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自分と向き合う旅

よし、これで大丈夫。

僕は昨年の10月に思った。
それは9月からやってきた"自分探しの旅"の成果でもあった。

昨年の夏、僕は自分を見失った。完全にだ。
自分は何者か、なぜ生きているのか、何のために今を過ごしているのか。
それぞれに理由をつけても、モヤモヤは解消されなかった。

そんな時、オードリーの若林正恭さんの著書「ナナメの夕暮れ」を読んだ。
著者に共感するとともに、これをやってみようかなという1つの方法論に出会った。
肯定ノートだ。
簡単に言うと自分が何が好きで、何に興味があって、どんなものに対してプラスの感情を抱くのかを書き連ねるのだ。

一般的な20代半ばの人間にとって、自分が何が好きなのかを再確認する時間はもったいないと思うだろう。音楽や飲み会、たまにやる草野球。休日にはそんなものに囲まれている中、わざわざ自分探しをする理由などないと思うはずだ。でもそんな20代半ばの人間が生きてきた"青春"という期間を僕は過ごしたことがない。何が好きかではなく、周りの、家族の期待に答えるために必要なことをやり続ける。
だから必要なこと以外に魅力も何も感じることはなかった。魅力と感じるものは全て誘惑だと考えるように仕向けていた。

しかし、そんな誘惑と考えていることに一石を投じてくれた人物がいる。
ジーコだ。
鹿島アントラーズにディレクターとして復帰した彼は、僕の尊敬する人物の一人だ。
そんな彼が選手として初来日した時放った言葉に、僕はハッとさせられた。

「楽しい時間を作ることをしなかったら、不完全な社会人になる」

誘惑と考えていた友達付き合いや趣味、食べることはかなり制限をした。
結果として楽しいといつの間にか感じることは、とてもとても少なくなっていて、それは人と共感できるものではなかった。
不完全な社会人になりつつあった、いやなっていたからこそ、改めて僕は何が楽しいのかといった"自分探し"をしなければならなかった。

僕がする自分探し、肯定ノートを書き連ねる作業はより自分と向き合う必要がある。
こんな瞬間にこんなことを思った。こんな時にこう思った。
だから好きなものに囲まれているだけでは分からない、自分の姿に気づけたりもする。

昨年それを一通りやった僕はいろいろな姿に気づけた。
新しい場所に行くのは苦手だと思っていたが、実は好きなことにも気づいた。
名古屋ではストリートファッションの店にも入った。店員さんは意外に優しくて、苦手と思っていたことにも好感を持てたこともあるんだなと思った。
行ったことのない場所に行き、すべてを感じる。
すごく心が踊るのが分かった。

しかしここに来てまた、まただ。
自分は何が好きなのか分からなくなりつつある。
なぜだ。なぜなんだ。

僕は1度、いやもう一度自分を見つめ直そうと思う。
今やっていることを1度中断して、継続できるものは継続して、もう一度肯定ノートのページを開こうと思う。
もしかしたらまだ見つかってない自分に出会えるかもしれない。
もしかしたらただの時間の無駄になるかもしれない。

でも、やってみた結果に、自己ベストの更新に信用を置けるのなら今しかない。
平成最後の1ヶ月。僕は肯定ノートを書き連ねる日々を送る。

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