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【西心録】アマチュアアスリートが思い返すべき"1950年の広島"

▲誰が想像できただろうか。年始から世界中の話題はコロナウイルスによる影響で持ちきりだ。マスク・アルコールは売り切れ、一部では転売が横行し、科学的根拠に基づかない情報が消費者を惑わせる。自粛疲れというワードも見られるが、目に見えないウイルスとの戦いは慢心や隙を見せた瞬間に一気に勝機を失ってしまう。私のようなアマチュアアスリートもこのコロナウイルスによって大きくスケジュールを狂わされ、非常に苦しい局面に立たされている。

▲今年は広島東洋カープの球団創設70周年目。原爆が落とされてから75年は草木は生えないと言われてから75年目。今では都市化が進み、世界中の人々が観光に訪れ、その当時には考えられなかったような緑豊かな、活気のある街になっている。原爆が落とされてからわずか5年後出来たカープがこの街の復興を支え、市民一人一人がカープを支えたと言っても過言ではない。

▲当時のチームや選手を取り巻く環境は今とは違い、過酷なものだったと聞く。夏の"凪"と呼ばれる瀬戸内独特の気候があるにも関わらず本拠地には扇風機がなく、新幹線がない時代は在来線での移動。そもそも設立してから間もない時は選手達が寝泊まりする場所を借りるためのお金すら払えなかった。戦後間もない時期と重なったとはいえ、今では考えられないような環境ばかりだ。しかし彼らはそんな状況下であっても、広島からチームをなくしてはいけないという気概を持ち続け、着実に力をつけていった結果1975年には初めての優勝を飾る。

▲今僕を含めたアマチュアアスリートを取り巻く環境はあまりにも厳しい。ジムが閉鎖になりウエイトトレーニングは出来ず、練習場所も公園はあるものの、子供達で混み合っているのでなかなか思うようにはいかない。そして金銭面的にも厳しい時期が続く今、新たなチャレンジをする気持ちすら奪われていく。しかし1950年に誕生したチームもそうではなかっただろうか?
ジムもない。球場もある訳ではない。食事も今ほど豊かではない。栄養学や解剖学が進んでいたわけではない。お金なんて全くない。しかし出来ることを全力でやった結果、彼らは栄冠を掴んだ。
全てのビハインドを逆転する環境はもうすでに、我々の目の前にあるのだ。そう70年前の先輩達が教えてくれているような気がする。想像の出来ないくらい明るい未来があると信じて。

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