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#021 絡まったままの思い

こんにちは、代表の笈沼です。

前回の投稿から約2か月が空きました。

この間、僕の時間の配分をいよいよ大詰めを迎えた量産用の服作り(僕の母が行うオートクチュールではなく、所謂「プレタポルテ」です)に大半の時間を注いできました。同時に、note、twitterを通じた情報発信の一部を僕から他のプロジェクトメンバー(いっちーさん、坪田さん、浅井さん)へゆずり、私個人だけでなく「ケアウィル」として僕らが日々考えていること、取り組んでいることをお伝えしてきました。

現在、ケアウィルの事業に関わってくださっているパートナーや個人の方へのインタビューを行い、その記事作成も進めています。文章は全員素人が書いたものなのでつたないものかもしれませんが(笑)僕は今はそれで良いと思っています。それぞれが自分の言葉でケアウィルを伝えていくことが嘘が無く、等身大の表現だと思うからです。

僕自身も、今までは「僕個人」のキャラクターを知っていただくことを目的にnoteを書いてきましたが、今後は、事業のビジョンに対してもっと踏み込んだ話や「ケアウィル」の人格を僕の言葉で伝えていく記事の割合を増やしていきます。

さて今日は、創業して1年と8カ月が過ぎますが、今でもなぜ駆け抜け続けられているか、その根っこにある理由について触れたいと思います。それは、僕には立ち戻れる原体験と今も”絡まったまま” の親への思いがあるからです。

父の死後2年経ち、過去を振り返る気持ちの余裕もできてきたので、2019年1月8日の父の告別式での私の挨拶のボイスメモを書き起こしました。

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親族を代表いたしましてご挨拶させていただきます。

本日は1月の正月明けと言うことで忙しい折、また、一部の方々は遠方よりご足労賜りまして誠にありがとうございます。父もこれだけ多くの方に見送っていただいて喜んでると思います。生前に多くのご厚情賜りましたことを故人に代わり御礼申し上げます。

父は、昨週1月2日の午後9時に亡くなりまして、アルツハイマーで約10ヵ月間入院しておりました。入院当初は自分で食事もできてものを噛んで飲んでということができたのですが、徐々にそれもできなくなって点滴に変わり、栄養剤を直接身体に入れることになり、最期の1ヶ月間で一気に衰弱が進み、亡くなりました。ただ、亡くなる時の顔というのはとても穏やかで、正直、私も母も、父の意識が無くなる中で延命治療を行うことが彼にとって望ましいことなのか迷いがありましたから、こうやって最期は安らかに一生を終えられたということは、彼は天寿を全うできたのだ思っています。

私ども家族は、父、母、私の3人です。正直に申し上げると、私と父との関係は果たして親子と言えるのか、なかなか言葉では言い表せないものでした。それは約30年来、父はある病気を患っておりましてその病気は父にとっても勿論大変なものでありましたが、家族にとってもいろいろと大変なこと、信じられないことが起こり、振り回されたり、そういう病気でした。だから、特に私が思春期から大学生の時期にかけては、父を親として受け入れることが難しく、時に感情的にぶつかったり、そういったことも多々ありました。

ただ、私が社会人になって5年経ったある時、父の病気が発症し、急に「本屋へ行きたい」と言って家を飛び出したことがありました。僕は、成田街道を足早に歩く父を後ろから追いかけまして、父は62歳でしたが、彼の背中を見たときにとても小さくなったな、歳をとったなということを初めて感じたんですね。そして、なぜかその時から、父の血が通っている子は僕しかいないのだから父を助けていこうと思い、僕にとっての手のかかる子供のような存在なのですが、むしろ親子が逆転するというか、そういう関係へ変わりました。

ただ今回、通夜、葬式の準備をするなか、私が生まれた頃からの父、母との写真がたくさん出てきまして。彼は、1944年の戦中に満州で生まれ、家族と日本へ帰国し、高度成長期を経て頑張って働いて僕と母を養ってくれました。小さい頃は旅行だったり多くの場所へ僕を遊びに連れて行ってくれた。たしかに愛情を注いでくれた思い出がそこにはありました。そして、大学まで教育を受けられるまで頑張って働いてくれました。それについては、一家の主として私は彼を敬い感謝しなければいけません。

今まで確かにいろいろありましたけど、表現は難しいですが、僕の中でも溜飲が下りたと言いますか。本当に今は純粋に父へ感謝しています。そして、最後に母が独り残されますが、母には、父のために今まで多くの時間を注いできた分、また、父が早く亡くなった分、長生きをしてもらって、もっともっと自由にこれからの人生を過ごして欲しいなと思っています。なので、父と同様に母に対してもご厚情賜りますよう、どうかよろしくお願いいたします。

以上で親族代表といたしまして、ご挨拶とさせていただきます。

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当時の自分の思いがありのままに述べられていると思います、今ならすこし引いて客観的に読める。

この挨拶でも触れられているように、僕の原体験は決して綺麗なものでなく、年月も長く複雑なものでした。僕にとって父は、父でもあり子(それも、かなり手のかかる) でもありました。父が亡くなった直後は、”後悔”と、”溜飲が下りた” という真逆の感情が入り混じりました。しかし最後は、純粋な感謝の念が全てを包み込みました。ただ、その後今に至るまで感謝の念を父へ伝えられなかったことへの後悔は残っており、一方で、僕には父を支え続けた自負もあり、父もきっと僕を誇りに思っているはずだと考えるようにしています。

要するに、一言では決して表現できない幾つかの、そして、その一部は相反する思いが今でも僕の心の中で絡まっているのです。でも父はもういませんから、また、僕は一人っ子ですから一人で悶々と考えていてもしょうがない。となると、この気持ちを少しでも解きほぐしていくために何をすべきか。今時点での答えは、時間がかかるかもしれないけど、父の死とそれまでの経験が僕の人生へ問うている意味を行動によって見つけていこうというものです。

行動の対象は、自分ではなく他者。身近には母、家族、仲間、そして、同じ心境にいる方々をケアウィルの事業を通じて物心両面から豊かにすることができれば(僕は事業家なので) 、そして、人が死に向かう過程で生じる後悔と諦めを減らすことができれば、自分の気持ちのモヤっとした部分への視界も少しづつひらけてくるのではないか、そんな他力な思いもあって駆け抜けています。

少なくとも僕には、人の死、闘病、看護、介護、終末というテーマとそれに関わる感情を綺麗にシンプルな言葉で表現することはできないのです。まして今その渦中にいる方々に対しては、おこがましくてできない。心には両面がある。すでに前向きに受け入れられている部分と、まだ整理に時間を要する、時間へ解決を委ねる部分とが共存している。

そういった僕の心理もあるので、ケアウィルは、華やかな部分をより華やかにするアパレルではなく、人の負の部分に誠実に寄り添い、それをすこしづつ解消しながら当たり前の状態に近づけていく、そんなブランドでありたい。ゼロを10にするのではなく(それは持続しない) マイナスを少しでもゼロに近づけていく。その起点にはご本人の意思があり、ケアウィルと共に日々の自信と自分らしさを取り戻す、そして希望が徐々に育まれていく。そんなブランドでありたいと思っています。

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