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ゴグとマゴグ戦争 (エゼキエル戦争) Part.2

二つの"ゴグとマゴグ戦争"

実は、旧約・新約聖書では、ゴグとマゴグ戦争は2度、登場する。①エゼキエル書38~39章と②ヨハネによる黙示録20章7-10節だ。聖書をよく調べてみると、この2つの戦争はそれぞれ、起こる時期や内容の異なる、別々の戦争であることが分かる。では何故、同じ名称で呼ばれているのだろう? 二つの戦争には類似点があるからだ。その類似点とは、諸国が"イスラエルに攻め上る"という点である。

ところが、この2つの戦争は、幾つかの点で異なっている。
1.エゼキエル書38~39章の戦争(以降"エゼキエル書の戦争")では、北方の国(現代のロシア)、およびその同盟国数か国が攻め上るが、黙示録の戦争ではすべての国々が四方から攻め上ってくる。
2.エゼキエル書の戦争では、"サタン"に言及していない。黙示録の戦争では、サタンが主要なキャラクターとして描写されている。
3.エゼ39:9には、 イスラエルの町々の住民は出て来て、武器、すなわち、盾と大盾、弓と矢、手槍と槍を燃やし、それらで火をおこす。彼らは、七年間それらで火を燃やすとあり、同12節では、七か月間、イスラエルの家は、その地をきよめるために彼らを埋め続けると書かれている。敵が捨てた武器を燃やすのに7年、死者の埋葬に7カ月かかるという。一方、黙示録では戦争の直後に"白い御座の裁き"(黙示20:11-15)があり、その後直ぐに新天新地(永遠の秩序)が始まるので、前者のような時間的余裕はない。
4.エゼキエル書の戦争の目的は、イスラエルの民を神に立ち返らせることだが、黙示録の戦争ではイスラエルは既に1000年近く神に忠実な民である。

以上、ゴグとマゴグ戦争は二つ、あることが分かる。このことを踏まえたうえで、もう一つの疑問が出てくる。「黙示録のどこに、二つのゴグとマゴグ戦争が出てくる?」という疑問だ。

参照:
GotQuestions:"What are Gog and Magog?"

ゴグとマゴグ戦争(エゼキエル戦争)と携挙の関係

さて、このセクションは個人的な見解を大いに含んでいる。あくまで、一個人の推察に過ぎないことをご承知いただきたい。筆者は、聖書学者でもなければ、牧師でもない。だから、これ以降の記述は、あくまでも"推察"に過ぎない。重要なのは、①エゼキエル書38~39章のゴグとマゴグ戦争、および携挙が、いつ起きるかについて、聖書には記述がないという点。聖書預言の中では、どちらも近々、起こりそうな出来事ではあるけれど、それがいつ起こるかは確定できない。

実は、どの文献を見ても、YouTubeでの解説動画を観ても、このセクションの内容に近いモノを見たことはないし、聞いたこともない。ただ、出来るだけ、聖書の提示する内容に沿った形で考察を進めているので、「そうかもしれんなぁ」ぐらいに受け止めていただければ、本望だ。

さて、イエス以前の世界、つまり旧約聖書の時代において、マゴグの地(現代のロシア)からイスラエルに攻め上った軍隊は存在しない。これは確定事項だ。世界史を紐解いても、イスラエルが北方からの連合軍に攻め込まれた記録はない。よって、この二つの戦争は、将来、いつかの時点で起こる戦争と考えてよい。②ヨハネによる黙示録20章7-10節のゴグとマゴグ戦争は、千年王国の終わりに起こる。この点は明白だ。では①エゼキエル書38~39章のゴグとマゴグ戦争は、いつ起こるのだろう?

この問いに答えるには、黙示録の構成を紐解く必要がある。

それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。

黙示録 1:19

黙示録は新約聖書最後の書で、著者は使徒ヨハネ。執筆年代はA.D.90年頃。上の一節は黙示録のアウトラインである。内容はあなたが見たこと(1章)、今あること(2-3章)、この後起ころうとしていること(4-22章)である。つまり、黙示録の内容は、この本が書かれたA.D.90年頃~世の終わりまでを時系列で記した預言の書なのだ。

さらに、この書が書かれた目的は、当時迫害に苦しめられていた諸教会の信者を励ますことである。だから、視点は常に普遍的教会※なのだ。(※普遍的教会とは、地域教会とは違って、救われた信者の集合体を表す言葉。地域教会は文字通り、地域に根差した教会で、ここには未信者も集う。普遍的教会はすべてが救われた信者で構成されている。)

黙示録の視点は常に普遍的教会(黄色の矢印⇒で表示)

上図に注目していただきたい。繰り返すが、黙示録はこの普遍的教会の視点を追って記されているので、1章~3章までは、普遍的教会の居場所である地上に在る。黄色い矢印⇒で示された部分を追って欲しい。これは約2000年に渡る教会時代を示しており、携挙によって終わりを告げる。黙示録4:1cでヨハネは「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう」と云われ、幻の中で彼自身が挙げられる。これが普遍的教会の携挙で、挙げられて直ぐ、教会時代の信者たちは天での礼拝を持つことが分かる(4章~5章)。

その後6章に入ると、子羊として表されたイエスが封印を一つひとつ解いてゆく。これが地上における大患難時代の始まりである。地上では目も当てられないほどの酷い出来事が次々と起こる。この間、ずっと視点が天にあることに留意してほしい。この描写は19章まで続く。19章後半で子羊の婚宴と記された、メシアと教会の婚姻が催され、11節では白い馬に乗ったイエスが描写され、最後の戦いのために地上に降りてくる。この時、普遍的教会も共に地上に戻ってくる様子が描かれる。

地上では最後の戦いである、ハルマゲドンの戦いが起こり、イエスと天の軍勢が勝利を収め、その後、イエスが地上を千年の間、統治する。千年王国の最後、②ヨハネによる黙示録20章7-10節に記された、二つ目のゴグとマゴグ戦争が起こって、サタンが終焉を迎える。この後、天から新しいエルサレムが降りてきて、神の民はそこで永遠に生きるようになる。

果たしてこれを読んだ当時の信者たちは、実際に元気づけられただろうか?筆者は、大いに元気づけられたと思う。何故なら教会時代の信者たちは、大患難時代を通過することなく、イエスに迎え入れられ、イエスと共に地を裁くことになるからだ。当時の信者は、信仰を明らかにするだけで、獣に食い殺されたり、火あぶりにされたりした。自分たちを苦しめたサタンやその手下が裁かれるのを目にして、彼らは大いに慰めを得ることになる。神は、信徒たちの苦しみや涙を忘れていないのだ。

さて、ゴグとマゴグ戦争に話を戻し、普遍的教会の痕跡を辿ってみよう。携挙後の教会は、使徒ヨハネと共に、1章-3章は地上、4章-19章までは天(第三の天)、20章以降は地上+新しいエルサレムを巡ることになる。この動きを見ていくと、唯一、地上の様子を描写していない空白の時間帯が出てくる。これが黙示録4章-5章の間だ。4章-5章では、視点は第三の天にあるので、地上で何が起きているのか分からない。黙示録に描写がないのはこのためではなかろうか。一回目のゴグとマゴグ戦争は、この空白の時間帯に含まれるのではないか、というのが推察の結果だ(上図、黒地に白抜き文字で表示)。

だとすると、時系列では、携挙一回目のゴグとマゴグ戦争大患難時代の順で預言が成就することになる。つまり、ロシアがイスラエルに攻め上る前に携挙が起こることになる。2022年10月現在、ロシア=イスラエルの関係悪化に拍車がかかっている。11月初めにイスラエルでは新しい首相の選挙があり、有力候補のネタニアフ元首相はウクライナへの武器供与をほのめかし、ロシアのメドベージェフ元大統領は「そんなことをすれば、イスラエルとロシアの関係は修復不可能なほどに壊れる」と脅している。

ロシアによるウクライナ侵攻は、これから起こり得る聖書預言の成就に向けた、神御自身からの警告ではなかろうか?と思えて仕方がない。今の時代(教会時代)の救いを逃してしまえば、必然的に人々はこの時代に取り残され、大患難時代を通過することになる。それはかなり悲惨だ。ただし、神の憐れみにより、大患難時代を回避する方法もちゃんと備えられている。一日でも早く、一秒でも早く、福音を信じて、患難時代に備えて欲しい。

時系列では、封印の裁きラッパの裁き鉢の裁きの順で起こる

大患難時代に起こる出来事を簡略化したのが上図である。詳細については、ご自身で黙示録を読んで確認してほしい。6章以降、地上では大患難時代の裁きが始まる。上にも書いたが、携挙で天に挙げられた教会時代の信者は、イエスと共に地上における裁きの様子を見守ることになる。彼らは、メシアが封印を一つひとつ解いていく様を見るのだが、地上で裁きを受ける立場としては、封印を解く下りはなく、反キリストの登場 ⇒ 戦争 ⇒ 飢饉 …を次々と体験する。大患難時代は7年間、続く。厳密にいうと、最初の1260日で"封印の裁き"と"ラッパの裁き"、後半の1260日でさらに過酷な"鉢の裁き"が起こって、最後、メシア(イエス・キリスト)再臨で幕を閉じる。

参照:
GotQuestions: ヨハネの黙示録(概略)
口語訳聖書:ヨハネの黙示録

すぐにでも起こり得るゴグとマゴグ戦争(エゼキエル戦争)

イスラエル回復の順序

エゼキエル書36章-37章を読むと、最初のゴグとマゴグ戦争に向けた舞台設定がどのように推移していくか確認できる。廃墟となったイスラエルがどのように回復してゆくかを映像的に描いた箇所で、これを要約すると上図のように、回復には幾つかの段階があることが見て取れる。

最初にエゼ36:8で、土地の回復があり、同36:10-11で世界に散らされていたユダヤ人が戻ってくる。実際は、1948年5月、イスラエル建国がなったことに端を発する出来事である。以降、現在に至るまでイスラエルに帰還するユダヤ人は後を絶たない。

イスラエルの霊的回復は、約束されているが、時期はもう少し後、大患難時代の最後になる。イスラエルは今、約束された土地に人が戻ってきて、豊かで平和な時代を謳歌している。ところが、 イスラエルが安心して住んでいるとき(エゼ38:14)、突如として、北方から襲い掛かってくるのが、エゼキエル38章-39章に記されたゴグとマゴグである。神による奇跡的な介入があって、一旦収まるかに見えるのだが、そこに付け込んできたと"ある人物"により、イスラエルは大患難時代という最大の試練を迎える。ホロコーストの比にならないほどの試練が待っている。

エゼキエル戦争がすぐにでも起こり得るということは、それに先んじて起こる携挙(けいきょ)も、いつ起きてもおかしくない。「否、まだ先でしょう」と高(たか)を括(くく)っていると、取り残されることになる。まだ時間があるうちに信じて、用意しておこう。


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