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あんなに言ったのに

僕は 今も昔も抗うつ薬を飲んでいる。
今までに飲んだのは
・パキシル(前通っていたクリニック)
・アナフラニール(入院の病院 点滴)
・トリンテリックス(入院の病院)
・サインバルタ(今通っている病院)
・デプロメール(今通っている病院)
・レスリン(リハビリ病院)
今飲んでいるのはサインバルタだけ。でもサインバルタは疼痛目的で飲んでいる。

抗うつ薬を飲んでいたのは23~24歳だった。
初めて飲んだのはパキシルというお薬だった。当時はまだ希死念慮が酷いわけじゃなかった。社交不安障害目的で飲んでいた。

けれど 次第に希死念慮が酷くなって 自傷も増え 薬の量も増えていった。

それで僕は2022年にストレスケア病棟がある病院に入院した。
そこで鬱が酷くなるとアナフラニールという点滴をした。
2022年の入院はかなりホームシックになりながらも頑張って(当時支えてくれた人もいたから)2か月で退院できた。看護師さんとも約束したからしばらくの間自傷もせずに済んだ。

でも退院直後 僕は過眠になった。なぜかはわからないけれどずっと寝ていた。眠気が酷くて何もできなかった。それで「何もできない自分なんて…」と鬱になり「そんな自分なんて死んじゃえばいいんだ」とまた希死念慮が酷くなった。

自傷も復活した。2022年にはしなかったODもするようになり 腕にも熱湯をかけたりした。かなり精神状態が酷かった。
その頃には今の病院に転院して 主治医はそんな僕に強く休養を勧めた。僕は嫌だったけれどまたストレスケア病棟に入院することになった。

が 2022年と違って 僕は希死念慮が酷くなると 何回もナースステーションの近くにある階段から落ちるようになった。アナフラニールの点滴をしても よくならなくて6回は落ちた。最後の落下では 膝がぱっくりと開いて別の病院で縫うようになった。結果強制退院になった。

僕はますます希死念慮が酷くなり2023年8月24日 処方薬を過剰服薬して救急搬送された。この時は主治医のいる病院に搬送された。翌日退院できた。ただ薬は整理されて抗うつ薬はカットされた。
ICUの看護師さんは「もうここには来ちゃだめだよ」と言った。

でも僕は死ぬのをあきらめきれなくて 2023年8月31日 飛び降りをして救急搬送された。この時は大きな都立病院だった。リハビリ病院もあわせて2024年2月14日まで入院した。

このnoteを書く前日 僕はコロンバイン高校銃乱射事件のwikiを読んでいた。そこには「犯人の体内からは大量のフルボキサミンの成分」と書かれていた。フルボキサミンは僕も飲んでいたデプロメールの成分名。そこには24歳以下が服用すると攻撃性や衝動性が増す副作用があると書かれていた。
僕は気になってデプロメールの副作用や添付文章を読んだ。
そこには

抗うつ剤の投与により、24歳以下の患者で、自殺念慮、自殺企図のリスクが増加するとの報告があるため、本剤の投与にあたっては、リスクとベネフィットを考慮すること。

デプロメール 添付文章より抜粋

僕は 少し考えて意味が分かると泣いてしまった。
飲んでいた当時 確かにそういう副作用があることは知っていた。でも僕は大丈夫だろうと考えていた。でも僕は3回自殺未遂をした。

勿論 自殺未遂した原因は薬の副作用だけじゃないのはわかる。副作用よりも もう僕の精神状態は「死ぬしかない」という取り返しのつかないところまで行っていたんだと思う。

でも なんで 先生たちは僕が「死にたい」と何度も言ったのに抗うつ薬をやめてくれなかったんだろう?精神科の先生だから抗うつ薬にそういう副作用があることは知っているはず。
なんでストレスケア病棟の先生は僕が希死念慮がかなりひどいとわかっていたはずなのにアナフラニールの点滴をしたんだろう?
みんな 僕が23~24歳だったことも知っていたはず。もうすぐ25歳になるから大丈夫と思ったのかな?

僕はその日の晩 彼氏さんに泣きながらLINEをした。

彼氏さんは黙って話を聞いてくれた。

もう昔のことだし(人生はやり直せないし) また病院を変えるのは面倒だから今の病院に通い続ける。今の主治医とは波長合うし。僕が過剰服薬の自殺未遂をしたら抗うつ薬やめてくれたし…。

もう一回言うけれど 僕の自殺未遂は抗うつ薬の副作用だけじゃない。でも「死にたい」と言っていたのにやめてくれなかったことが 今となってはなんで?ということだけ。

おわり。

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