バチェラー5を観て。
諸事情により、かなり更新期間が空いてしまったが…。今回は毛色の変わった話題ついて話してみようと思う。
何を隠そう(?)、私はバチェラーが大好きである。バチェロレッテも観てきたが、どちらかというとバチェラーの方が好きだ。何故ならば、綺麗に着飾った女性がたくさん出てくるからである。バチェラーを観る一番の理由がそれだ。
出演を決めた理由は皆それぞれだろう。正直、本気で結婚したいと思って来ている人は少ないと思う。蓋を開ければほとんどが売名目的なのではないだろうか。
それでも、私はバチェラーが面白いと思う。何故なら、その都度変わるめくるめく彼女たちのファッションを見るのが好きだからだ。
バチェラーを見終わった後、私はいつも前向きな気持ちになる。やっぱり年上は落とされるのか…とか、やっぱり男性は外見で選ぶんだな…、とかいうネガティブな気持ちが無いと言えば嘘になる。
ただ、それよりも圧倒的に「どんな女性でもオシャレをすればこんなに輝けるんだ!!」という明るい希望の方が大きいのだ。
もちろん、私にも好みはあるし、失礼ながらバチェラー目線で参加者を選別している節もある。しかし、それ以前に一人ひとりの女性が、もしかしたら人生で一番かもしれないほど素敵なヘアメイクをして、豪華なドレスを着て、心から楽しんでいる様子を見るのが堪らなく好きなのだ。
多分、私ほど化粧っ気のない女性ならば、あんなに豪勢に着飾るのはきっと、結婚式くらいであろう。それを、彼女たちは(一部の参加者を除いて)連日連夜体験しているのである。バチェラーへの思いが真実でなくても、「参加して良かった」と口々に話す彼女たちの言葉に嘘は無いと思う。
なぜ、こんなに本筋の恋愛ではなく、女性たちばかりに目が行くのか、自分なりに考えてみようと思う。
多分、私は彼女たちが羨ましいのだと思う。胸をざっくりと大きく開け、脚を惜しげもなく披露し、「女性であること」「若いこと」を存分に武器にして、文字通り男性を射止めにいっている彼女たちの姿は、なんというか本能的に正しいと思うのだ。
私は、親から“女”であることを許されなかった。母親なりのお嬢様っぽい格好は強要されたが、例えば襟ぐりが広い服だとか、丈の短いスカートなんかは買ってもらえなかった。
当時は、「足が太いから買ってもらえないのだ」と思い込んでいたが、今写真を見返すと、特に太ったりはしていない。そもそも、体型に関係なく好きな格好をしていいはずだ。
それなのに、母親は
「足が太いのに」「肌を見せるなんてはしたない」
と言い、手作りの時代遅れな服を私に着せた。
向こうから聞いてくるくせに、全く自分の意見が反映されない母お手製の服を着るのは正直嫌だったが、「作ってやったのに」という圧に負け、好きな男子と会う機会にも我慢して着て行った。会ったとき、友達の目が一瞬止まったように見えたあの瞬間を、今でも忘れる事ができない。
だから、自分の意思で番組に応募し、自分を最大限魅力的に見せている彼女たちが、眩しくて仕方ないのだ。もしも、来世もまた女性に生まれるならば、若いうちに綺麗な格好をしてたくさん思い出を残しておくだろう。
私の場合、結婚式すらも母親の好みにしてしまった。当然のように試着に付き添い、胸元や肩を露出しないドレスに私を誘導した。私は、似合わないと思われても、人生に一度くらい胸元や背中が開いたドレスを着てみたかったが、母に「あんたは肩がゴツいから」と言われやむなく諦めた。結果、アラサーなのに少女みたいな格好になってしまった。私は今でも、写真だけでも撮り直したいと思っている。
絶縁とはいかないまでも、娘に呪いをかける母親というのは意外と多い気がする。理由は主に、犯罪に巻き込まれないようにするため、であろう。しかし、私の母親の場合は、他の理由が含まれていたように思う。
娘の私が、女性として輝くのが妬ましかった?父を盗られると思った?今となっては、知る由もない。
私はただ、女性として美しい時期に、それを思う存分味わってみたかった。女性として生まれた喜びを、一心に表現してみたかった。
もしかしたら、まだ遅くはないのかもしれないけど。
もし、これを読んでいる人の中に「自分は美しくないから」と思い込み、それを理由にオシャレができない女性がいたら、ぜひ考えを改めて頂きたい。そしてぜひ、今からでも遅くないのでバチェラーを観ていただきたい。
この世に、美しくない女性はいない。皆、磨けば光るのだ。
過去に呪いをかけたのが母親かもしれない。同級生の男の子だったかもしれない。でも、そんな言葉は忘れて、今日からは、自分にポジティブな言葉をかけてあげてほしい。
「今日もサイコーにかわいいよ!」と。
今回はこの辺で。
おやすみなさい。また、あした。