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「地方は排他的である」「出る杭は打たれる」は本当か?可知くんが1か月天草に移住して知った人間的で豊かな生活とは。

CASEインターンの可知くん。Clubhouseにて代表の近藤と知り合い、ありあまる行動力で食らいついた結果、7月いっぱい天草の牛深地区に滞在していました。

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▲天草ライフを満喫する可知くん(一番左)

▲可知くん個人noteもご覧ください!


▲地方暮らしの相棒。愛車のキックボードで爆走

シティボーイの可知くんの目に映る、牛深の姿をぜひとも知りたい!ということで、ちょうど1か月の滞在を終えようとしている可知くんに原稿を依頼。爆速で書き上げてくれました。

「地方は排他的である」「出る杭は打たれる」そんな地方のイメージは本当なのか。実際に地域に飛び込んでみた可知くんならではの視点で分析されています。


▶▶本文

こんにちは、7月からCASE天草拠点でインターンみたいなことをしている可知敬斗です。

今回、Inspiration in CASE「天草で得たインスピレーション」ということで執筆の依頼を受けたのですが、普段私はあんまりインスピレーションという言葉を使ってこなくて、肌感覚でインスピレーションとはなんなのかをよくわかっていなかったので調べてみると「超越的な存在から何らかのひらめきや行動指針を受け取ること」だそうで、だから無宗教で英語苦手な文化の私にはあんまりピンときてなかったのかと腑に落ちてもう既に満足しているところから始めさせていただきます。
ついでにインスピレーションはあんまり私に合わないことがわかったので「天草で得た気づき」というテーマで書かせていただきます。


まず、私は横浜生まれ中学からは東京育ちのバリバリ都会人であり、地方の長期滞在経験もなく、関東圏からほぼ出たことのない人間でした。
15歳の時からQOL(生活の質)を高める生活を目指し始めて、生活改善やプロダクトや趣味、ストレスをいかに減らすかなどを考えていた結果、生活環境を変えてみようと思い、東京を離れて今は天草で地方創生の仕事をしつつ人生初の田舎暮らしを満喫しております。

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▲田舎暮らし満喫

そこで気づいたことは、東京にいた頃から地方の情報を収集したり、地方創生の本を読んでいたのですが、東京で得られる地方の情報と実際に現地に行って得た情報には大きな差があると感じたことです。
東京で得られる情報も間違ってはいないのですが、バイアスがかかっていたり、得られる情報のジャンルが現地と東京ではハッキリと違ったりしていて、どれも共通するのは現場感覚が得られないということです。

一番大事なことは自分が見て触れて得られる情報です。
自分のフィルターを通して解釈、記憶して価値観を形成することが大事で現場感覚を養えると思っているのですが、東京でそれをやろうとすると他人の価値観のフィルターを通った情報を目にすることになるので、その人がどういう立場や指向、バックグラウンドでその情報を発信したのかなど、様々な情報を精査する際に共通の前提認識がうまくいかないことが多く、「その他人が行った体験を実際に自分がしたときに感じること」=真実とするならば、地方の情報に関して現地と遠方ではだいぶ差異が生じやすいなと感じています。

今の話の具体例として、事実として私が天草(牛深)で感じたことの一つに「地方は排他的である」ということがあり、詰めていくと、これはある意味間違っていて、ある意味正しいです。
よくある話として、地方の人は都会から来た人に対して厳しいだとか、そういうことを東京にいた時はよく聞いていました。
実際としてそういう事例もあるとは思いますが、私が天草で感じたのは「地方は排他的である」の真実は、「地方は地域内で排他的である」ということ。
言い方を変えると基本的に皆さん小さいコミュニティにしか所属していない。
逆に言えば大規模なコミュニティが存在しないし、そもそもある必要性が薄いのかなと感じています(大勢で集まってすることとかが特になさそう)。
人口1万人ちょっとの街ですが、こんな感じです。
ずっと昔から住んでいても自宅から1ブロック離れると誰が住んでいるのかわからないとかそんなくらいです。
でも、その小さいコミュニティの結束力は凄まじく、そこが一度仲良くなっちゃえば心強いというメリットがあったりしていて、私はこれらを都会人に向けた排他とは思いません。
そもそも排他というよりは地域内での繋がり合いが希薄といった方が相応しいと思います。
これは私が天草に来て知って一番意外だった点です。

私自身は幸いなことに、天草に来てからめちゃくちゃ人と繋がりまくっています。
他所者というのは結構どのコミュニティにも参加しやすいですし、初めは向こうから話しかけてくれたりすることも多くて、毎日色々な方と話してはイベントに誘っていただいたり、ドライブに連れて行ってくれたりなど、楽しく過ごさせてもらっています。

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実際に、天草に来て人と人との関わりが増えてから、個人でのコンテンツ消費(YouTubeとかアニメ、ゲームとか)がめちゃくちゃ減って、すごい時間がゆっくりに感じますし、めっちゃ心が豊かな感じがします。
合う合わないはそれぞれあると思いますが、今の私にはこれがベストなのかなと思っています。

もう一つ気づいたことは、天草(牛深)は「ないものはない、あるものはある、まちが溢れすぎない。」ということで、これは私が地方に感じる全てだと言ってもいいかもしれません。
人口は増えれば増えるほど社会を円滑に回すためにルールや規則が厳しくなります。
今回の新型コロナウイルス対応なんてまさにそうです。私は東京のその空気感が嫌で抜け出してきたという側面もあります。
人、モノ、お店、自然、空気感、など色々、、
人工と自然がいいバランスで溢れすぎていないということが本当に過ごしやすい。
私個人が合理主義的なミニマリストっぽい感じもありますけど、足るを知るというか。
住んでいる方々も街に余裕や余白があるからか無駄に要求をしない雰囲気があって、地方の方が本当の個を許すことに理解があるんじゃないかと思い始めてきました。

同じ言語を話していても、もう本当に違う世界なんじゃないかってくらい東京と天草では生きている「人生感」が違います。
距離は物理的にも精神的にも距離なんだなということがすごく感じられています。

東京では消費を介することに人との交流がセットになることが多く、大体は表面的・形式的な会話が多く、あまり対話ができている感覚がありませんでした。
でも、人間の根源的な喜びは人との対話にあるなと感じていて、先述の通り天草(牛深)に来てからは本当に楽しい日々を過ごせています。


地方で人ベースに生きていくことが、消費スパイラルからの抜け道であり、豊かな心と人間性の復活を促進する生き方であり、これからの生き方の有効な選択肢になるのではないかなと思いつつ、私はこれからもQOL向上を目指して良い生き方を見つけていきたいと思います。


▶▶編集後記

可知くんは一旦所用で東京に戻りましたが、近々牛深にまた帰るようです。1か月でこれだけの気づきを得た彼が、今度は何をしていくのか。今後が楽しみで仕方ありません。読者のみなさまもご期待ください!

ちなみに、CASEでは一緒に働いてくれるメンバーを探しています。可知くんのように熱意にあふれている方大歓迎です!興味のある方は弊社wantedlyページをご覧ください。