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半島

『半島』 松浦寿輝

魔の時間。
この小説を一つの言葉で表そうとしたらこの言葉が浮かんだ。

半島。海と陸の境。
現世に倦んだ男が行き着いた半島で出会うのは、この世の人間でありながら別の世界の空気をまとう、どこか人間でないような印象を与える人々である。
小さな子供達と暮らす謎の中国人女性、人当たりの良さと剣呑さが同居する老人、その娘の、頭を剃り上げたダンサー、不吉な予言をする易者など、、、皆どこか現実味がなく、かすかに邪悪さも感じられる。

また、主人公がさ迷う島の土地自体も異様で、つながりや境界が曖昧な、入り組んだ迷路のようだ。どこか安部公房の作品世界を思わせる暗さと湿り気があるこの土地には、やはりこの世のものならぬ印象が色濃い。

大学教授の職を辞した主人公は、次の予定も持たないままに廃れた半島に宿を取り、気ままに土地を散策したり、地元の住民と交流したりする。
その散策、またはなりゆきでの彷徨が、この小説の、小説的な魅力のひとつだ。
ゲームセンターの奥にある階段を降りると怪しい廊下が現れたり、旅館の風呂から入れ子のように露天風呂が次々と連なり、海辺まで行きついたり。現実世界から突然に異界への道が開ける視覚的な展開が読者を酔わせる。

そんな摩訶不思議な島で、摩訶不思議な人々が登場しながら、主人公、そして作者の目線はあくまで現実的であるのが、またこの小説の独特なところである。
ありえない地理的展開や時に悪魔的な世界を垣間見せながら、半島のリゾート化計画など、会話はあくまでも現実的であり、ネットという言葉や、世俗の固有名詞も登場する。

舞台はあくまで現実であり、そこに魔界が並走し、誰もそれを異常と思わない。読んでいるとかすかな車酔いのような気分になる。

読み進むにつれ、この物語の全てが主人公の心の旅なのでは、とも思われてきた。
実際、主人公自身も、自分が現在ととらえているこの感覚は、実は過去であり、過去の感覚を思い出している自分がどこかにいるというのが現実なのでは、というような思いを巡らすようになる。
また、島の易者から、今の状態は休暇なのか余生のようなものなのかと聞かれた主人公が、そのどちらでもなく雌伏だ、と答え、ならば雌伏ではなく雄飛なのではないか、と言われる面白い会話のくだりがある。
主人公の中でも、現在の自分に対する逡巡があるのだ。
そして島を彷徨い、過去の記憶を弄ぶにつれ、彼の「今ここにいる自分」の実体感、現実感はますます曖昧になっていく。

終盤の怒涛の展開は、ここまで読んでこれを夢のようなものと捉えていたのはやはり間違いで、全ては現実なのか、とも思わせる生々しさがある。
幻か現実か、最後までなんとも言い難い。
幻想と現実のあわいの不思議な小説である。

単に隠居願望にかられた中年というわけではない、鬱屈した精神を抱えた男が、「休暇と余生と、いったいどちらの方がより自由に近いのか。」とつぶやきながら島を彷徨い、同時に過去の記憶を彷徨う。

冒頭に書いた通り、これは幻でも現実でもない、その中間に現れる「魔の時間」なのだと私は解釈した。

一読では消化できない複雑さをじっくりと楽しむも良し。情景と展開を追うだけでも十分に楽しい読書ができる。

安部公房、夢枕獏、また村上春樹が好きな方にもおすすめである。

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