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カウンセリング73回目(2024/2/5)-楽しちゃいけない、頭の声、第三勢力など

・結局2月から異動した仕事にもそこそこ細かい仕事が含まれる事が分かり、その事実がストレスすぎて土日は寝込んでいた。
・楽をする事に抵抗があり、仕事で未だに体調が悪い事や苦手な仕事を伝える事が苦手。
こういうのは全部頭の声のようだ。
みたいな事を話した。


細かい仕事

嫌すぎてストレスによる頭痛が酷く、吐き気すらあった。
でも冷静に考えれば、今までの部署より自分の体調にはとても良い仕事な事が分かる。
自分にそう言い聞かせると体は楽になるのに、頭痛と吐き気は一向に収まらない。
頭と体がバラバラで、これは頭が暴走しているのではないかと思い至った。

じゃあなんでそんなに頭にとってストレスなのかといえば、怖いから。
もともとケアレスミスが多いので、細かい仕事は苦手意識がある。
それを人から指摘される事を頭はとても怖がっている気がする。
それにしても怖がり過ぎだと思うのだが、多分それは絶対に間違えちゃいけないから。
何で絶対に間違えちゃいけないかというと、頭も頭でずっと一人で必死に生きてきてたから。
しかも、それは多分私のために。
私が先生のお陰で気づけた、今までずっと一人で張りつめて生きてきた感覚と同じ感覚を、頭にも感じた。
一人で張りつめて生きるためには、僅かなヒビも許されない。
ヒビが入ると崩壊してしまうから。
そんなギリギリの張りつめた状態で間違いを人から指摘されるなんて死活問題である。

楽をしてはいけない

細かい仕事によるストレスが辛すぎて薬を飲んだ。
そしたら一気に楽になって、冷静に考えられるようになってきた。
辛ければさっさと薬を飲めばいいのだな、ってはたと気づいた。

もともと薬に頼るのは嫌いで、生理痛も基本は布団にくるまって耐えるし、うつ病も薬を使いたくなかった。
うつ病の薬なんて、暫くは服薬せずに捨てていた。

何でこんなに耐えてたんだろうと考えると「楽してはいけない、耐えなければいけない」という強い思いがあるみたいだ。

多分その思いのせいで、未だに会社で自分の体調不良を言いづらいし罪悪感がある。
それでも言わなければ一生治らないと思ったので去年の秋頃からは頑張って主張してみたけど、頑張らないと言えないし、本当は誰にも言わずに私が耐える事が精神的には一番楽。
昔からそうやって誰にも不調を言わず、素振りも見せず耐えてきた。
そうすれば周りに風波を立たせずに済むから。
だからどの程度の辛さで、どういう風に不調を伝えればいいのか未だに分からない。
頑張れば出来るんだから言う必要なかったな、とか言ってから思って罪悪感を感じて自己嫌悪に陥る。

そういう事に気づいたのに、まだ「耐える」と考えた方が安心感がある。
自分の意思でやめられない。

第三勢力

細かい仕事とか、楽をしてはいけないとか、自分を苦しめるのにやめられない。
原因を自分の中で探ってみると、それらは頭の声ではあるのだけど、本当の頭の声ではないように感じた。
実は諸悪の根源みたいな大悪党が陰でのさばっていて、頭はそいつに無理やり動かされている感じがしっくりくる。
頭は「もうこんなのやめたい」って泣いている気がした。

そういう事をちょっと妄想がすぎるよな、と思いながら先生に話したら、すごい発見!!ってめちゃめちゃ肯定してくれた。

心理学の世界では珍しい事ではないのかもしれない。

自分の中身なんて、CTとかMRIで見れば筋肉とか骨とかそういう生きるために必要な器官のみで構成されている事がわかる。
頭の声とか心の声とか第三勢力とか、そんなものが入る隙は存在しない。
それなのに、自分の中にちゃんとそれぞれの居場所があって、そこに存在してる感覚がある。
不思議。

最近の過ごし方

異動する事が決まったあたりから、「楽」という感覚が良くわかるようになってきた。
そしたら何が負担なのかが分かってきた。
なので、いかに「楽」か、を追求する方向に時間の使いかたが変わった。

去年は空いた時間はひたすら本を読んでいたけれども、かなり無理してたらしい。
年が明けてからは本を封印して、空いた時間は音楽をかけてゴロゴロしたり、youtube見たり、ぼんやりテレビ見たりして楽に過ごしている。

そうやって過ごしながら振り返ると、よくあんなしんどい思いして本読んでたな、と思ってしまった。
「楽」を知ってしまった今は絶対そんな事は出来ない。

楽をしてはいけないといいつつ、やっぱり「楽」はいい。心地よい。
私の中で許せる楽と許せない楽があるのだろうか。







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