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“The Cement Garden” Ian McEwan

兄弟たちの一夏の物語、ではあるのだが、そんな言葉で表すにはあまりに生臭くえぐみが強い。にもかかわらず、えもいわれぬ引力のある小説だ。

I did not kill my father, but I sometimes felt I had helped him on his way.

(僕が父を殺したというわけではない。だが僕が父を死へ導いたような気がすることがあった。※ヨンデラ訳)

15歳の少年ジャックの、一人称による語り。
ジャックには歳の近い姉と妹、少し歳の離れた弟がいる。

前の年のある日、家にセメント15袋が配達されて来た。注文したのは父。
何に使うのか聞くジャックへの父の答えは「庭にだよ」。

庭は、父の王国だった。
花壇や踊る牧神の像、底が青いプラスチックでできた池のある庭を、父は気合いを入れて作っていた。
しかしある時心臓発作を起こした父は、庭の手入れを続ける体力を失ってしまう。
そして放置され荒れた庭を、コンクリートで埋める決心を父はしたというのだ。

実はジャックは、荒れた庭をからかうジョークを放って家族を凍らせたことがある。ほんのふざけ心だったとはいえ、自分のからかいが父の決心を招いたのか。そこまで父を傷つけたという恐怖と共に、父に勝ったという残酷な高揚感を覚えるジャック。

さっそく父はセメントを敷き詰める作業をはじめ、ジャックもそれを手伝うのだが、ジャックが作業を離れてトイレで自慰に励んでいる間にまたもや父は発作を起こし、そのまま死んでしまう。家族には、放置された庭と大量のセメントが残された。
自分のジョークがなければ始まらなかったかもしれないセメント計画、それがなければ起こらなかったかもしれない心臓発作、その場にいれば助けられたかもしれない瞬間にその場を離れていたこと、それらが冒頭のジャックの言葉につながる。

ジャック達の住む家は古くて大きい。
しかし近くに建った高層住宅に住民達が移っていったことで、近所は荒廃し、廃屋が目立っている。
また家族には交流のある親族もなく、友達付き合いもない両親の元には客が来ることもなかった。
廃墟のような土地に建つ大きな家に、孤立した家族が住んでいる。その情景はまるでアダムスファミリーのようだ。

姉のジュリーは陸上の選手で、学校ではおしゃれでいけてる女の子。妹のスーは読書好きで知識が豊富。末っ子のトムはひ弱ないじめられっ子で、ジェンダー的なあやうさも感じさせる。ジャックはというと、思春期真っ最中で、ニキビをうとましく思いながらも投げやりになり、体も洗わない生活をしている。

そんな彼らだが父の死後間もなく、今度は母がやつれていき、ベッドから起き上がれなくなってしまう。

Her bedroom became the centre of the house.  We would be there, talking among ourselves or listening to her radio, while she dozed.  
(母の寝室が、家の中心になった。僕たちはそこに集まり、母がうとうとしている間、話をしたりラジオを聴いたりしていた。※ヨンデラ訳)

ジャックの15歳の誕生日には母のベッドを囲んで、寝室でケーキを食べる子供達。
場を持たせるために彼らが各々に芸をするシーンは滑稽でどこまでも物悲しい。

その後間も無く、母はあっけなく息を引き取る。
残された子供達(ジュリー、ジャック、スー)の判断は、大人達に知らせたら幼いトムが施設に入れられてしまうので、母の死を周囲から隠そう、というものだった。
それでは遺体はどうするか。
ジャックは、大量のセメントを使うことを思いつく。

シーツで母の顔を隠そうとしてうまくいかず笑うジャックとジュリー。
この恐ろしくも笑わせる一幕に、グロテスクな子供の王国の幕開けを感じる。

ジャックとジュリーは母の遺体を地下室に運び下ろし、セメントを流し込んだ大きなトランクに沈める。上にセメントをかけて表面をならす作業にはスーも加わる。

折りしも夏休みが始まったばかり。子供達だけのやりたい放題の生活がスタートする。
トムは赤ちゃん返りをして指をしゃぶり、スーは一層内向的になる。ジュリーは外に男を作り、ジャックは一人思春期を持て余す。
大人の保護者も公共の目もない、兄弟だけの閉じた世界。性の目覚めと思春期のモヤモヤが煮詰まり循環不良になっていく。

生ゴミを処理せず放置しているためハエが大量発生した家で、世間の目から逃れて暮らす子供達の無法地帯。
そのイメージは、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』を思い起こさせ、世間から隔絶された閉じた世界での、異常ながら独特の均衡が保たれた白昼夢のような生活はまた、小川洋子の『琥珀のまたたき』も連想させる。

‘It’s funny,’ Julie said, ‘I’ve lost all sense of time.  It feels like it’s always been like this.  I can’t really remember how it used to be when Mum was alive and I can’t really imagine anything changing.  Everything seems still and fixed and it makes me feel that I’m not frightened of anything.’
(「変な感じ」ジュリーは言った。「時間の感覚が全くないの。ずっとこんなだったみたいな感じ。ママが生きてた頃がどんなだったか思い出せないし、何も変わった感じがしない。何もかもちゃんと収まってるみたいで、怖いものはないって気がするの」※ヨンデラ訳)

そんな、子供達の甘い悪夢のような世界は、ジュリーの恋人の介入によって、夏休みの終わりが近づく頃にまたもあっけなく崩壊を迎える。
ここできちんと終わることで、グロテスクな物語も一つの寓話のような印象になり、父の死、母の埋葬(?)、近親相姦、性の倒錯といったショッキングな出来事の連続は、その寓話的な描かれ方によって、思春期の内的成熟の一過程を象徴的に表しているようにも読み取れた。

短い物語は起点からラストまで均衡の取れた組み立てで、完璧に整った小説だ。
最後に置かれたジュリーの言葉も素晴らしい。
描写や内容は嫌悪感を抱かせもするが、それを上回る魅力のある、そして何より良くできた小説だと思う。
一気読みで味わってみてほしい。

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