秋の青色 ~この街がすき 短編~ (愁色より)
この物語は・・・
原井浮世さんの作品「愁色」に登場する男性を通して、景色を眺める女性の数分間です。原井浮世さんの写し取った情景の美しさを惚れ惚れ眺めるうちに同じ場所に入ってしまいました。一度読んで下さった方も、ぜひもう一度、原井さんの「愁色」から続けてご覧頂けたらと思います。
懐かしい街に来た。
電車を降りた頃には、赤焼けた空を寝床へ帰る鳥が飛んでいた。
昨日からここに来ると決めていたのに、この時間になってしまったのは、
10年ぶりだったこと。もう知り合いがいないこと。だからなんだか怖かったこと。いろんな要素が入り交じったから。
幼い頃の記憶に向かうと、自分が誰だかわからなくなる。
改札を出ると駅前にパン屋さんがあった。
わっ。
急に時間が舞い戻った。
建物は新しくなっていたが、ほのかなお店の香りはあの頃と同じだった。
やっぱり。
看板の名前が当時のままだった。
街中を歩いて回る勇気が出ないままだったので自分を隠すように店に入ることにした。当時はなかったカフェスペースが2階にあった。好きだった懐かしいパンを見つけてほっぺたを緩めながらコーヒーを頼む。
「コーヒーなんか頼んじゃって。」
住んでいた頃の幼い自分が私を見ていた。
2階では独りの人たちが思い思いに過ごしていた。私は真ん中にある丸い小さなテーブル席に座った。目の前には大きな窓があり、カウンター席に座る1人の男性のちょうど後ろに並ぶようになった。まるで映画館のようだ。
目の前の人はコーヒーを香り、道行く人を見下ろした。
その人の背中と空を眺めていると、あの頃無邪気に遊んでいた友達が、あの頃のまま頭に浮かんだ。
好きな子がたくさんいた。憧れの子は1人だった。
転校していった私は今でもその誰かに会えば、わかるだろうか。
ずっとここにいる人は、1人でも私を覚えているだろうか。
そんなはずはないか。
私は小学校の6年生だったのだから。
よく小説では、昔の憧れの彼にその街で偶然出会ったりする。
けれど現実には、その頃の友達とすれ違っても私は気がつかないだろうと思う。よっぽど仲の良かった子ならば、視線で気がつくかもしれないが、小学生で別れた私が大人になった同級生を顔かたちで見つけることは難しい気がした。
「現実は違う。」
ピアノの曲を聞きながらそんな風に考えている自分が大人に思えた。
なまえ・・
名前なら変わらない。ここで、本を読むみたいに同級生の名前を読み上げてみようか。それで目の前の人が振り向いたら本当にドラマだな。
目の前の人はコーヒーを飲み、パンをちぎって口に入れると遠くを眺めた。
視線の先に公園の滑り台が小さく見えた。
わっ、なつかしい。
もしもこの人が私の当時の憧れの人だったら、その子と一度だけ遊んだことがあるのはあの滑り台だ。男女が約束をすることがなかった6年生の時に、偶然公園で会って、男子4人、私たち4人が一緒に遊ぶことになった。
そしてあの滑り台の上から私は彼に向かって叫んだ覚えがある。
色鬼をしていて私が鬼になって、その子に気があることをなんとなく伝えたくて、
「何色が好き~?」と叫んだのだ。
「あお」
その子は言い、私は滑り台の上から
「あおー!」
と叫んだ。6人は一斉に青い遊具に向かって走った。私は滑り台を勢いよく下ると、青と言ったその子に向かってまっしぐらにダッシュした。その子だけは違う方へ走っていた。
めっちゃ足が速くて、到底追いつけるはずがなかった。そんな私に同情したのか彼は公園の真ん中の大きな木をぐるぐるした後に足を緩めた。私は前につんのめるようにして彼の背中のTシャツを掴んだ。
「つかまえた。」
ゼーゼーしながら私は言った。彼は振り向いた。
彼の右手は着ているTシャツを掴んでいた。
その色は青だった。
私は掴んだ手が恥ずかしくて、何も言えずに目をそらした。
他の子を追いかけている間も、その後もずっと、私はその子を触ったことだけが頭から離れなくて、目を合わせることが出来なくなった。
夕暮れまで
遊んだあの日も
秋だった。
スマホに名前を入力すれば大概の人は検索できる。彼が今どこにいるのか、きっとわかるのではないだろうか。彼だけじゃない。誰のことだってきっと、大抵はわかる。
だけれど私はこの店の中で名前も呼ばないし、こっそりと検索もしない。
きっと、偶然目が合うことが運命だと信じてやまないからだと思う。
目の前の彼は、コーヒーを飲み終えたらしかった。
そして
立ち上がった。
私はまるで目の前の人の背中が、
あの時の彼のもののように、
ドキドキしていた。
もしかして
もしかしたら
窓越しの景色に別れを告げるように眺めた後、
彼はカバンとトレーを持ち上げてこちらを振り向いた。
!
・・・・・・
私はチラリとその人を見たが、
彼はこちらをみなかった。
そして残念なことに
あの人ではなかった。
と言いたいが、
その人があの人か
あの人でないか
それがまったく
わからなかった。
その人のジャケットの下に着ていた
張りのあるYシャツは
晴れた空のような青だったけれども。
原井浮世さま。すてきな景色をありがとうございます。