心理学は己を助ける技術である
「そういうことだったんですね!とてもよくわかりました」
心理アセスメント(テスト)のフィードバック(報告)を説明する前から,臨戦態勢だった相手の顔がふっとゆるみ,笑顔がこぼれた。
「これ,読んでもよくわからないんですけどっ」
相手は,開口一番にわたしに宣戦布告をした。
確かに,テストの結果をシンプルに書いているので,臨床心理学を修めたテスター(テストを取る人)にしかわかりづらいかもしれない。
なので,テストの結果は,丁寧に説明をする。
件の相手は,とても学歴が高く,仕事をしながら学校に通っているほど,努力家の専門性の高い方だけれども,心理学の知識はほぼないらしく,全く文書が読めなかったという。
そうか。
心理学の知識って,当たり前なのだけど,心理技術者が思うほど,一般的ではないのかぁ。
レジリエンス(回復力)や自己肯定感がブームなんて,心理学や自己啓発系が好きなごく一部のマイナーなのだろう。
反対に,同業者の依頼も多い。
家族の心理面接(カウンセリング)や心理テストを心理士がすることは,一般的に避けたほうがいいとされる。
なぜなら,家族には感情がどうしても入ってしまい,カウンセリングにゆがみが出るから。
カウンセリングマインド(カウンセリングを行うものとしての心のありよう)とカウンセリングは,全く別だ。
家族に対してカウンセリングマインドを持って接することはとてもいいことだけれど,心理面接はしづらいものだ。
学校の先生が自分の子どもを教えるのはやりづらいと聞くが同じだろう。
相手との「距離感」はとても大切だ。
近すぎても遠すぎてもいけない,家族ではない他者だからこそ,できる。
だけれども,カウンセリングはできなくても,心理学の知識は,人生を明るくするとわたしは思っている。
心理学の歴史は,100年ちょっとしかないから,新しい学問だという人もいるけれど,そうだろうか。
100年の歴史の重み,そして,人がより良く生きるための心の研究を日夜アップデートしている研究者たちの努力は,時間の長さだけでは測れない。
「あなたたちは,ここで教育を受けている。心理学の知識を社会に還元させなさい。例え,結婚しても,仕事はやめてはいけません」
子育てをしながら,いくつもの内外の心理学研究賞を受賞し,引用数も多い,教授がいつも授業でおっしゃっていた。
女性の生涯発達を研究している先生だから(なんと今も),学会で元気なお姿をお見かけするたびに,私は先生から教わった知識を還元できているだろうかと自問する。
心理学を教えることだけが知識の還元ではなく,子育てや職場での関係性,家族との関係性に,心理学の知識を使うことも知識の還元だ。
「言っても聞かない」
夫はよくそう言って,子どもとのかかわりをあきらめようとする。
けれども,子どもなんぞ,「言っても聞かなくて当たり前」で,むしろ,きょうだいでも子どもごとに個性があるのだから,個性に合わせた声かけで,子どもはグーンと伸びる。
スグに結果が出ると思うのが大間違いで,子育てには正解はない。
人を育てる仕事は,そんなにすぐに結果なんかでやしない。
成績があがった。なんてことは,ごくごく些末なことで,それよりも学校を卒業して何十年も経っても,忘れられない先生がいる。
先生がわたしにかけてくれた言葉を何度も何度も愛おしむように,反芻して,自分を励ますこともある。
家族と衝突して,心底,イヤな気持ちになった時,私の側にいて,いつも話を聞いていつも見守ってくれていた人がいたから,頑張れる。
「わたしもこんな風に人に寄り添って,話を聞く人になりたい」
そう思って,臨床心理学という学問があることを突き止めた,小学生の時のわたし。
願えば通ずで,小学生の時に思い描いていた,大学院まで進学して,心理学を極めて,心理学を修める研究者になったし,臨床心理士の資格も取って,何度も更新をしている。
やるなら極めたい。
そして,心理学の面白さをたくさんの人に知ってもらいたい。
心理学の知識が生活を彩り,自分を励まし,成長させることも知ってもらいたい。
そして,心理学の知識を教育に生かし,子どもたちを教育する先生のための先生になりたい。
知識は循環してこそ,生かされる。
その思いを一筋に,今日もわたしは心理学を伝えている。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。