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【 Care’s World case 02 地域の看護師として一人一人に手を差し伸べるケアを 〜 ケアサポートステーションすみれ 種子田裕香さん 〜 / -前編- 】

“ケアすることは、生きること”

そんなテーマでお送りしているCare’s World。

今回の主人公は、宮崎県小林市を拠点に『ケアサポートステーションすみれ』として福祉タクシー事業を展開されている種子田裕香さんです。

Care’s Worldについてはこちらから。


♢聞き手:玉井妙(Care’s World / コミュニティナース )
♢話し手:種子田裕香(ケアサポートステーションすみれ)
♢撮影・執筆:上泰寿(Care’s World / 編集者 )
♢インタビュー場所:ケアサポートステーションすみれ

地域の看護師として働きたい

裕香: 私は高校卒業後、看護学校に進学しました。今思い出すと恥ずかしいのですが、実習に行って、学校で学んできたことと現場のギャップが大きすぎて、体調も崩してしまって。向いていないかもと思って、病院に就職する道は一度諦めたんです。

それで化粧品関連の会社へ就職しました。すると、お客様から肌荒れについてご相談いただくことが多く、深掘って聞いてみると、原因は化粧品ではなく、睡眠不足やストレス、食べ物が主でした。

アドバイスした内容は看護学校で学んできたことばかり。それで次第に「看護師になりたい。」と思えるようになって、同級生から遅れて3年後に看護師として働くことになりました。

その後、県外の外科病院で働き始めます。そこで出会ったある患者さんとの出会いが地域の看護師として働きたいと思ったきっかけでした。当時、私が担当していたのですが、退院の際に「どうして、こんな状態で自宅へ返すのか?」と言われたんです。

当時の私はその言葉の意味がわかりませんでした。しばらく経ち、たまたま街中でお会いすると「元気じゃないよ、よかったら家においで。」と声をかけてもらい、ご自宅に伺うことにしました。

ケアサポートステーションすみれ 種子田裕香さん

裕香:自宅に伺うと中は酷い状況でした。すると、その方はこのようにおっしゃったんです。「看護師は病棟だけにいるもんじゃない。地域の民生委員みたいな看護師がいてもいいと思うんだ。」って。正直、その時はピンとこなかったのですが、その言葉は頭にずっと残っています。

さらに「看護師さんには助けてもらってばかりだから感謝はしているし、知識もすごい。でもね、一番大切なのは自分たちが生活する場所に、そういう人が気軽に来てくれる環境が一番だと思う。あんた、そういう看護師になってみたらいいよ。」とアドバイスしてくれました。

その後、宮崎へ戻り精神科で勤務しました。そこで、担当したある患者さんの退院調整をしていた時のことです。自宅に伺うと、住める状態ではありませんでした。その旨を伝えると「病院よりも、家が一番いい。家にいるのが一番幸せだ。」とおっしゃったんです。

その時、外科病院で出会った患者さんお言葉が脳裏に蘇ってきて…。地域の看護師として活動したい。そんな気持ちが強くなりました。

やるんだったら、今

裕香:精神科にいると、いろいろと制限がかかってしまう患者さんを目の当たりにします。本当は一人の人間として普通に退院したい。そう思っていても、ご本人の望むようにはいかない。それが現状でした。

でも、ある患者さんから言われた言葉が衝撃的だったんです。「あんただったら、一つのまちをつくれるはずだ」って。最初はその言葉の意味がわかりませんでした。

その方の話を聞いていくと「制限がかかった状況下だと、自由に買い物もできないし、美容室にも行けない。他にも、したくてもできないことがたくさんある。それって、自分たちは人として認められていないのではないか。そんな感じがする…。」というのです。

だから、そんな状況の人たちでも、自由にやりたいことができるまちがあったら、どんなにいいものか。そう思って「まちをつくってほしい」と口にしたみたいでした。

私は、それはきっと実現できる。そう思いました。実際まだ実現できていませんが、今はそれを大きな目標にしています。その出来事が背中を押し「地域の看護師になろう」と気持ちを固めました。

裕香:そこで夫に相談してみることにしました。まだ子どもが小さかったので「今じゃなくてもいい。子どもがもう少し大きくなった頃にやりたい」と。

すると夫は「やるんだったら、今じゃない?」「僕にはできないことをやりたいと思う裕香ちゃんは素晴らしいよ。やるんだったら協力するよ。」と言ってくれたんです。

夫はとても理解があって感謝しかありません。背中を押してくれるし、ダメなことはハッキリと注意してくれます。私がコロナ渦の状況下でご相談してくださったお客様の依頼に対応できなかった時も「何のために、この仕事をしているの?」「家族のことは心配しないで、裕香ちゃんを必要としている人のもとへ行ってあげて。」と激を飛ばしてくれました。

同じタイミングで実父から呼び出され「非常時に誰かが助けを求める時、裕香はその知識があるんだから、すごいよ。だから、人を助ける仕事をしなさい。」と言われました。ちょうど夫の背中押しもあった後だったので「本当に今なんだな」と思いました。

その後、2020年に宮崎県小林市にて“ケアサポートステーションすみれ”として福祉タクシー事業を始めることになるのです。

“あなた”だから

裕香:よく「なぜ福祉タクシーを始めたか?」と聞かれます。コミュニティナースのことも知り「今の私にできることは何か?」と考えたら自ずと答えが出てきたんです。それは“地域の情勢を知ること”でした。

そうなった時、一番手身近でフラットに地域の人と会話ができるのが福祉タクシーだと思ったんです。正直、何も根拠は無かったですが(笑)。

福祉タクシーをしながら、地域の情勢を知ることで今後の活動の基盤づくりができると感じ、スタートしました。でも、最初は大変でした。“女性だから”と名刺を捨てられたり、予約を断られたりしたこともありました。

だから、最初は心を病むこともあって…。自分を否定されたようで、車で泣くこともありました。力の無い女性は体重が重い方の移乗はできないと思われがちですが、そうじゃないんです。やり方一つで男女関係なく、できる仕事なんです。

丁寧に説明するとわかってくださる方も多いですし、口コミで「あの人なら大丈夫だよ」と良い噂が広がってくれて依頼してくださる方が増えてきました。同じ西諸エリア(えびの、小林、高原)で女性の看護師さんから福祉タクシー事業に関する問い合わせもあります。

裕香:福祉タクシーを通して繋がったあるお客様のお話なのですが、その方は身寄りもなく、頼る人が誰もいない状態でした。だからよく言っていたんです。「いつも寂しい。」「誰も話し相手がいない。」って。

そこで福祉タクシーではなく、コミュニティナースとして定期的に顔を出すようにしたんです。一緒に草むしりをしたり、家の片付けをしたり。すると、心を開いてくださったのか、あるお願いをしてきたんです。「実は今度妻の一周忌があるんだ。よかったら同席してくれないか?」って。

最初は「いいのかな?」と思ったけど、私なりにできることはサポートしました。家族がいない人が家族ではない私を受け入れてくれた。それが何より嬉しかった…。「あなたが来てくれただけで、そこに家族がいてくれたように感じた。」と言葉をかけてくださいました。

福祉タクシーの仕事もコミュニティナースも大変なことが多いです。でも「あんたじゃないといけないから来て」と求められたら大変なことなんて忘れてしまいます。福祉タクシー事業を始めて3年経ちますが、大変だったことって、あんまり思い出せないです。

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●基本情報
屋号:ケアサポートステーションすみれ
(※指定障がい福祉サービス事業所・福祉タクシー)
住所:宮崎県小林市堤3742番地12
URL:https://www.instagram.com/smile.__nurse/
参考:TEL・FAX:0984-47-0699
携帯:080-5792-5667

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