#035 切迫性か、なるほどそうかも


おはようございます。代表の笈沼です。

先日、ある方とお話ししていた時「どうしてケアウィルの事業に参画してくれたのか」というケアウィルのメンバーからの問いに「事業に切迫性を感じたから」と、その方は端的に答えてくださいました。

ただ、最初、僕はこの「事業」と「切迫性」という言葉が結びつかず。その後、その方の話をうかがいながら「なるほど」と半分腹落ちし、数日経ってから納得感が生まれ、最後にはこの「切迫性」という言葉が好きになりました。

さて急に話は変わりますが、今日は母の誕生日。

ケアウィルは、約1年半前、僕と母によって創業されました。

今でも、オーダーメイドの事業では、母が服をデザインし、パターンメイキングし、縫製をします。一方で僕は、オーダーを受けた後に、お客様とやりとりし、仕様を7~8割がた固め、母のアイディアをもとにデザインを最終決定し、母と生地選びを行い、その後の服作りは母に任せ、出来上がった服をお客様へお届けします。そんな、仕事の進め方と親子の役割分担です。

誕生日は喜ばしい日なのですが、母の誕生日が来るたびに、急がないと、急がないと、と、僕の人生における「切迫性」は高まります。

なぜかと言えば、一昨年に父の告別式のご挨拶で一番最後に僕が述べたこと、その想いが2年以上経ってもずっと変わらないからです。

「母には、父のために今まで多くの時間を注いできた分、また、父が早く亡くなった分、長生きをしてもらって、もっともっと自由にこれからの人生を過ごして欲しいなと思っています。なので、父と同様に母に対してもご厚情賜りますよう、どうかよろしくお願いいたします。」

ただ、シンプルにこれだけ。

公私混同で本当にごめんなさい。母のオーダーメイドの継続も、高齢縫製者の雇用の実現も、それが事業になろうがなるまいが、誰から何と言われようが、僕はやり遂げないといけないのです。社会的大義とともに、今、母が元気なうちに少しでもカタチを残さないと、僕自身が後悔することになってしまう。そういう単純で至って公私混同な切迫性が僕にはあるのです。

あとは、僕が一人っ子だからということもあるかもしれません。僕には奥さんもいるし、家庭もあるし、義父さん・義母さんもいるから、実際はそんなことはないのですが、自分が一人残されてしまうのではないか、そんな不安のようなものも、その切迫性の下の方に幼少期から染みついた一人っ子ならではの潜在的な心理としてあるのかなと思います。

「不安」と言う点では、父を亡くした後に今でも「絡まったままの思い」があります。父の介護・看取りにおける後悔、父の日々を見ながら沸いた義憤、父の死後に心にぽっかりあいた穴、その真逆にある安堵感、こういった絡まった感情を自分の中で解きほぐしていくために、また、僕の人生における父の死の意味を見つけるために、走り続けていないと不安なんです。これは本能的なもの。

そう、振り返ると、過去の自分のキャリアも切迫性がある任務ばかりでした。偶然かもしれないけど、ボス達も、私を「切迫性」の中でパフォーマンスを出すというか、何かそういう人間だと見抜いていたのかもしれません。

2011年、突然、常務に呼ばれ、日興・SMBC・大和証券SMBCの投資銀行部門の統合プロジェクトになぜか放り込まれたり、その後、楽天に入社したと思ったら、2013年、楽天の買収先で2期連続赤字、監査法人から継続疑義が出たケンコーコムの立て直しに従事したり、JINSでは、創業来初めて増収増益が止まった2014年の翌年にお声がけいただき、コンタクトレンズ事業、フィリピン進出といった新規事業の立ち上げや経営管理基盤を再構築を行ったり、KDDIは、2017年12月の楽天ショック(楽天の通信業参入)の最中に採用され、入社後に2018年8月 菅ショック(菅官房長官による通信料4割値下げ)があり、非通信事業のEコマースの強化に取り組んだり

とにかく「切迫性」がある環境と任務ばかりでした。お陰様で、年齢不相応の多くの経験をさせていただきました。

ただ、今回の僕の挑戦はそれとは大きく違います。今の僕にはボスがいません。誰かからの評価とか給与とか分かりやすいインセンティブも無いし、そんなもの、いらない。ただ、自分がやらないといけないと信じるからやっている。それを求めてくださる方々、応援して下さる方々がいるからやっている。後悔したくないからやっている。自分で意思決定をする、実行する、自分で自分を評価する。

決められた任期もありません。役員任期も雇用契約の期間の定めもない。20年後、30年後の未来を妄想して事業をしているので、ゴールはかなり遠い。そしてそのゴールさえ、ケアウィルが成長するにつれて変わっていくかもしれない。誰もやったことがないことだから、その先の答えがない。だから終わりがない。

••と、やはり「切迫性」が言葉に出ていますね(笑)

でも、日々は至って健康で、そして、不思議と単調です。サラリーマン時代より睡眠時間はしっかりとれていて、健康状態も良い。朝6時から仕事を始めて17時にはクローズ。一日を内省する、明日の行動計画を立てる、21時には寝る。日々、その繰り返し。

なんと表現すれば良いのか難しいのですが、サラリーマン時代の仕事に流されていく感覚、小さな期日が近づいできた時の焦燥感はなくなり、今は自由度があるがゆえに、自分を駆り立てる、誰かのためにやらないとという思い、「おまえはそれをやり切らないと後悔するぞ」と自分へ問うてくるような、そういう、今までの自分の人生に出会ったことがない「切迫性」があります。

それでは、また!


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