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「人」は結局、自分の好きなことをする生き物

以前、体育館の全校集会で倒れる子が必ずいた。
閉所恐怖症というのもあった。
でも今では、それらは「パニック障害」の一つの症状として
認知されつつある。電車に乗れない、美容院、歯医者にいけない。
飛行機に乗れないなどなど。

15〜20年くらい前までは、クラスで授業中にウロウロする子などがいて
「学級崩壊」という言葉まであった。
そういう子は、特別学級や、支援学校にやった方がいいのでは等と
担任、親は話し合った。
しかし、それが今では、それは発達障害の一つの特徴であるという
認識になってきた。

斯様に、今、いろいろと問題になってる事柄も、将来、それらの
本当の意味が分かる日が来るのだと思う。

いつも書くように、僕は発達障害で、その症状として色々あるが、
昼間の眠気、ダルさもその一つで、それを解消するために
近頃も、いくつか薬を紹介した。(イフェクサー、酸棗仁湯)
がしかし、それで完璧なわけではない。
僕の仕事はだいたい15時〜16時出勤なので、朝4時に置きて(はやっ!)
それまですることはない(時には譜面を書いたり仕事の準備はする)
なるべく有意義に過ごしたいので、体を起こして例えばパソコンで
有用な記事を読んだり何かを制作したり、ウォーキングに出たりと
考えはするのだが、その前に、「横になりたい」という体からの
欲求の方が強い。
第三者から見れば、ゴロゴロしてだらしないと見えるだろう。
部屋の片付けもままならず、自分でも、これではまずいと思うが
どうしてもできないのだ。

一方で、時間があれば、ちょこまか動いたり、ランニングをしたり、
災害があればボランティアに行ったり、日曜大工をこなしたりする
人たちもいて、僕からすれば尊敬しかないのだが、
彼らにしたところで、やりたいからやってるわけで、ボランティアにしても
義務感、責任感はあるとは思うが、やったことによる、自身への満足感、
気持ちよさがあるからこそなのだ。

なので、行動的な人が偉くて、引きこもりがちな人は駄目な人
ということではないはずだ。
人は、その人がその時によって、一番ベストな行動を
自然にとっているのだと僕は思う。
それが自堕落だったり、犯罪行為であれ、それはその人が(結果)
選択したことであり、「可」「良」と思った上での行動だ。
どうしても嫌なことは、人間はほとんどしない。(例外はあろうが)
顔も見たくないと思うパートナーと、離婚に踏み切れないのもそうだ。
ほんとうにほんとうに嫌で嫌で仕方ないなら、諸条件が揃わずとも
その人から離れるはずだ。

極端にいえば自死もそうだ。
その人が選んだのだ。
悲しいことではあるが。

何が言いたいかといえば、人を見て、駄目な奴だとか
情けないとか、早計に決めつけない方がいいのだろうということ。
その人にはその人なりの状況があるのだから。

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