぎ話で、そんな世界もあるって知ってるだけのお話…何も分かってないな、と思うと共に軽く吐き気もする言葉。

そして、そう言う事を平然と言う人ほど子供の教育だの精神的な面を支えたいとか言うよね。幸せな価値観しか持ち合わせていないのに。

さて、話は少しそれましたがココで問題なのは

他人に優しく出来る人は、愛されて幸せに育った人間で、虐待されて育った人間が他人にココまで優しくするはずが無い、気付いていないだけだ!と言われた所だと思うんです。なんて失礼な価値観だと思いませんか?

虐待されて育ったからこそ、他人の痛みに気付ける。生い立ちが悪かったら、性格曲がってないと駄目ですか?そんなふざけた理由はないです。極端に言えば犯罪者はみんな私みたいな生い立ちとでも言うつもりでしょうか?また、愛されて育ったら優等生みたな生き方をしなきゃイケナイのか?

物凄い偏見だと思いませんか?そしてその思い込み…未だにそんな考え方の人が居るんですね。当たり前の様に言っている一般的には理想の正論だから、タチが悪いと思ってしまいます。彼女がお礼として放った言葉が、逆に私の胸に刺さった。

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