携挙とは ... Part.1
携挙(けいきょ)という言葉は、日本語聖書には見られない。上記引用箇所引き上げられについて、ギリシャ語原文では、"ἁρπάζω" (読み:Harpazo ハルパゾー)という言葉が用いられている。意味は「取り去る、取り上げる、力づくで奪い取る」で、この言葉のラテン語訳が"Rapturo"で、これが英語に訳された際、同じ語幹を伴った"Rapture"が採用された。日本語の「携挙」はRaptureを無理矢理、意訳した言葉であると思われる。携挙に関する、他の引用箇所を見てみると…
…とある。上記二箇所の引用は、ともにパウロの手によるものだ。だから、紀元一世紀頃のテサロニケ教会、コリント教会の信者達は「携挙」に関する学びを、パウロ本人から受けており、その頃から「携挙」が起こるのを今か今かと心待ちにしていた様子が伺える。
もう一箇所。これは、イエス・キリスト御自身の言葉から。
「人の子」とは、御自身のことを指しているので、イエスがいつの日か、再び地上に現れることを指している。これを専門用語で「再臨(さいりん)」というが、再臨には二種類あって、信者を迎えに来られる「空中再臨」と、地の裁きのために来られる「地上再臨」がある。携挙とは前者「空中再臨」の際、起こる出来事を指している。
以上のことを鑑みると、「携挙」とは…
① イエス・キリストの空中再臨の際、信者たちに起こる現象の一つ
② 信者の身体が何らかの形に造りかえられる
③ 変えられた後の身体は朽ちない、永遠の身体である
④ 信者として死んだ者たちが先に上げられ、続いて、その時に生きている信者の身体は変えられ、上げられる
(ここでは、神学的な意味合いは省略)
…といったことが起こると考えられる。ここまで書くと、その内容はあまりに現実離れしていて、もはやファンタジー? 陰謀論? 否、カルト?と思われるやもしれない。でも違います。聖書にしっかりと記されているので、嘘と思われる方は自分の目で確かめてもらいたい。
上記イエスの言葉の中にノアという言葉が出てくる。これは、皆さんご存じ、「ノアの箱舟」「ノアの洪水」のノアだ。
ノアが神に告げられて、ノアの箱舟をコツコツ造っていた頃、当時、周囲にいた人々はノアを見て、冷笑し小馬鹿にしていた。何しろ当時の人々は「雨」を見たことがなかったのだから「雨が降る」と言われてもピンとこなかったのだと推測できる。当時の人が、ファンタジー? 陰謀論? カルト?と思ったか否かはともかく、見たことも聞いたこともないことが起こると言われて怪しんだのは確かだろう。
それでも、ノアは警告した。やがて洪水が来ると。しかし人々は洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。(マタ24:38-39)。ノアを信じて、箱舟に乗り込んだのは、ノアを含めた8人の家族だけである。
重要なのは「前もって警告された」という事実。警告をまともに受け取らなかったのは、当時の人間たちだった。
さて、時が来て実際に雨が降ってきた。ノアの洪水は天の水門(=上からの水、雨)と大いなる淵の源(=下からの水、地下水源)が同時に開いたため、地球規模の洪水となった(創世7:7-12参照)。イエスが警告した「ノアの日のように実現する」は、再び地球規模の患難がやってくることの裏返しでもある。
ノアの時代は「上からの水」「下からの水」だった。次の地球規模の患難は「上からの火」「下からの火」である。携挙とは、信じる者たちの救いのため、神御自身が用意されたものである。
要するに、携挙とは現代版「ノアの箱舟」なのだ。
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