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金曜日は子供のこと1

0.仕事人間だと思う。

 僕の仕事は、小規模多機能型居宅介護をやっていること、最近では介護の学校を始めたこと、人財不足により、居宅介護支援事業所の部長さんをやっていること。高齢者関係の別会社をやっていること。介護関係のイベントをやること。であるからして、通常モードは、たいてい、高齢者のことか、高齢者を応援している介護職のことを考えている。基本的にそれ以外を考えることは(まず)ない。僕の仕事にとっては頭におかしな電波が発生するようなノイズになってしまう。たいして経営のことなんかできないから、お金の勘定は得意ではないし、我慢もきかない。自分のために文章を書いているわけだが、いざ書き始めると頭の中で気になっていることが出てくるから、ほとんど介護のことを書いている自分がいる。介護のことばかり考えていると、一般社会からはじかれる人間になる。いつの間にかこの社会は僕からどんどん離れていて、僕のことを奇異に見える人がいるのと同様に、僕にはひどくこの社会が奇異に見える。そんな僕に新しい思考回路を与えてくれた存在があり、それは自分の人生を反芻できる存在である『コドモ』だ。コドモという存在は素晴らしく、自分のクズっぷりをこれでもかというくらい認識させられる。まるで社会のゴミにまみれた自分の脳みそを洗ってくれるような存在だ。ちっぽけな自分の存在を広げてくれた第一世代が高齢者なのだとしたら、そこで作られたものをもう一度壊してくれる第二世代はコドモである。そんな彼らに敬意を表して金曜日はなるべく子供のことを書こうと思っている。

1.上の子が生まれるときの僕の感情

 僕は2006年に結婚したから、13年目に入る。子どもは2人いて、上が女の子で5歳。下が男の子で2歳。いわゆる一姫二太郎ってやつ。初めての子供は2013年9月。それまで高齢者ばかりとお付き合いしていたから、毎年大事に思っている方がお亡くなりになっていて、『人間というのは簡単に死んでいく。だから、自分も簡単に死んでいくもので、この世の中に嘘をついてまで生きていること自体恥ずかしいことだ。』と考えていた。かみさんが妊娠をして、だんだんおなかが大きくなっても、僕は、手放しに喜ぶことができなかった。なにかがっかりするようなことがあってはいけないから、喜びの予防線を張っていたのである。それくらい、僕にとって死は日常で、生が異常だった。幸いなことなのか、不幸なことなのか、出産日はきっちりと決まっていたので、Xデーまではあと30日、あと10日、あと3日!、明日だね、と、カウントダウンできた。生まれてくるその瞬間まで、その予防線は解除できないまま、その日の前日の気持ちを神様からカミサマへの贈り物のお話でつづっていたようだ。

2.子供が生まれた瞬間の僕の感情

 人の生死にかかわる仕事をしていて、ご本人のために一生懸命に働いていた僕は、その緊張感が解放される瞬間を『死』というものにおいていた。もう少し若ければ、緊張から解き放たれたいがために、早く『死』に向かってほしいと思ったに違いない。しかし、この時は緊張感が解放される瞬間が『生』である。今まで経験したことがないこと。この時ばかりは、のちに来るであろう『子育て』っていうやべえやつを想像せずにいた。コドモが生まれて嬉しい!とか、かわいい!なんてことではなく、『解放された』と感じた。いつか、彼女が大きくなった時に見せようと、その時の気持ちをつづっている。

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生まれてきた君へ。
僕と、お母さんからの最初のプレゼントです。
プレゼントというのは、おこがましいかな?

君にどのように生きてほしいか、
僕たちは、たくさん考えましたよ。
(僕は、言葉の才能がないから、
お母さんがほとんど決めてくれたんだけどね)

君は、女の子です。
世の中には、女性と男性がいます。
ニンゲンという生物は、女性と男性が、
コドモを産みます。

君は、お母さん(女性)と僕(男性)から、
生まれました。

君は、僕が一緒に過ごす、大切な女性です。
ですから、君には、女性であってほしいと思います。
出来れば、お母さんのような女性が良いですね。
僕よりも良い男を連れてきてください。
君が決めた男性なら、文句を言うつもりはないけれど、
やっぱり、ドラマのように、
『うちの子は渡さん!』みたいな、
お父さんとしての最後の意地みたいな茶番もさせてください。

出来れば、僕が、
はっとするような、素敵な女性でいてください。
僕も出来るだけ、君がいい男を捕まえられるように、
いい男でいるように、努力します。

今、僕は、凄く自由です。
人間は、自由を手に入れながら、
生きています。
自分の人生を自分で選ぶ自由を、
いつまでも持てるような生き方をしてください。

自由であることは、凄く不自由なものです。
自由でいるために、
自分でその環境を手にいれなくてはなりません。
その環境を手に入れるまで、一時期不自由になるかもしれません。

でも、どの環境においても、
君の心は、青空のようにどこまでも広がっているものです。
決して、何かに縛られることはないものです。
自分の心に縛られないように、他人の心に縛られないように、
自分の心を縛らないように、他人の心を縛らないように、
僕とお母さんの名前のように、ひろく、あまねく、豊かに、
人生を泳ぎましょう。

そうして生きていくことで、
人は、みのりのある人生を
歩むことが出来るのだと思います。

僕は、何の因果か、わからないけど、
人が自由で、選んで、生きていくことを、
一生懸命応援する仕事をしています。

僕たちが思うよりも、
僕が仕事でお付き合いしている高齢者の方たちは、
しなやかで、
したたかで、
自由です。

しなやかで、
したたかで、
自由なことは、
自分で手に入れることはなかなか難しいと思っています。
人生を歩んでいくうちに、出会うものだったり、
気がついたら、そうなっていたりするものだと思います。

必ずいつか、
君は、
しなやかで、
したたかで、
自由であることを手に入れるでしょう。
大丈夫です。
僕の目の前にいる高齢者は、
いつの間にか、それを手に入れています。

そうすることで、
たくさんのみのりのある人生を歩んでいます。

僕たち、お父さんとお母さんは、
君に、そういう人生を歩んでほしいと、
願っています。

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最新福祉脳!?無想転生『君への贈り物』より

3.今、どうなのか?

壮絶な子育ては、ほぼほぼかみさんがやっていて、僕は大したことをやっていないんだけど、一応これでも幼稚園の役員をやっている。僕が小さいころ。まだ記憶が定着していないころに、親が僕に何をして来たかを学んだし、僕は親にどういう感情をもっていたかということを反芻している。んで、今までは『人間はいくつでもどのタイミングでも、死ぬ』ということを信じていて、それは大きく違わないんだけど、当たり前と笑われるかもしれないけど、『若い方が死ぬ確率が低い』ということを知った。世の中を『自分よりもオトナ』『自分よりもコドモ』『だいたい自分』と分けていたものから、『コドモよりもオトナ』『コドモよりもコドモ』に分けて見始めた。僕の中で自分というものが消え、かといって子供中心の生活でもなく、仕事ばかりしているから、この世の中から自分が消えた。自分の思考が三度解放され、より自由になった気がします。より、自分が存在していることの意味というものから自由になり(それは子供がいるってことの責任感的な一般的な感覚から大変ずれた責任感のなさかもしれないけど)、世の中は自分がいてもいなくてもあまり大きな影響がないと考えるようになった。僕が一生懸命に生きている人を応援する仕事をしていること自体は、一生懸命に生きている人がいることで、自分が生きていることに意味があると認識したいだけなのではないかと思うようになった。でも、そうやって人類は生きていって死んでいっているんだと考えるようになった。

ひょっとしたら、一生懸命に生きている人を応援する仕事をしている人ってのは、そもそも死人で、それでも生きているということを実感したいから、一生懸命生きている人を見ていないと自分が死んでしまうのかもしれない。一生懸命に生きている人ではない人と一緒にいると自分がいつ、ショットガンを口に当てようと考えるかわからない。でも、死んだことがないから恐ろしい。つまり、僕の中では(少なくとも僕という介護職は)『臆病な死人』である。

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