見出し画像

プロでもない僕が野球を続けている理由

「無理でしょー」
家族からの言葉が頭に来た僕はそっけない態度で、電話を切ろうとそそくさと会話を続けた。

僕は無理という言葉が嫌いだ。
それは学生時代に受けていたいじめが元になっているだろう。

無理という言葉で片付けてしまえば、いじめという理不尽な主従関係の中で時間を過ごし続けなければならない。だから諦めるという手段を僕は学生時代に捨てざるを得なかった。

野球に長く関わってくると、野球の素晴らしさ、深さに気づく。
この場面でこのようなアイディアはどうだろうか、ここはこうなのか…

先日のホークスvs巨人戦での甲斐選手のバントもそうだ。シチュエーションはツーアウト満塁の場面で1ストライクノーボール。この局面でバントヒットを狙うことを考えていた人は日本でも数人レベルであろう。


野球はポジションも点の取り方もある程度決まっているがゆえに、動きも読みやすい。

しかしそこに深さを出すとするならば、甲斐選手のように「ここでそれをするか」というようなプレーや、相手と自分のシチュエーションをきっちり把握した上でどのプレーを選択していくか、になってくる。

単純に野球が面白くて仕方ないようになるのである。子供の頃とは違った楽しみに。

しかし野球というスポーツをある一定のレベルでプレーするとなるとそうはいかない。
結果が常につきまとう。

そして個人のレベルがある程度なければプレーする権利を奪われる。

また入団が決まりかけたタイミングで担当者と音信不通になることもある。

だからとてもとても心はすり減らされる。

しかもある程度年齢を重ねれば、そんなことで…という理由で簡単に若手に機会を奪われる。

「そこまでしてやりたいのか」
「無理でしょ」

ネガティブな言葉を何回も聞いた。ここでは書けないこともあった。
しかし僕の練習環境にもそう思わせる要因はある。

まずサポートというサポートはない。道具もサプリメントも全て自腹。何を買うのも自由だがサプリメントにはドーピングや品質という部分で様々な問題があり、隅々まで調べて初めて安心して使うことができるのだ。

上の写真はつい先日まで使っていたシューズ。ここまで使って始めて変えられる。
グローブは丁寧に管理。練習着はまともに買えない。野球用のソックスは足の指が4本出ている状態でも履かなければならない。そこまで行くと履いている意味があるのか分からない。

今でさえボールを受けてくれる人がいるからいいが、基本的には人のいない時間に土と壁のある公園にいき自主トレ。練習メニューはとにかくイメージ勝負。

どの角度でどのように動けば実戦に生かせるのだろうかを常に考える。

初めてトライアウトを受ける前、1.5Lのペットボトルをストライクゾーンの両端に見立て、その間、しかも甘くならないところをとにかく狙って投げる練習を繰り返していた。おかげで半年も受けさせてもらえた。
(しかし東京との往復を何回も続けるのは金銭的にも精神的にも辛かった。)

ラダーなど特別な道具もないので基本的なメニューをひたすらやる。ポール走やベーラン、ベースカバーの動きの確認…他に人がいない中で。

昼間であれば会社員のランチタイムとぶつかるので奇妙な目で見られる。
誰もいないのにも関わらずベースに見立てた場所めがけて真っ直ぐ走り出すのだから無理もないが、当の本人はその環境を受け入れている。

ウエイトトレーニングも全て1人だ。メニューを組み、下半身の日はまともに歩けないくらい毎回追い込んでいる。

基本的な動作は広島市にあるトレーニングジムで指導していただいたものを元にしている。なのでジムで見かける自己流のトレーニーとはまた別なのだ。

そして家に帰れば修正と反省を毎日のように繰り返す。

書いていて虚しくなるが、どう周りに思われようとも、それが今の僕が受け入れて進まなくてはいけない道なのだ。


そんな僕にも協力してくれる人がいる。ブルペンで受けてくれる人。栄養面で毎日の食事を見てくれている管理栄養士の方。ジムで僕に声をかけてくれるトレーナーの方々。ジムに併設されているコンディショニングルームで柔道整復師の方。

彼らは僕にとってありがたい存在であり、結果も残していない僕を見てくれている唯一の人達なのだ。しかも中には世界チャンピオンを育てた方もいる。厳しいながらも見てくれている姿に何とか応えたいという思いは日に日に高まっている。

しかし僕が野球を続ける理由はそこではない。

僕が学生時代いじめを受けていた時心の拠り所にしていたのは、紛れもなくカープと広島という街だ。

当時は万年Bクラス。そんなチームに目をつけた僕は広島出身でもなんでもない。
なぜだか惹かれた僕はカープから、広島からいろんなことを教えてもらった。

往年の名選手と呼ばれる方々の姿、広島の歴史、カープの歴史。幼かった僕はその全てに引き込まれ、今も人生の軸になっている。

実は野球と出会ったのもこの頃だ。図書館で見た「はだしのゲン」がカープを教えてくれた。

そして僕は「この広島に住む、原爆で苦しんだ、苦しんでいる人が少しでもその瞬間を忘れさせられるように自分がカープに入って頑張ろう」と心に決めたのだ。

そして往年の名選手の姿(実際には皆さん引退されていたが)を見てこうも思った。



人として立派な人間になる

時は流れ数年前初めて広島を訪れた時、全身が喜びを感じていた。空気、街、人、その全てに勇気づけられた。そしてこの街と出会えたことに感謝した。そして人々と話すたびに広島が好きになった。
厳しさも教えてもらったが、この街は特別な存在だという気持ちには変わらない。
その後何度か広島を訪れているが、その度に活力をもらい、また身が引き締まる思いがする。


「生きていてよかった」

広島を訪れる度に心からそう思う。それと同時に「この街に恩返しすること」がいじめを苦しんだ僕を支えてくれたこの街の全てに対するやるべきことなのだとと感じた。

いじめを受けた人間は無理という言葉を捨てなければならなかった。自己防衛のために。
しかし引き換えに努力し続けられる才能を得ることができる。

それは自分自身の選択を狂わせる可能性だってある。それは諦めることを知らないからだ。

僕はその才能を野球に、自分の心からの思いに使うことができている。

簡単には口には出せないが、今も続くことに対しての心の支えになりたい。
僕があの他人には理解できない苦しみを超えられた、支えになってくれたそんな存在に恩返ししたい。

それを達成するために今も僕ができることは野球を続けることなんだと。
唯一できることに対して、僕は自己ベストを更新し続けることでしか対応できない。

でも僕は必ずやり遂げる。

だからこそ僕はこの文を最後まで読んで頂いた方に応援してほしい。
僕と会って話してみたいでも何でも構いません。

Twitterでは@ryo_kubota14 で少しずつ更新をしております。

ぜひよろしくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?