見出し画像

今まで大丈夫だったから~我が子を放置して平気な親たち~

令和4年7月29日、神奈川県厚木市の公園駐車場で、「車内にいた子供の様子がおかしい」と母親から110番通報があった。
救急隊らが車内から子供たちを救出したが、1歳と2歳の姉弟はすでに意識がない状態、「これまで経験がないほど体が熱くなっていた」と救急隊員が言うほど子供たちの状態は悪かったという。

調べに対し母親は、公園で遊ばせた後、車内で子供たちといたと説明。ただ、7月末のクソ暑いさなかなぜかエンジンを切り、30分も自分はスマホをいじっていたのだという。
そして気が付いた時には、子供たちは後部座席で重篤な状態に陥っていた、という説明をどこの誰が信用すると思ったのか。
案の定、その後の調べで母親は知人男性宅の前の路上に子供たちを乗せたままの車を放置、男性宅で過ごした後に車に戻ったところで様子がおかしいことに気づきわざわざ公園まで車を移動させてから、110番通報していたことが判明。
子供の命よりも自己保身、しかもこの母親はこの事件の数週間前にもスーパーの駐車場に1歳の息子を残したままにしているのを通報されていた。

児童相談所が把握していながら防げなかった事件。もうあまりのことに頭がどうにかなってしまいそうだが、保護責任者による積極的な虐待とはまた違うこういった事件は後を絶たない。
毎年のように車内放置で死亡に至らなくとも危険にさらされる子供が報道されているのに、同じことをする人がいなくならないのはなぜなのか。

振り込め詐欺がいっこうになくならないのも、こう思っているからだ。

「まさか、わたしが。」「自分は大丈夫」「ちょっとだけなら大丈夫」

この事件に限らず、過去に起きたいくつかのケースを掘り起こしてみたい。
そしてそのケースごとの背景や結末、世間の当時の反応なども比較してみる。

平成7年 山口の母親の「嘘」

7月25日午後5時ころ、山口市内中心部にあるスーパーの駐車場に止めた車の中で、生後3か月の長男が息をしていないと母親(当時20歳)から通報があった。
母親はこの日、午後1時ころにスーパーの駐車場に車を停め、寝入っていた長男をそのままに買い物へと向かった。
買い物途中で知人とばったり出くわし、立ち話をしてしまったこともあり買い物がついつい長引いたという。ただその間も車へと戻っては、息子の様子を見ていた。

ところが夕方5時、買い物を終えて車に戻った母親が見たのは、意識を失った我が子の姿だった。

動揺を隠せない母親だったが、山口署の調べの中でいくつか気になる点があった。
そもそもスーパーでの買い物に4時間もかけるだろうか。コストコか?4時間かけたにもかかわらず、母親はその日なにも買い物をしていなかった。
また、買い物の途中で出くわしたという友人の存在も、その友人を特定できないという不思議な状況になっていた。
事件後の動揺がそうさせているのかもしれないと警察が思ってくれたかどうかはわからないが、結末としてこの母親は大ウソつきだった。

お察しの通り、母親はツーショットダイヤルで知り合った男との逢瀬を楽しんでいたのだ。

しかも車を停めていたのはスーパーの駐車場ではなく、山口市郊外の野球場近くの「路上」だった。

母親は当初過失致死で逮捕されていたが、後に保護責任者遺棄致死容疑で起訴された。
弁護側は重過失を主張していたが、山口地裁の石村太郎裁判長はそれを退け、懲役3年執行猶予4年の判決を言い渡した。

当時、車の中は50度から70度まで気温が上昇していたという。

平成8年 名古屋天白区の灼熱マンション

名古屋市天白区のマンションから、「1歳10か月の長男がベッドで死んでいる」と110番通報があったのは、平成8年7月の終わり。
連日の猛暑はマンションをじりじりと焼き、密室の状態でエアコンがないと40度を超えるような状態だった。

通報してきたのはその部屋で子供と二人で暮らす26歳の母親。調べに対し、
「2日間以上家を留守にしていた。」
と話したことから、警察は保護責任者遺棄致死容疑でこの母親を逮捕した。
母親は7月17日の昼、ベッドで1歳10か月の息子にミルクを与え、戸締りをして外出。瑞穂区内の男性知人()宅で過ごし、帰宅したのは2日後の19日午後2時過ぎだった。

長男はエアコンもついていない締め切られた部屋の中で、熱波に晒され、48時間にわたって水さえ飲めない状態で死亡した。亡くなったのは、渡辺志道(しげみち)ちゃん。

母親は調べに対し、「身寄りもなく子供を預ける人もいなかった。二日くらいは大丈夫だと思っていた」と話した。

母親はその後、知人宅で覚せい剤を吸入していたことも判明、保護責任者遺棄致死と覚せい剤取締法違反で懲役3年執行猶予5年(保護観つき)の判決を言い渡された。

軽。

平成8年 名古屋北区の早朝火災

天白区の事件から一カ月もたたない平成8年8月1日午前8時。
北区のビル2階部分から出火、住居として使われていた2DKの室内約60㎡を全焼した。
この部屋はスナック店員の33歳の女性が借りており、この女性には4歳と3歳と1歳の幼い子供がいた。4歳の長女は火災が発生した直後、ベランダから仕切りを蹴破って隣室へ助けを求め無事、しかし、3歳と1歳の妹と弟はベランダの南西の隅で折り重なるような焼死体となって発見された。

死亡したのは、大内愛実ちゃん(当時3歳)と、長男の隼(はやと)ちゃん(当時1歳)。

母親はどこにいたのか。

北署の調べによると、母親は前日の午後6時半ころスナックへ仕事に出かけたまま、知人宅に泊まっていたことが分かった。
母親はのんきにその知人宅にいたところ、テレビのニュースで自宅の火災を知ったという。しかもそれを知ったのは、昼過ぎのことだった。

出火当時、近所の人の話によると、「バーンという2回の爆発音とともに子供の泣き叫ぶ声が聞こえた」というが、室内では子供用ベッドの周辺が最も焼けていた。
また助かった長女によれば、この長女が朝食のおかずとして卵焼きを作っていたといい、何らかの事情で火が燃え広がったとされた。

わずか4歳。このお姉ちゃんは弟や妹のために、おそらく母親の真似をして一生懸命世話をしていたのだろう。
この事件では母親がその責任を追及されたという報道を見つけられなかったが、ホステスだった母親は夜間のみならず、昼間も子供たちを残したまま長時間外出するのは常だったという。
長女はベランダから身を乗り出しては、「お母さんがどこにいるか知りませんか」「食べ物はないですか」と道行く人に声をかけていた。時には、子供たち3人が裸足で道路をあてもなく歩いているのも目撃されていた。
あまりに不憫な様子に、近隣の人がこっそり福祉事務所に通報したことがあった。訪問した福祉の職員に対し、母親はインターフォン越しに「きをつけます」というだけで、ドアを開けることすらしていない。

当時、愛知県内で子供の虐待防止に関する活動を行っていたボランティア団体の代表は、「子供の放置は親の現実逃避」とし、親が自分をしっかり見つめられるように支援しなければ子供たちを救えない、と話していた。

この日の翌日は、隼ちゃんの2歳のお誕生日だった。

平成9年 御殿場自暴自棄のヤンママ

平成9年8月15日、その家を訪れたふたりは、部屋の中で子供が死亡しているのを発見、119番通報した。
この家には、死亡した子供の母親がいるはずで、通報者の二人はその母親の友人だった。普段から合鍵を持っていたといい、この日も留守だったため合鍵で部屋に入ったところ、ベッドでオムツ姿の子供が死んでいるのを見つけたのだ。

その後保護責任者遺棄致死で逮捕されたのは、18歳の「ヤンママ」だった。
若いを意味するヤングと、いわゆる不良というかそういう意味合いでの「ヤンキー」を掛け合わせて生まれた言葉で、主に未成年の母親を指していた。
普通の生活をしていればそもそも未成年で妊娠出産しないわけで、未成年の母親といえば必然的に「ヤンキー」みたいな捉えられ方をしていた時代だった。

御殿場のヤンママは、8月13日午前一時ころにもともと風邪気味で衰弱していた長男をそのままに外出。医者に見せることもなく、ベッドの脇にジュースとパンを置いてそのまま丸二日帰らなかった。
息子の死因は脱水と衰弱死。死亡推定時刻が13日の午後2時ころであることを見ても、医者に見せる必要がある状態であったことは間違いなかった。
ヤンママは6月ころから夫(当時20歳)と別居していて、当時は息子との二人暮らし。
外出していた理由は、「知人男性宅にいた」ためだった。この知人という言い方どうにかならんものか。売春をパパ活、援交と言い換え、窃盗、泥棒を万引きと言い換えるのとはちょっと違うかもしれないが、だいたいこの手の知人というのはただの知人ではない。

それはさておき、このヤンママは2日の間一度自宅に戻っていた。ところが、子供の様子を全く見ずに再び外出していた。
「子供のことは見なかった、風邪をひいていると思った。ちょっと自暴自棄になっていた」
自暴自棄という言葉の意味すら分かってないのではないかと思うほどだが、18歳という年齢もありおそらく大した罪にはなってない(送検されたところで報道は終わり)。

平成11年 千葉のかける言葉もない母親

チャンスだった。
今月の15日から、夫が北海道へ出張に出る。帰ってくるのは23日。
いそいそと支度をしながら、母親は長男(当時2歳)のためにおにぎりをにぎった。その数、十数個。
4か月の次男には、出かける直前にミルクを飲ませればいい。ベビーベッドに寝かせておけば、ぶつかったり落ちたりして怪我をすることもないはず。この子はまだ寝がえりだってできないんだから。

母親は5月18日夕方、子供たちを残したまま家を出た。目的は、不倫相手と過ごすためだった。

母親が帰宅したのは、外出してからまさに38時間後の5月20日。
部屋の中で母親が見たのは、うつぶせのまま嘔吐して冷たくなっている次男の変わり果てた姿だった。どうして?!なんでこんなことに。
母親は慌てて蘇生の真似事をしてはみたが、次男が息を吹き返すことは、なかった。

その後、出張先から帰宅した父親によって通報され、母親は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕となった。おにぎりを食べることができた長男は、無事だった。

平成12年2月4日。千葉地裁は母親に対し、懲役3年(未決勾留日数210日算入)の判決を言い渡した。

母親はそもそも、この事件を起こすずっと前からいろいろあった。
高校卒業後に就職が決まっていたにもかかわらず、高校時代の交際相手との間に子供が出来てしまい就職が出来なくなった。
一応、そのままおなかの子の父親と結婚はしたが、その結婚生活は義両親との不仲もあって2年で破綻。その子供は夫側が引き取った。
その1年後、事件当時の夫(当時32歳)と出会い出来ちゃった結婚。出産からわずか1年後、またもや妊娠し、出産した。

佐倉市内で家族4人生活を始めたが、夫は出張も多く多忙だった。寂しさと子育てのわずらわしさから携帯電話の出会い系サイトを利用するようになった母親は、専門学生と知り合う。
専門学生には子供がいる姉と同居していると嘘をついた。専門学生と会うときは、夫に子供の世話を任せて会っていた。
しかし多忙な夫にそうそう頼めるわけもなく、母親はそのうち子供を家に置き去りにして男と会うようになっていった。
そして、夫が出張で一週間ほど家を空けると知って、その間、母親は男と外泊することを決めたのだった。

これまでだって子供たちだけで平気だった。ちょっとくらい、大丈夫……

しかし結果は重大過ぎた、そしてその結果を、母親は受け止めることができなかった。
母親は死亡している次男をそのままに、再び家を出たのだ。そしてあろうことか、例の浮気相手の専門学生とさらに二日間も一緒にいたのだ。自宅では、すでに腐敗が始まった弟をなすすべなくたった一人で見守る幼い長男がいるというのに。
そして夫が北海道から帰宅する直前に、夫に電話してすべてを打ち明けた。

当然、逮捕起訴されたわけだが、10歳年上の理解ある夫はこの妻を許した。だけでなく、自分が忙しくし過ぎたせいもあるといって、今後も妻を支えていくと証言したのだ。
たまにこういう夫、妻がいるが、どういうつもりなんだろうか。贖罪?漢気??はぁ?

この佐倉市の場合、死亡した次男は実は複雑な立場にいた。
早い話が、この夫からすれば「実の子ではなかった」のだ。結婚して1年経った頃、この次男を妊娠したその時期、夫婦の間に性交渉はなかった。母親によれば、当時浮気をしていた大学生の子供なのだという。
しかし夫はそれを知ったうえで、「自分の子として育てる」と言ったのだ。事件備忘録的に言ってしまえば、この夫にとってこの次男が死んだところでそもそも許すも許さないもなかったのではないかと思いたくなる。子供って何なんだろうか。
たった4か月で、うつぶせのまま置かれて吐しゃ物をのどに詰まらせ死亡した次男。期間は短くとも、あの苫小牧の「ママ遅い!」と叫んだ長男のように、想像を絶する時間をこの長男はたった一人で耐えたのだ。

この母親は、今どうしているのだろうか。支えていくといった夫とは、今も一緒にいるんだろうか。
亡くなった次男は、小森陸玖(りく)ちゃんという。

平成15年 名古屋西区の4人の母親

「助けて!!お願い助けて!!」
師走の市営住宅には、母親の絶叫が響き渡っていた。騒ぎを聞きつけて同じ市営住宅に暮らす高校生の男子生徒らが3階のその部屋の前に駆け付けると、煙が充満した階段付近に子供らしき人影が見えた。しかも、その数4人。
通報で駆け付けた消防がなんとか火災を食い止めたが、その市営住宅の一室は四畳半の和室が激しく燃えており、窓にはすすがついていた。

この火災により、この部屋で暮らしていた子供4人が一酸化炭素中毒によって死亡した。
死亡したのは、松信颯成(りゅうせい)ちゃん(4)、二男顕成(あきのり)ちゃん(3)、三男翔冴(しょうご)ちゃん(2)、長女清香(さやか)ちゃん(1)。

子供たちは4歳を筆頭にすべて年子、その4人全員が死亡した。

悲劇はなぜ起きたのか。
調べによると、この部屋には4人の子供とその母親が暮らしていた。2年前にこの市営住宅に入居した際は夫の姿もあったというが、昨年夏ごろに離婚したとみられ、生まれたばかりの子供を含む4人のシングルマザーとして、生活保護を受けながら生活していた。
普段はたまたま空きのあった4歳児と1歳児のふたりを保育園に入れていたが、2歳と3歳の子供は空き待ちで、そのこともあって母親は働くことができなかったようだ。

報道を見ても、母親が働くに働けず、なんとか子供たちを育てようとしていたという風なものが目立ち、近所の駄菓子屋で母子5人がいるのを見かけたとか、幼い兄弟妹みんなが仲良しだったというような、そういった報道ばかりだった。

が、ところどころ、この母親の危なっかしさが見え隠れする。

そもそもこの日、母親はどこにいたのか。

火災が発生したのは12日の午後8時30分ごろ。仕事もしていないはずの母親は、買い物にでも行ったちょっとの隙に起きた火災だったのか。
母親がこの日家を出たのは、遡ること8時間前の正午頃だった。しかも外出する際、母親は外側からしか開かない鍵をかけて出かけていたのだ。
これには理由があった。過去に、母の姿を捜して子供らが勝手に出歩き、遠く離れたスーパーで保護されるということがあったという。以降、母親は外出する際、子供たちが勝手に出歩けないように、外側からしか開かない鍵を取り付けたのだ。
そしてこの日、その鍵が子供たちの逃げ場を封じてしまった。

話を戻そう、母親は昼過ぎに外出して何をしていたのか。
行先は、パチンコだった。
報道では、パチンコが目的だったとは書かず、買い物をした後パチンコをし、水疱瘡になっていた子供のために夕食の寿司とおやつ、そして薬を購入して帰宅した、と書いていたが、その外出の多くの時間はパチンコに費やされていたのは分かり切ったことだ。

1人子育てに励む母親がたとえパチンコで家を空けていても非難することがはばかられた時代だったようには思えないが、どの報道を見ても悲劇という論調だった。

毎日新聞社と北海道新聞は、12月14日と18日の誌面において、母親のあまり知られたくないであろうその日の行動を取り上げ、毎日新聞では「防げた悲劇」とした。
実はこの母親の行動には、ほかにも大きな問題があった。
そもそもの火災の発生原因は、子供たちによる「火遊び」だったのだ。四畳半の和室に置かれたコタツの天板は激しく燃え、焼け落ちるほどだったという。
そしてそこに、ライターと紙の燃えカスが入ったマグカップがあったのだ。

母親はタバコを吸っていたといい、普段はライターを箪笥の上の子供らが手の届かない場所に置いていたと言っていた。ところが、そのたんすの引き出しは階段状に開けられていたといい、普段から子供たちは箪笥の上に手が届く状態にあったのだ。

さらに、母親は普段から子供たちが「火遊び」に興味を持っていることを知っていた。

にもかかわらず、7時間以上もその火遊び大好きな子供たちだけ残して外出したのだ。ライターも手の届く場所に置いたままで。そして、母を追って外に出た経験から子供らを閉じ込めたことで、最悪の事態を引き起こした。
悲しい偶然が重なったのではなく、この母親の浅はかさと過信、自分優先の態度が必然的に子供たちの命を奪ったのだ。

この母親がその後罪に問われたかどうかはわからない。

平成18年 和光市のスノボーママ

その母親に対して、世間は同情を寄せた。
平成18年の年の瀬、埼玉県和光市の二階建てアパートから出火、火元となった部屋は全焼した。
そして、その焼け跡からは小さな焼死体が発見されたのだ。

出火は12月30日の午後10時20分ころで、にもかかわらずこの家には死亡した男児以外に人がいなかった。この部屋には男児のほかに両親がいたはず……
新聞報道でも、当初は両親は外出中、というものがあった。

しかしその後、すでに父親が家を出ていたことが判明、1年ほど前からは24歳の飲食店店員の母親が一人で育てていたことも分かった。
ではその母親はどこに?
母親はその日、早朝5時から家を空けていた。帰宅したのは、家が焼け落ちた後の午後11時半……
警察の調べに、母親は「知人と群馬にスノーボードをしに留守にしていた」と話していた。

またもや遊びを優先させた若い母親による起こるべくして起こった事件か。
世間はそう思っていたが、次第に風向きが変わってきた。

母親は保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されたが、取り調べの結果死亡することまで予見できなかったとして保護責任者遺棄での送検となった。そして、結果から言うと起訴猶予で不起訴となった。

母親は二十歳で結婚、男児を出産した。若い夫婦は1年ほどで破局、夫は家を出た。ただ、正式には離婚していなかった様子。
実家の両親の反対を押し切っての結婚だったためか、母親は実家(一部情報によれば川越)に頼ることをせず、一人で育てることにこだわっていたという。
仕事は深夜の飲食店の厨房の仕事。時給が高いのと、昼間子供と一緒にいられるからという理由だった。
市の定期検診などにもきちんと通い、男児の成長にも問題はなかった。虐待なども一切なく、アパートの周辺でもこの母親について悪い話は出ていない。

男児はすくすく成長し、つかめるようにしておけば自分でご飯を食べられたし、オムツも紙パンツになって自分で脱いだり履いたりもできるようになったという。

そんな時、母親には親しい友人が出来た。とりあえず男性だったが、子育てと仕事に明け暮れる中、「1日くらい、ゆっくりしてもいいよね……」という気持ちになった。

そして12月30日、その知人男性と二人で群馬にスノーボードへと出かけることにした。

おにぎりを作り、パンも用意した。牛乳と大好きなイチゴもテーブルに用意した。
起きるとぐずるかもしれないから、と、男児がまだ眠っている間にこっそり家を出た。鍵は閉めたし、寒くないようにコタツをヒーター代わりにつけておいたから、寒くないよね。

準備は万全のはずだった。一人にするのは気にはなったが、これまでだって、夜中仕事の間は一人で平気だった。ケガもしたことないし、何も起きなかったんだから……

しかしなにごとにも「初めて」はある。

この日、初めて大変な事態になってしまった。ヒーター代わりにとつけておいたコタツを、どうやら息子がひっくり返したようだった。そのヒーター部分に毛布かなにかがかぶさってしまったことから過熱状態となり、火が出た。

取り調べの中で、母親は「たった一日、たった一日くらい骨休みしたいと思った」と泣き崩れた。埼玉県警朝霞署は、母親のそれまでの育児状況から、ネグレクトが常態化していたわけではないと判断。
それまでの育児に問題がなかったことや、それまでにも一人で留守番させていて何も起きていなかったことから、母親がした行為が「子供が死亡するかもしれない」とまでは予見できなかったとして、保護責任者遺棄での送検となった。

今調べ返してみても、報道のみならず、個人のブログなどでも結構母親に同情的なものがほかのケースに比べて目立つ。このバカ親!などと罵倒するようなものはない。
「不注意だったけど……」「一生懸命子育てしていたんだなぁ」と、ある程度この母親の心情を理解するものが多いのだ。
私からすればちょっと理解しがたいのだが、当時のワイドショーなどでも比較的同情的な感じだったという。

そもそも成り立っていなかったのだ。頑張っていた、間違いなく頑張っていた。しかし深夜に1~2歳の子を一人で家で寝かせて午後10時から朝4時まで働くというのはやはり成り立っていないのだ。
1人で育てる、立派だ、しかし育てられていないのだ。言葉は悪いが、無能な働き者というか、志は立派だが全然なってない、そういう空回りの印象を受ける。
何事も起きなかったからうまくいっているように見えていただけで、いつ事故が起きてもおかしくない状況だった。
加えて、ひとりにさせていた理由がパチンコでも男遊びでもなく、仕事だったこと。そしてその仕事がホステスや風俗ではなく飲食店の厨房だったことも世間が同情したことに関係しているのだろう。
個人的には新聞配達だろうが牛乳配達だろうが学校の先生だろうが風俗嬢だろうが、1~2歳の子を一人で留守番させている時点で職業関係なくないかと思うのだが、そう思わない人も少なくない。
子供を一人で留守番させる厨房スタッフと、託児所に預ける風俗嬢なら後者の方が断然まともではないか。

しかも結局のところ、この母親がしでかした17時間放置の目的は骨休めといえば聞こえはいいが、ただ男と一緒にスノボーしに行った、それが事実である。
世の中に骨休めしたい親は山ほどいるが、みなだからといって子供を置き去りにして遊びには行かないのだ。

この男もたいがいである。彼女に子供がいることを知らなかったのだろうか。知っていたならこいつもどうかしている。

なぜ、子供を連れて行かなかったのか。置いていったことがすべてだろう。連れて行きたくなかったのだ。2歳ならば雪山で遊ぶ楽しさも分かるだろう。むしろ、子供と一緒に思い出を作れるとは思わなかったのか。
思わなかったんだろう、だから置いて行ったのだ。それがすべてである。

焼け落ちたアパートの玄関部分には、男児の靴が散らばっていた。男の子は、名を藤原猛成(たけあき)ちゃんという。

わからない

どうしても母親によるケースが多いこと、あと名古屋が多いのもわざとではないのだが、子供を放置して平気なその感覚がどうしてもわからない。
楽しめるものなのだろうか。家で子供が泣いているかもしれない、ケガをしているかもしれない、そう思ったら男と会っても楽しくないと思うのだが……

現実逃避といっても、せいぜい数時間の現実逃避でいったい何がどう変わるんだろうか。

あなたにはわからないよ、そう言われたらおしまいだが、こっちからすればわかりたくもないわけで、なにエラそうに言っちゃってんの、である。

しかし現実として親を責め立てたところであんまり意味がないのも事実で、社会的な構造などで改善できるケースならばしていくのが社会の務めだろう。
現に和光市のケースの場合、当時夜間に預けられる場所がなかったのだという。もしも預けられる場所があったら、あの子は焼け死なずに済んだのだろうか?いやスノボには行ったよねきっと……

名古屋のケースではいずれも近所の人々は心を痛めた。なぜ気づいてやれなかったかと、自責の念に駆られる人もいた。
幼い子供たちが手をつないで母を捜している姿を、多くの人が見ていた。しかし、救えなかった。

社会で見守らなければと、今でも言われることだが、社会で見守り育てるということは、社会のおせっかいを親が受け入れなければ成り立たない。
いつの時代にもおせっかいな人はいて、ある意味その人たちの存在が他人同士を結び付け、子供たちを守っていたというのはあながち嘘ではないと思っている。
しかし子育てに関することになると、途端に親たちは頑なになる。口出ししないで、時代が違う、放っておいて……

なのにことが起きると「私たち社会の責任だ!」と、私たちの中に私は含まれてない、まるで自分以外の社会が悪いかのように声高に言う人がいるが、どれだけ社会が整っても守ろうと努力しても、その人自身が命のはかなさ、親という立場、その重みを感じていなければ、どうしようもない。

一つ一つ言って聞かせるしかないのか。
車の中に子供を残してはいけません、死にますよ。
子供だけで留守番させてはいけません、火が出ますよ死にますよ。
恋愛しても構いません、でも子供はちゃんと預けてください。
チャイルドシートはしましょうね、子供が死にますよ。

パチンコ店の駐車場での蒸し焼き事故が減ったのは親の意識が変わったのではなく、パチンコ店の見回り強化などの努力によるもの。チャイルドシートやシートベルトをつけるようになったもの罰則があるから。
しかしその眼を避けてでも子供を危険にさらしてでも自己を優先する人間への対処法は、多分、ない。

***************

参考文献

読売新聞社 平成7年8月11日西部朝刊、平成8年8月2日中部朝刊、平成11年6月1日、8月21日東京朝刊、平成11年6月18日西部朝刊、平成12年2月4日東京夕刊、平成12年2月5日東京朝刊、平成15年12月13日中部朝刊、平成19年3月6日東京朝刊
毎日新聞社 平成7年12月28日西部朝刊、平成8年7月20日中部朝刊、平成18年12月31日、平成15年12月13日東京朝刊、12月18日中部夕刊
中日新聞社 平成8年12月13日朝刊、平成11年6月1日朝刊、平成15年12月13日夕刊、平成19年2月9日夕刊、
日刊スポーツ 平成9年8月17日
東京新聞 平成18年12月31日
北海道新聞社 平成15年12月14日朝刊全道

平成12年2月4日/千葉地裁/刑事第3部/判決/平成11年(わ)882号/有罪/確定/

この記事が参加している募集

#ノンフィクションが好き

1,406件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?