未来に進むために絶望してみる
「あなた,明るい未来を志向していませんか」
駆け出しの心理士だった時,勤めていた精神科外来での合同カンファレンスで,心理士の先輩が精神科ドクターに言われた一言が忘れられない。
なんで?明るい未来志向って,ダメなの?
20代の半ばだったわたしには,相当なインパクトがある言葉で,カンファレンスルームの情景と共にその言葉が,今でも耳にこびりついて,離れない。
そして,時が流れること10年以上。
今度は,「創造的絶望」なんて,このnoteに書いている自分がいる。
「絶望」だなんて,ドキッとする掲題だろうか。
10年以上前に「絶望先生」という少年漫画が流行っていた。
わたしはその頃,教育委員会に勤めていたので,通ってくる青年期にさしかかった(青年期の定義は,小学校高学年~25歳までの学齢期ド真ん中をさす)子どもたちに感化されていた。
青年期に入りたての前青年期の子どもたちは,「自分とは何か」について,真剣に悩み,向き合っていた。
その刃は,時に自分や周りを傷つけるけれど,それが思春期の自己の成長段階なので,必要悪とも言える。
ヤバい。また,至極,真面目にかいてしもうた。
論文じゃないのに,超絶,つまらんテイストに暴走するのは,知識至上主義の研究者のサガ。
知識ヲタは暴走しがちなのだ。しかも,ひとりでツッコミとボケを請け負うから,忙しい。
さて,話を「絶望」に戻そう。
絶望の前に「創造的」とあることにお気づきじゃろうか。
この「創造的絶望」とは,第三の行動主義と言われる認知行動療法ACT(行動主義とか,行動療法とか,精神医学,心理学用語なので,ご興味あれば,適宜,各自でお調べ下さい)の主義の1つだ。
ACTってなんずら?
ですよね。
わたしも,精神科のアウトリーチのACTだと思ってたから。
ACTは,精神保健福祉士(PSW)の国家試験で出るから,知らないとマズイよ。
って,PSWを受ける人がこのブログを読んでないし!
この精神科医療でのACTは,こう。
ACT(Assertive Community Treatment:包括的地域生活支援)は, 重い精神障害をもった人であっても, 地域社会の中で自分らしい生活を実現・維持できるよう包括的な訪問型支援を提供するケアマネジメントモデルのひとつ
こうやって,話がどんどん,文脈からずれていくのは,ADHD的な特徴の1つなんだけども,結局はちゃんとまとまるから,大丈夫!安心して,ついてきて!
そもそも,こうやって,1つの言葉から他のことへ連想して,数珠繋ぎさせていくって,勉強のやり方として王道なんだわ。
この記事だけでも,ACTの異義語とか,1つで2つのことがわかるんだから,お得じゃん!
てか,誰も精神保健領域や精神科医療,興味ないから。
で,認知行動療法の方のACTは,包括的地域生活支援ではないです。間違えないように!
(お前が違うACTをわざわざ引っ張ってきたんだろうという話はさておき)
ACTとは,アクセプタンス&コミットメント・セラピー( Acceptance and commitment therapy)。
たぶん,専門家以外は読んでもなんのこっちゃのどうでもいい話。
わたし,専門家だけど,CBT(認知行動療法)とか出てきて,この解説だと,イマイチ,わかんなかった。
わかったことは,
・最新のエビデンスに基づく認知行動療法の1つ
・従来の認知行動療法よりも優れている
もっと深く,知りたい方は,ご自身でお調べ下さい。
ここらへん,詳しく,学びたいなら,拙講座のPWMにいらして。
これでもかっ!と,滝行のようなボリュームで,マインドやメンタルについてのお話をいたします(迷惑)。
このように,本題の「創造的絶望」になかなか,たどり着けない「絶望的状況」を回避すべく,もう,答えを書くわ!
創造的絶望
「過去の問題解決のための試みが実際には問題の一部であったという体験に接している時のクライエントの姿勢とされている」(井上 和哉 熊野 宏昭 早,2018;Bach &Moran, 2008 武藤監訳 2009)
おいおい,学者先生よおぉ,さらにわかんねぇ,じゃねーかよぅ。
と,悪ぶって悪態をつきたくなるくらい,意味わかんねぇずら。
要は,問題ってのは,自分で創りだしているんだよ
ってことですね!
もっと言えば,未来へ進むためには,一度は絶望を通過しないと,明るい創造はできないってこと。
絶望をすることでしか得られない未来の創造
こう考えると,絶望にも意味があるって,明るく見えてくる。
ACTって,もうペシミストの極みみたいな感じ。
それまでの心理療法って,明るい未来を志向する方向が強かった。
ACTの場合は,wikiにあるように,
ACTの目的は、困難な気分を取り除くことではなく、むしろ私たちが自らの人生と共に今この瞬間に留まり、価値づけられた行動へと向けて前に進むことである[7]。
ACTでは、不快な気分に対して、オープンでいること、過剰反応せずにいること、そして、そういったものを引き出されるような状況も避けずにいることを学べるよう促す。
(Wikipediaより)
つまり,困難は当たり前にあることを前提として,いいも悪いも,両方あるのが人生だよ!という,水戸黄門的な立場なのだ。
人生,ずっと上り調子なんてことはなくて,いい時もあれば悪い時も当たり前にある。
そう,思っていた方が健全なのだ。
「人生はいいこともあれば悪いこともある」
インド人の賢者さまもそうおっしゃっていたしね。
起こった出来事にいちいち,右往左往してないで,「そういうもあるよね」と達観した俯瞰(メタ認知)で,ものごとを見る。
自分で出来事にあれこれ色を付けて,意味づけして,あたふたするのでなく,客観的事実のまま,描写する。
ありのままってそういうことだ。
それは,自分が新聞記者になったつもりで,ものごとを見てるようなものだ。
報道に感情はいらない。
報道に感情を入れると,事実が見えなくなるし,そんな記事は,誰も新聞記事に求めていない。
自分の気持ちもそういう「引きの視点」で,見てみると,創造的希望が芽生えてくる。
ぜひ,「じぶん新聞」の優秀な記者になって欲しい。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。